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「ブラックコーヒー」  谷本勝洋著   未発表

 小説を書くにはまず自分という存在を洗い出しておかなければいけないなと感じて書き始めた作品です。ただ下手くそなので結局楽に書けるようなことしか文字にできず、自分の影が色濃く出てしまう作品になりました。

特徴のない登場人物、起伏にとぼしい話、だらだらとした心理描写、くどい表現などといった小説にはあるまじき(!)スタイルとなっており、「初めて挑戦した現代小説」という意味以上のものではありません。

歴史小説を書くためには沢山の史料を読まなければなりません。ひと段落ついたとき、気ままに文章を書いてみたいと思うことがあります。現代を舞台にした恋愛小説を書いていると史実から離れてはいけないという緊張感から解放されているからか、何かこころからつまったものが流れていくような気持ちよさを感じます。もちろん書き進むとそんな気持ちは徐々に薄れて、逃げたくなってくるんですけどね(笑)。

「ブラックコーヒー」

 自分ももういい年になった。三十も半ばに近づくと、誰もがそう思い始めるのかもしれない。成田翔司は今年三十三になる。東京と言っても山梨にほど近い、西の山あいにあるニュータウンで生まれ育った。
 ここ数年の翔司は、肉体が重ねていく年齢とは裏腹に、気持が軽くなっていくのを感じていた。
 二月も下旬に入ったある日、翔司は一人街を歩いていた。街中には暖かい日差しが注いでいた。秋に葉を落とした落葉樹の木立は、まだ裸の梢を晩冬の空気の中にさらしていたが、春が必ず来ることを裏づけるかのように、枝には小さな若芽をふくらませていた。
 こんな暖かい日もあれば、冬が最後の自己主張をするかのように冷たい風が吹く日が訪れるのも、この二月である。
 翔司は以前、西日本のある地方に住んで農業をしていたことがある。だから草木のなかに季節を読み取る癖が自然と身についていた。
 気まぐれに変わる天候のもとでも、草木はその姿の中に次に来る季節を映し出して、たじろぐことがない。
 だがそんな植物とは違って、寒い日には衣服を重ね、暑い時には薄着になるだけの人間の姿は、次に来る季節など何も示してはいなかった 。
   テレビで気象番組のキャスターが「人々の装いも春めいたものに変わり・・・」などと言っているのも、先に変わってしまった季節を人が追いかけているだけだと翔司は思う。
 もしかしたら、人間も衣服をみんな脱ぎ去って生まれたままの姿で暮らせば、冬の終わりには春を、夏の終わりには秋を、肌から漂わせるようになるのかもしれない。
 きっと草木は裸でいることしかできないからあれほど澄ましていられるのかもしれない。自分を覆い隠すものを取り去る恐怖を、植物は知らないのだ。
 人は衣服を着ることによって、自分にまつわる何もかもを外から見えなくさせているのだ。だとすれば、人が服を捨ててしまえば、お互いの正直な気持ちが相手に伝わり、誤解や不信から生じる、さまざまな悲喜劇も絶えてなくなるのかもしれない。
 大昔、人間は裸に近い姿で暮らしていたのだろう。太古の人類は今よりももっと、素直に健やかな気持ちで暮らしていたはずだ。
 だが一度衣服を着ることを覚えてしまえば、脱ぎ捨てることへの恥じらいと恐怖が生まれる。人は容易に裸にはなれない。肉体だけでなく、心も。
 翔司はここまで考えて自分を笑った。いつの頃からこんな役にも立たない物思いに浸るようになったのだろう。
 こんなことばかり考えているから、人はみな自分から離れていくのだろうか。
 いつの頃から?覚えていないな。覚えていないということは、生まれた時からそうだったに違いない。翔司は勝手にそう決めつけた。そう決めてしまうほうが楽だったから。
 年を追って軽くなっていく心に逆行するかのように、肉体はひとつまたひとつと年齢という名のカウンターを進めていく。これまで翔司の肉体はそばに寄り添う別の肉体を持たないまま年を重ねてきた。つまりずっと独りだったのだ。
 だがそのことに翔司はさして苦痛を覚えたことはなかった。
 街を歩けば道を行く人の群れ、行き交う車の走行音のなかに他人の存在を十分に感じることができた。それは他者から自分に向けられた、距離を置いた一種の好意であると、翔司の心は受け止めていた。
 翔司の心持ちを理解できない人には、孤独な人間の生みだした妄想と思うかもしれない。だがたとえそうだとしても、翔司は気にしなかった。もちろんそれが人としていびつな満足かもしれないとは、翔司も思っていた。
 ただ胸の内の感じかたは、どう言われようとも変えられないことも同時にわかっていたから、自分はそれでいいのだと思っていた。  陽が明るくて暖かい日には、草の匂いのようなみずみずしい芳香が翔司の鼻腔をくすぐる。その日も同じだった。
 その香りが一体どこから漂ってくるのかはわからない。街が日差しの暖かさに思わず漏らすため息のようなものだろうか。ただ幼い頃にはしょっちゅう嗅いでいたような気が翔司にはするのだ。
 今はもう、心がのびのびとしている時にしか気づかない香りだ。いつからこの香りを自由に受けとることができなくなったのか、それも翔司にはわからなかった。
 いつになく明るい気分で翔司は行きつけのカフェへと向かった。翔司は休みの日でも、日がな一日自分の部屋で過ごすことが苦手だった。特に、午後の雰囲気が苦痛だった。何ともいえないけだるさと空虚に襲われるのである。
 世の専業主婦たちは、いったい毎日、この時間帯をどうやって過ごしているのだろう。夕飯の買い物に出たり、友人とお茶を飲んだりして隙間を埋めるのだろうか。
 翔司は一度知った人に尋ねてみようかと思ったこともあったが、その時間の家の中を自分と同じように厭わしく感じている人ばかりではないだろうということに思い至って、やめた。・・・


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