☆桃兎の小説コーナー☆
(08.04.14更新)

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 レスは日記でしております〜。

 


 ドラゴンマウンテン 番外編  

  3. 人、恋しく、賢者は憂う (メインキャラ・マリン)(時系列マリン幼少時)
 
 
     

 それは、驚くほど穏やかな春の日だった。

 延々と続く荒れた平原。
 グランディオーソとコン・アニマの国境に程近いこの地は、普段なら熱く乾いた風の吹
く荒野とも言うべき場所だ。
 だが、男が肌で感じている風は、何処か柔らかな、まるで緑の草原に居るかのような錯
覚に陥るほどのやさしい風だった。
 それだけではない。
 日差しは心を緩ませるほどにうららかだし、何処からか春花の香りすら漂ってきている。
 来るべき場所を間違えたのか。一瞬戸惑い、男は首を傾げた。
「グランディオーソに入ったのは確かだとは思うが、……それとも、もうそんな内地まで
来てしまったとでもいうのか?」
 片手には長い杖。目深にフードをかぶり茶色のマントに身を包んだ男は、くるりと後ろ
を向いて立ち止まる。男はそんなに足は早くない方だった。予定では、今日の夕方まで歩
いて、やっと国境から一番近い村、リニヤに着くはずなのだ。
 延々歩いてきた南の方向を向いて、男はくっと目を細める。
 フードの奥に光る魔力の滲んだ男の金色の目が、より鮮やかな金色に変化して鮮やかな
ままに固定される。
 それは、魔眼の事象を捉えるレベルを引き上げたことによって起こる変化だった。

 魔眼。
 ある程度のレベルの魔法使いなら使いこなせるその眼は、実際に見える事象のレベルを
上げて、見えないもの、つまりは精霊等を見えるようにする魔法使いの基本であり奥義だ
った。
 魔眼で精霊の姿を捉える事は、魔法使いにとって大きな意味を持つのだ。

 だが、男が見ているものは、精霊などではなかった。
 男が見ているのは、数キロ先にあるはずのコン・アニマの死の砂漠。
 あの地獄のようだった砂漠と此処の距離を正確に測ろうと、男は魔眼のレベルを少し上
げたのだった。
「道は……間違えてはいないようだな。此処であっている」
 男は安心したように頷くと、キュンと魔眼を通常のレベルに引き戻す。
 砂漠にほど近い、荒れた大地。
 勘違いなんかではなく、ここが確実に目的の地に向かう途中だということが証明される。
「その割には穏やかだな」
 十数年前にこの地を訪れた時は、今にも砂漠に飲まれてしまうのではないかと思うほど
に大地は渇き、季節を問わず熱く渇いた風が吹いていたのだ。
「魔力が満ちているのよ。ここら辺一帯に」
 通常は無口な筈の精霊が、男の耳元で囁く。
「そのようだな。……何が起こっていると思う? アウル」
 精霊の声に答え、男は精霊の居る場所に眼を向ける。
 男の金色の目に映るのは、鳥の羽を持った妖精のような愛らしい姿の小さな風の精霊。
 男に常に付き従うその精霊の名はアウル。
 男の従える精霊の中でも一番付き合いの長い彼女は、他の精霊よりおしゃべりで良く話
しかけてくれるのだった。
 常人には精霊の囁きなど聴く事が出来ないのだが、魔眼同様耳もそういう状態にしてあ
るので、男にはアウルの声がしっかりと聴こえているのだった。
 アウルはふわりふわりと宙を舞いながら、歌うように答えた。
「何が起こっているかなんて、そんな事分からないわ。でも、この魔力は心地良い……。
だから、ここら辺の土着の精霊達が活発に動いていてそれによって自然が充実して……、
結果、内地のように穏やかなのよ」
「成る程…な」
 何か思うところがあるのか、男はくっと眉を寄せる。
「なんにせよ、少し急がねばな。歩くのは苦手だ。このままじゃまた野宿になってしまう」
「本当に野宿が嫌いなのね」
「あぁ、嫌いだ。寂しいからな」
「歩くの嫌いなら、飛べば良いのに」
「目立つからダメだ」
 何気ない会話を交わしながら、穏やかな日差しの中、男は再び村に向かって歩き出した。

 永遠に続く、人との関わりを極端に避ける一人の魔法使いの孤独な旅。
 だが、その孤独が、僅かに癒される時を迎えようとしていた。

 非情な、運命の歯車の廻る音と共に――。

       1

「ね、リーハ、行こうよ、こっそりと!」
 一つに纏められた黒い髪を揺らしながら、少女はにこりと笑った。
 こっそりと! と言う割には大きな声なので、リーハは思わず噴きだしてしまう。
「ね、マリン、そのテンションはこっそりじゃないよ」
 リーハは薄い栗色の髪を震わせて小さく笑いながら、首を振る。
「あ、ごめん……」
 マリンは自分の失敗にようやく気付き、しゅんと小さくなって俯いた。
 だが、リーハは笑顔のまま弾む声で答えた。
「でも、マリンが行こうって言ってくれて嬉しいな。一人じゃ『外』なんて、怖くて行け ないもん」
「……えへへ」
 リーハの感謝の言葉に、マリンは真っ赤になっていた。

 マリンとリーハは、仲の良い親友だった。
 同じ十歳で、家は隣同士だ。
 二人を一言で表すのなら、リーハは勉強の良くできる頭の良い『優秀なお嬢様』で、マ
リンは泣き虫でちょっと落ちこぼれ気味の……どちらかというと『苛められているタイプ
の子』だ。
 二人で色々と正反対で、村の学校では「なんでリーハはあんな暗いコと仲良くするの?」
とよく言われる位の凸凹っぷりなのだ。 
 マリンは人と関わるのが苦手上に不思議な雰囲気の子だった。
 だがそれも周りに言わせれば『違和感』でしかなく、皆はマリンを避けていたのだった。
 マリンは常に一人で居る子で、リーハは友達に囲まれている子だった。
 それでもリーハがマリンと一緒に遊ぶのには理由があった。
 とても単純で、簡潔な理由。

 一緒に居ると、楽しいから。

 それが理由だった。
 リーハにはそれ以上もないし、それ以下でもなかった。
 それに、マリンは他の子とは違ってとても素直だった。
 嬉しい時にはぱっと喜ぶし、悲しい時は一緒に悲しんでくれる。勇気が足りない時は、
今の様に思い切って「行こう!」と言ってくれる子なのだ。
 そんなマリンは、リーハにとっては大事な友達だったのだ。

「でも、『外』危ないし……夜行くと魔物に会うかもしれないから、朝早くがいいかな?!」
 興奮気味に話すマリンに、リーハはしーっ! と口先に人差し指を当てる。
「わわ、ごめん」
 慌てて口を押さえるマリンに、リーハはまた笑ってしまう。
「こんな辺境の地、何処に居ても危ないよ。それに、先週国王の騎士団が周りの魔物を一
掃していったって、パパ言ってたし」
「なら暫くは安全だし、大丈夫だね!」
 マリンは小さな声でグッとガッツポーズをしてみせる。
 学校ではこんな笑顔を見せないマリンも、リーハの前では本当の自分を出せるのだった。

 マリンにとっても、リーハは大事な大事な親友だった。
 人と上手く関われない自分を、リーハはなんの偏見もなく接してくれる。
 マリンはリーハの為だったら、何でも頑張れるのだった。
 だからこそ、リーハにだけ明かしている秘密もあった。

「それに、マリンには強力な味方がいるもんね。ふふ」
「うん。危なくなったら教えてくれる、この子がいるもん!」
 マリンの茶色の瞳がきゅんと光る。
 マリンの肩の上には、白い少年の姿をした小さな精霊が腰掛けていた。
 ニコニコとしているマリンに、リーハも笑顔を返す。
「私には見えないけど、居るの、信じてるよ?」
 リーハはマリンの肩の辺りに向かって、ひらひらと手を振った。
 白い精霊はそれに答えてひらひらと手を振り返したが、もちろんリーハには見えていな
い。
「二人だけの」
「秘密」
 二人は小指を絡ませて、にこりと笑いあう。


 マリンに精霊が見えている事。


 それは二人だけの秘密だった。

 本来ならば優遇されるであろうその能力は、この村では異端の力だった。
 昔、村が魔法使いに襲われた事がきっかけで、村では魔法の力は忌み嫌われていたのだ
った。
 辺境の村を魔物や盗賊から守る為、村民達は武器を手に取った。生きる為に身に着けた
剣術等は村を守る十分な力となった。それによって魔法が必要ないまでになっていたのも、
魔法が廃れた原因になっていた。
 さらには砂漠近くの辺境の村というのにも問題があった。
 小さな村故に旅の者が来る事なども殆どないので、魔法に対する誤解が解けることは無
く、精霊が見える者ですら冷たい眼で見られる、そんな村になってしまったのだった。  

 それでなくても、人付き合いが苦手なマリンだ。
 精霊まで見えると分かったら、決定的につまはじきにされてしまう事は間違いない。

 だからこそ、この事は二人だけの秘密なのだった。
 親にすらはっきりと話していないこの秘密は、二人を繋ぐ強力な絆の証でもあった。     

「それにしても、リーハは優しいね。お母さんの誕生日の為に、花を『外』に取りにいこ
うなんて、私じゃ絶対考えないよ」
 マリンはお皿に盛られているクッキーを一つ手にとってぽいと口に放り込む。
 彼女の手製のクッキーはサクサクと美味しくて、マリンは大好きだった。 
 口の中であっという間に消えていくのが切なくて、マリンは再び皿に手を伸ばす。
「え、マリンはマリンのママがもし花が好きで…とかだったら、行かないの?」
「……どうかなぁ」
 クッキーをもごもごとさせながら、マリンは眼をそらす。
「お母さん、怖いから。叩くもん。……いっぱい」
「マリンのママ、厳しいもんね……」
 マリンの母親は厳しい人だという事を、リーハは良く知っていた。
 でも、マリンがそれ以上に母親へ思いを寄せていることもリーハには分かっていた。
「でも、……喜ばせてはあげたいんだ」
「……うん」
 リーハの心の奥を掴むような言葉に、マリンは言葉を詰まらせる。
 じわりと涙の滲むマリンの手を、リーハはぎゅっと握り締めた。
 リーハの温もりが嬉しくて、堤防が決壊するようにマリンの目からぽろぽろと涙がこぼ
れだした。
「泣かないで、マリン」
「ごめんね、ごめんね、ぐす」
 しゃっくりあげるマリンの手を、リーハはさらにぎゅっと握り締める。
「私、リーハの、為だったら、絶対、取りに、行くよ。ぐすっ…」
「マリン……」
 マリンは家でも寂しい思いをしている事を、リーハは知っていた。
 だから、もう日が暮れるこんなぎりぎりの時間まで一緒に遊んでいる事も。
 でも、泣いているマリンなんて見たくない。
 だから、リーハは一番良い笑顔で、マリンに微笑みかけた。
「明日は……よろしくね! 頼りにしてるんだよ?」
「うん、いごうね゛」
 泣いているせいでまともに喋れず、鼻水まみれのマリンを、リーハはぎゅっと抱きしめ
た。

 二人は親友。
 心は何時だって隣に居るのだ。

「明日、朝の六時に村のこっそり出口で、見つからないように、そっと行こうね」
 言うまでもなく、子供が村の『外』へ出ることは禁止されている。
 だが、村の子供達には外へ行く事はちょっとした冒険であって、好奇心が先に立って危
険は二の次だ。
 でもこの二人は、ただの好奇心で外へ行く訳ではない。
 大好きな母へのプレゼントを取りに行く為だ。
 冒険や好奇心なんかよりも大きな気持ちが、普段『外』に行かない二人を動かしていた
のだ。
「うん、こっそり、出口で、六時に、了解、だよ」
 早起きが苦手なマリンだったが、リーハの為ならこれっぽっちも辛くない。
 リーハと、リーハの大好きな母の為の一大作戦だ。
「初めてだね、子供だけで外に行くの」
「初めて、だよ、でも、きっと、大丈夫」
 泣きながらマリンはにこりと笑い、ぐっと親指を立てた。

     2  

「マリン! こっちこっち! 今よ、大丈夫!」
 小声で呼びかけるリーハに答えて、マリンは音を立てないようにそっと走った。
 早朝の靄に紛れて、走る影が二つ。
 村はずれのメリーおばあさんの家の庭にこっそり侵入した二人が、きょろきょろと辺り
を伺う。
 庭の裏手、そこには子供達だけが知っている秘密の出口があるのだ。
 通称、こっそり出口。
 村の外周は外敵に備えて煉瓦の壁で囲まれているのだが、庭の角にある外周壁の草に隠
れた所には、子供一人が通れる小さな穴が開いているのだった。
 マリン達はそそくさと庭の草むらに隠れて、小さな声で話し出す。
「マリン、お母さんには見つからなかった?」
 草むらからはみ出すスカートを必死に纏めながら、マリンはこくんと頷いた。
「うん、多分。怖かった……」
 マリン達は見つかった時の為に、自分のベッドの上にそれぞれ手紙をおいてきた。

『二人で遊びに行って来ます。朝ごはんは、食べたから大丈夫』

 本当は朝ごはんなんて食べていないのだが、早く見つけて急いで帰って来て、お昼を何
食わぬ顔で食べれば怪しまれる事も無い筈だ。
 いつもならおなかがすいたり、眠かったりでとても集中できる状態ではないはずだった
が、今日は二人ともかなり気合が入っていたせいでそんな事は問題ではなかった。
「よし、じゃあ、準備するね」
 マリンはきゅんと瞳を光らせて、精霊に話かけた。 
 一大作戦という事で、緊張して声が若干震えてしまう。
「危なくなったら、いつもみたいに教えて下さい。迷った時も、お願いします。では、よ
ろしくお願いします」
 マリンはぺこりと頭を下げて、精霊にお願いした。
 小さな主の必死のお願いに、精霊は小さく笑ってマリンの頭上へと飛んでいく。
 一定の高さにまで来たら精霊はぴたりと制止し、きらりと光った。
「ん、大丈夫、見ててくれるって! 行こう、リーハ!」
「うん! マリン!」
 二人は穴を抜け出し、村の『外』に立つ。
 早朝ということもあってひんやりとしていたが、二人で手を繋げば寒くなんか無いし、
何も怖くは無い。
「さぁ、お花を探しに!」
「ママの好きな、グリンミントを探しに!」
 二人は勢い良く走り出した。
 村の少し離れた丘に咲く、小さな黄色い花を目指して。


 荒野とも言うべき村の周辺は、ここ十年ですっかり緑に覆われてちょっとした草原の様
になっていた。
 ある意味で異常気象だったが、緑化した事を悲しむ住民などおらずむしろ住民達はそれ
を歓迎していた。
 殺伐とした丘はそれまで生えていなかった草や花で覆われていて、とても砂漠の近くと
は思えぬ程に美しい丘へと変わっていた。
 だがマリン達には、それはさほど驚く光景ではなかった。
 物心ついた時にはもうこの丘は緑に覆われていたからだ。 
「急いで探そうね!」
「マリン、競争だよ? どっちが早くお花十五本探せるか!」
 リーハの母は今日で三十になる。
 リーハは、花を歳の数だけ母にプレゼントする予定なのだ。

「よーい……」
「どん!」  

 二人はがばっとしゃがみ込み、足元を丁寧に探し始める。
 クローバー、シロツメクサ、スミレ。
 沢山の草の中から時々見つかるグリンミントの花を、ちぎっては籠に入れ、ちぎっては
籠に入れをひたすら繰り返す。
 時々、互いのお尻をぶつけたり飛び出す虫に驚いたりしながら、二人は必死に探した。 
 わき目もふらず頑張ったせいかあっという間に数に達し、「十五!」と叫んだのは二人
同時だった。
「い、以外に早く、いけたね!」
「ほ、ほんとね、はぁ、はぁ」
 互いに籠の中身を見せ合いながら、二人は草原に腰を下ろした。
 心地よい春風が二人の頬を優しく撫で、丘の草を揺らす。
「あ、これ、昨日の残り、持って来たの」
 ふと思い出した様に、リーハは籠の奥からレースのハンカチに包まれた物を取り出し、
マリンに見せた。
「何々? 開けて良いの?」
 頷くリーハを確認してからマリンがそっとハンカチを広げると、クッキーがきっちり十
個包まれていたのだった。
 それを見てマリンの顔がぱぁっと明るくなる。
「わあああっ! 大好きクッキーだー!」
「朝ごはんの代わりになるかなって。五個づつ……って思ったけど、マリンに一個多くあ
げるね」
 リーハはマリンのスカートにもう一枚ハンカチを広げて、そこに六つクッキーを乗せる。
「え!? だめだよ、半分こに……!」
 そう言いながらも、マリンの目はクッキーに釘付けだ。
 だめだと言いながら目を輝かせるマリンが可笑しくて、リーハはつい笑ってしまう。
「いいの、お礼だよ。一緒に来てくれたもん。それに、こういう秘密、絶対守ってくれる
のってマリンくらいだよ」
「わー、じゃあ、貰っちゃう! んー! 美味しい!」
 早速クッキーを口に放り込んで、マリンは幸せそうに首を振った。
「マリン、おいしそうに食べてくれるから嬉しいー」
「美味しいもん! すっごく美味しい! っていうか、一人で作れる事が既に凄い!」
 必死に力説するマリンに、リーハが得意げにポケットから小さな紙を取り出した。
「そう言うと思って、じゃじゃーん。作り方、書いておいたよ」
「嘘!? 本当!?」
 マリンは驚きながらも、その紙を広げてみる。
 そこには綺麗な文字で丁寧にクッキーの作り方が書いてあった。
 一人で作る時も分かりやすいようにと絵が描いてあるその紙を、マリンは大事そうに胸
に当てた。
「わぁ……、こんな綺麗に書いてくれて……ありがとう」
「ふふ、どういたしまして〜」
 リーハは自分の分のクッキーをしょりしょりと食べながら、にこりと微笑んだ。
「でも、作れるかな……」
「大丈夫だよ。意外に簡単なんだよ? 私、マリンのクッキー、楽しみにしてるからね」
「え!? うわ、リーハに楽しみにされたら……頑張ろうかな」
 真っ赤に照れて、マリンは俯く。
「んじゃ、帰ろ? 予定より大分早く帰れそう……あれ? マリン?」
 リーハは立ち上がってスカートについたクッキーの粉を払った。だが、一向に立ち上が
らないマリンに、首を傾げる。
 マリンの目はきらりと光っていて、ぼーっと宙を見つめている。
 マリンがそんな風になっている時は、精霊の声を聴いている時という証拠だ。
 リーハは静かにして、マリンが話し出すのを待った。
「大変……リーハ、逃げよう」
「……え?」
 マリンの硬い表情とその口から零れた言葉に、リーハは一瞬戸惑った。
「……魔物が来る」
「嘘……!?」
 リーハは真っ青になって首を振った。
「む、村に急いで帰ろ! マリン!」
「だ、だめ!」
「?!」
 村へ向かって走り出すリーハの手を、マリンがグッと引き止める。
「だめ、魔物、村の方から来てる……! しかもいっぱい……!?」
 泣きそうになるのを必死で押さえながら、顔面蒼白のマリンは首を振った。
「と、とにかく反対側、国境の方へ逃げよ!」
 リーハはマリンの手をぎゅっと握り返す。
「マリン、ごめんね、私が『外』へ行こうなんて言ったから……!」
「言いっこ無しだよ! 私だって、止めなかったもん……!」
 目に涙をいっぱい溜めて、二人は丘の向こう目指して走り出した。

       3

 二人は必死に走った。
 草原の丘を越えて、足場の悪い荒地に差し掛かったところで、不意にリーハは足を止め
た。
「い、今の!?」
 マリンも立ち止まり、ぜぇぜぇと息を荒げながらかろうじて返事をする。
「き、聞こえ、た」
 丘の向こうから聞こえていた、魔物たちの嘶き。
(マリン、もう走れなさそう……)
 リーハは歳のわりには健脚だったが、マリンは運動が苦手だ。
 体もマリンのほうがひとまわり小さい。
 今にも倒れそうなほど息を切らせたマリンを見て、リーハは周りを見回した。
 周りにあるのは複数の大人二人分ほどの大きな岩と、延々と続く荒地だ。
「マリン、こっち!」
 いまだ呼吸が整わないマリンの手を引いて、リーハは大岩に駆け寄った。
 寄り添うような三つの大きな岩の隙間にもぐりこみ、決して外からは見えない場所に二
人で息を潜める。
「ご、ごめんね、走れなく…て」
「仕方ないよ。とりあえず、魔物があっち行くまで、此処にいよう?」
 マリンは、いつも自分がリーハの足をひっぱっている様に感じていた。
 そして今もまた。
 泣きそうになるのを必死で堪えて、マリンは今自分に出来そうな事を必死で考えた。
(そうだ、精霊!)
 不意にその存在を思いだして顔を上げる。
 マリンは意識を集中させて一番仲の良い白い精霊を探した。だが、いつも必ず自分のす
ぐ近くに居るはずの彼が何処にも居ない。頭上に居るわけでもなく、気配すら感じない。
(え!? 嘘!)
 慌てて彼以外のいつも一緒に居てくれる2匹の精霊に話しかけようとするものの、彼ら
もどこかに行ってしまったのか姿が見えなかった。
「どうしたの? マリン」
 動揺しているマリンに気付いてリーハは小さく呟いた。
「み、みんな……、居ない」
「もしかして、精霊が……?」
 真っ青になったマリンに、リーハが問いかける。
 マリンは小さく頷いて、カタカタと震えだした。
「ごめんね、ごめんね、私……役立たずだ」
「……マリン、私怒るよ?」
 急に低い声で話すリーハに驚いて、マリンはビクリとなる。
「マリン、そんな事、言わないで。私、マリンの事そんな風に思ったこと無い」
「でも……」
「マリン」
 リーハはマリンの両手をグッと握り、おでこをぴたりとくっつけた。
「マリン、わかる? 私だって、震えてるんだよ?」
 おでこから、握られた両の手から、僅かな振動が伝わってくる。
「マリンも怖いと思うけど、私も怖いし、無力だよ? でもね、パニックにならずにこう
して落ち着いて考えられるのは、マリンが居るからなんだよ。だから……!」
 そこまで話してリーハはぐっと息を止めた。

「な、雌の餓鬼の匂いがするよな」
「するな」

 低く卑しいにごった声、時折ふごふごと聴こえる音で、二人は同時に自分達を追ってい
た魔物が何だったのかを理解した。
(オーク……!!)
 二人はそっと岩の隙間から外を伺う。
 隙間から見えたのは複数のオークだった。
 毛深く屈強な体に、豚めいた野卑な顔。口からはだらしなくよだれをたらしたオーク達
はくんくんと鼻を鳴らして嬉しそうに目を細めていた。
「な、旨そうな匂いするよな」
「食う前にやりてぇ」
「俺はくいてぇ」
「あいつら、今頃腹いっぱいだぜ?」
「俺達だって、くいてぇよな」
 数は八体。
 オーク達はそれぞれ鼻を鳴らしながら、僅かに残る匂いを頼りに必死に二人を探してい
る様だった。
「な、見つけたやつが、最初に食うってのでどうだ?」
「や、やべ、興奮、してきた」
 嗜虐への喜びと激しい食欲の入り混じった声。
 まるでゲームを楽しむような感覚で、オークたちは辺りを探り始めた。

 恐ろしいオークたちの会話に、二人の恐怖は頂点に達しようとしていた。
 ただ抱き合って息を殺し、震えを必死に押さえつける。
 オークたちの声を聴く度に嫌な汗が体全体を包み込み、あまりの恐怖で二人とも目を見
開いていた。  

「みつけたぁああああああああっ!」

 突然真上から聞こえてきたオークの大声に、マリンたちはびくりと体を震わせる。
「ひ……あ……!」
 恐る恐る上を見上げると、大岩の上にまたがったオークが岩の隙間から目を輝かせてい
たのだった。
「あ、あ、あ」
 叫ぼうにも恐怖で声は出ず、呼吸すらままならない。
 マリンはひっ、ひっ、と浅く呼吸しながら、リーハを抱きしめる。
 リーハもまた、呼吸すら出来ずにマリンに顔を埋めていた。
「岩のけろぉ!」
「手伝うから、味見させろよ?」
 オークたちは大きな岩の中でも一番動かせそうな岩を押し始めた。
 魔物は渾身の力で岩を押して、その隙間に手を差し込み更に岩を横へとずらしていく。
「や、や、やめ……」
 じりじりと岩が開き、差し込んだ太陽の光が二人を照らす。
「ま、マリ、ン!」
「リー、ハ、リー……!」
 瞬間、リーハの体が宙を舞った。
 その勢いに巻き込まれてリーハの籠が宙を舞い、花がふわっと辺りに散る。
「や……、やああああああああああ!?」
 掠れたリーハの叫び声。リーハはオークに掴まれたのだった。
「こっちの方が、肉ついてるな」
「体も育ってるから、やれるかなぁ」
 二匹のオークがリーハの服を強引に引き裂き、リーハの頬に豚の様な鼻を摺り寄せた。
「リーハァああああああああ!」
「マリンーーーーーーー!」
 鼓動が激しく暴れ、吐きそうになりながらもマリンはリーハの名を必死に呼んだ。
 だが次の瞬間、オークはマリンの細い腕を掴み軽々と宙にぶら下げると、更にマリンの
口をその手でがっしりと塞いだ。
 ベトベトとしたオークの手は気持ち悪く、臭くてたまらない。
 必死に逃れようとするが、恐怖で体が動かず涙のせいで視界も悪い。
 ついに、マリンは耐え切れず一気に胃の中のものを吐き出すと、オークは咄嗟に手を避
け、それでも楽しそうにごふごふと笑うのだった。
「こっちのは細いが、食え無い事もなさそうだ」
「骨ごと、骨ごと食えば、問題なくね?」
 邪魔だと言わんばかりに服を引きちぎり、オーク達は鼻をひくつかせる。
「精霊、せい……!」
「あ、この娘、精霊がどうとか言ってるぜ?」
 必死のマリンの呼びかけを、オークは鼻で笑い飛ばした。
「娘、お前が精霊をつかえてもな。これがいる限り、お前は精霊を使えない」
 オークは鳥籠に入れられた、黒い靄をマリンに突きつけた。
「スピリット・イーター、精霊食らいだ。きっとお前のは食われちまったんだ!」
「……!?」
 マリンがぐっと目を見開いたその時、横から濁った悲鳴が聴こえた。
「ごぼっ、ごぼっ、マリ……マリ……」
「リーハぁ……!」
 リーハの方を見ようとするものの、涙でかすんで良く見えない。
 リーハの悲鳴を聞いたマリンの周りのオークたちがニィっと笑う。
「面白い事やってんなぁ。俺達もアレやろうぜ?」
「な、ひひ」
 半裸のマリンを無理やり地面に立たせ、オークたちがマリンの頭を掴んだその時だった。


 真っ白の光の帯。
 まばゆいばかりの閃光が横一閃に駆け抜ける。


「その娘達を……放せ!」

 低い落ちついた、そして怒りの込められた声。
 涙の向こうに見えたのは、茶色のマントを羽織った男だった。

     4

 男は杖を振りかざし、何かを呟く。
 すると精霊がそれに答え、男の魔力を飲み込みふわりと宙を舞った。
「!?」
 目に見える程の風の刃が籠を持ったオークの右腕があっさりと切断し、腕は籠と共に地
面に転がり落ちる。
 男は杖を振りかざし風の刃をUターンさせると、籠の中身とオークたちを切り刻みその
半数が一気に大地に崩れ落ちた。
「な、何だ!?」
 転がり落ちた仲間の生首に、オークたちが一斉に顔を上げる。
 突然の事に慌てふためくオークを尻目に、男は更に言葉を紡いだ。
「風に踊りし精霊よ、我が命を受け、敵を払え!」
 男の右手から一気に魔力が放出され、それを受けて複数の精霊が力を解き放った。

 それは一瞬の出来事だった。

 静寂の中、へたり込んだマリンが見た物は、肉片と化したオーク達と地面に倒れこんだ
リーハ。
 マリンはよろりと立ち上がると、ふらりふらりと歩き出す。
「……、リー…ハ? リーハ?」
 服を僅かに纏っただけのリーハは、うつ伏せに寝転んだままピクリとも動かない。
「リーハ、リーハ」
 マリンがゆさゆさと揺らしてもリーハの反応はなく、そして体は冷たくなっていた。
「リー……!!」
 マリンがリーハの顔を見ようとしたその時、大きな手によって視界を塞がれた。
「見てはいけない……、少しこのまま、待つんだ」
 何処かやさしく、悲しみに満ちた男の声。
 暖かな手に視界を遮られたまま、マリンは言われたとおりにじっとしていた。
 マリンが大人しくしているのを確認して、男は何かを呟く。
 その言葉に反応して辺りに水の気配が充満し、やがてそれが水の固まりへと変化してい
った。水は横たわるリーハを包み込み、全てを洗い流していく。
 不意に聞こえた水の音に、マリンは口を開いた。
「……、お兄さんは、神様なの?」
「……まさか」
 男は苦笑し、水を操り続ける。
「でもお兄さんは、風を呼んで操って、今は水の音がする……」 
「……そうか。魔法を、知らないのか」
 男はすっとマリンの目を隠していた手を退けて、マリンに合図する。
 マリンはそっと目を開けると、そこにはまるでお風呂上りの様な状態のリーハが寝転ん
でいた。
 綺麗な寝顔だった。
 濡れた栗色の髪の毛をそっと撫でて、マリンはリーハに頬に触れる。
 微動だにしないリーハは、まるで出来の良い人形のようだった。
「リーハ……、動かない、息、してない」
 男のマントを掴み、マリンは呟いた。
 男は浅く頷きしゃがみ込むと、マリンの目線に合わせて話しかけた。
「殺されてしまったんだ。……君しか助けられなかった、すまない。折角彼らが私を呼び
に来たと言うのに……」
 男がマントを広げると、中からいつも一緒に居たあの3匹の妖精がばっと飛び出す。
 マリンの瞳がキュンと反応し、きらりと光る。
「みんなぁ…!」
 精霊達はマリン達を助けようと必死に男を導いたのだろう。マリンには彼らが少し疲れ
ているように見えた。
「そっか……、みんな、助けを呼びに……行ってくれてたんだね」
 精霊と会話し、彼らを抱きしめる少女を見て、男は驚きの表情を見せた。
「……、彼らは『君の精霊』……か?」
「うん。ずっと一緒だよ」
 三匹の精霊に囲まれたマリンは、こくんと頷いた。
 白い少年の形をした精霊、炎を纏ったような人型の精霊、それに象の形をした小さな精
霊。それを確認した男は驚いた表情のまま言葉を詰まらせる。
「お兄さん、どうしよう。リーハ、起きなかったら……私……」
 マリンは呆然となり、震えながらリーハを見下ろしていた。
 男は自分の纏っていたフードとマントを外し、震えるマリンにそっと纏わせる。
「大丈夫だ。事情は私が説明しよう。君達はこの先の村の住民だろう? とにかく、一緒
に村へ行こう」
 男はリーハを背負い、マリンを抱きかかえた。
 その時、マリンは初めて男の顔を見たのだった。

 さらさらと風になびく漆黒の黒髪。
 日の光を反射して、キラキラと輝く金色の双眸。
 歳は二十代前半だろうか。

 マリンは暫く男を眺めた後、背中に背負われたリーハに視線を移した。  
「リーハ……よかったね、食べられなくて。おうちに帰ろうね」
 マリンは冷たくなったリーハの手をとり、それを頬にあてた。
 頭はぼーっとしていた。
 あまりの突然の出来事に、何も考えられず、そして考えたくなかった。
 男に抱えられたまま、マリンは丘を越える。
 風が轟々と啼いていた。
 風向きが変わったのだろう、砂漠から吹く熱い風が強く男の背中を押している。
 マリンはリーハの手を握ったまま、男の胸にもたれかかっていた。
 沢山戦ってきた戦士のような胸は疲れた少女に安心感を与え、それに答えるようにマリ
ンはすっと目を細めた。

 丘を越えるか越えないかというところで、男の足がぴたりと止まった。 
「……、なんと言う事だ」
 押し殺すようなそして僅かに震える低い声に、マリンはふと顔を上げる。
 丘の向こうの村のある方角。
 そこは赤い色に覆われ、幾筋もの白い線が風に流れて揺らめいていた。
「リニヤの……村が、燃えて……る?」
 マリン目がきゅんと光り、遠くの景色を引き寄せる。
 赤い色は炎。白い線は煙。
 村のあるべき場所は炎に包まれ、そこでオークの群れが叫んでいるのが見えた。
「あいつ等……! 村を襲っているのが本隊だったのか!」
 男の金色の瞳に、怒りの火が灯る。
 マリンとリーハを背負ったまま、男は一気に丘を駆け下りた。

          5

「村が、村が燃えてる、オークがいる」
 マリンは男の腕の中で、震えながら呟いた。
「……、オークがいるのが、見えたのか?」
 男は丘を駆け下りながら、マリンに問いかけた。
 はっきり言って、丘と村の距離は人間サイズの物を見分けられるような距離では無い。
「うん。見えたよ。時々、遠くの物が近くに見える。精霊を、見るときと、一緒の感じ」
「……そうか」
 男は短く答えると、ほんの少しその表情を緩め小さく頷いた。
 何かを決心したような、そんな表情だった。
「君の名は?」
 男は炎に覆われた村の入り口の近くに立ち、マリンとリーハを降ろした。
「私は……、マリン」
「マリン……マリンか」
 男は穏やかな表情で座り込んだマリンの頭を撫でると、再び魔眼の事象のレベルを上げ
て村をざっと見渡した。だが、その表情は途端に険しい物に変わっていった。
 魔物以外の生き物の気配が全く捉えられなかったのだ。
 村はもう八割方燃えてしまっており、村人は全滅していると断言できる状況だった。
 オークは決して普通の人の倒せる魔物ではない。だが、この村の住人は剣に長けている
のだ。
 そんな村民が全滅するには理由があった。

 燃える炎に囲まれながらも、堂々とその場にて人を喰らう数十のオークを従えた一際巨
大なオーク。
 体中に刺青を施し、禍々しい笑みを浮かべ笑うそのオークの名はヴォークス。
 この辺り一帯をオークを束ねる『指揮官』とも言うべき存在がこの巨大なオークだった。
 オークは決して知能が高いわけではない。だが、彼らの強さはその肉体能力の高さにあ
る。そんな彼らを、彼らを率いる優秀な指揮官がもし居たとしたらどうなるのか。

 それは残忍で強欲な、恐ろしい軍隊が出来上がるのだ。

 流石のリニヤの村民も、集団の、ましてや統率のとれたオークの大群に勝てるだけの力
は持ち合わせていなかったのだ。
 グランディオーソの王がヴォークスの存在を知り、討伐隊を出したのが一週間前。
 だが彼らを打ち倒すのは簡単な事ではなかった。
 指揮されたオーク達は、騎士達を翻弄し、必死に追って来る騎士達を嘲笑うかのように
コン・アニマの砂漠へと逃げたのだった。
 勝ち目の無い戦いはしない。只突進するだけのオークとは違い、知性を持つヴォークス
はそう考えていたのだった。
 だが、流石の騎士団も国境を越えて逃げられては追う事が出来なかった。
 魔物には国境など関係ないのだ。
 砂漠の向こうで笑うオーク達を睨みながら、騎士団は仕方なく狩れるだけのオークを狩
って帰ったのだった。


 渇いた風と、きな臭い匂いの漂う中。
 何かに気付いたのか、強欲な指揮官がニヤリと口の端を歪める。
 その濁った目の中には、新たに現われた食べ物が映っていた。
 指揮官は血まみれの斧を振りかざし、たった一声叫んだ。
 その声にこたえて、一斉にオーク達が二人に向かって襲い掛かる。 

 男は背を向けたまま、手に持った杖をすっと天に翳した。

「マリン、これから起こることを良く見ておくんだよ」
 燃える炎と迫るオーク達の前に震える少女を庇うように立ち、男は金色の瞳をマリンに
向けた。

「……私の名は、アーク。これから君に『魔法』を見せよう。おそらくは君も使える、君
を護る力となる技を」  

 男は杖を翳し小さく呪文を唱えると、魔力が体から一気に溢れだした。
 その魔力に反応して、マリンの茶色の瞳がキュンと光を帯びる。 
「マリンの精霊達よ。力を見せる時だ」
 金の瞳が鋭く光る。
 すると、マリンの傍らに寄り添っていた象の姿をした精霊が、その瞳に、その魔力に惹
かれるようにすぅっと飛んでいく。
「精霊…さん?」
 自分から離れていく精霊を不安げに見つめる少女に、肩に居た白い精霊が口を開いた。
「大丈夫、見ていてご覧。あれが独りになってしまった君を護る……僕達の力だ」
「え……!? う、うん」
 めったに話さない精霊の声に驚きつつも、マリンは小さく頷いた。
「さぁ、君の主の為に、力を解放するんだ」
 男は常人に聞き取れないほどの速さで言葉を紡ぎ、精霊に魔力と指示を与える。
 精霊はその指示に耳を傾け、魔力を喰らい、そして大地が揺れ始めた。
「地震……?!」
 マリンが今まで感じた事も無いような地響きと揺れが、辺りを包んだ。
 揺れに耐え切れず、マリンは思わずその場に伏せた。
 その揺れに飲まれて、オーク達は一気に陣形を崩す。
「きゃ、きゃああああっ!?」

 轟音と共に、炎に包まれた村が一気に砂埃に包まれ、そして――。    

「マリン、……見てご覧」
 穏やかな声に促されて、マリンはおそるおそる目を開けた。 

「……、村が……無くなっちゃった。オークもいなくなっちゃった」  

 マリンの目に映ったのは、広大な茶色の大地だった。
 僅かに余韻で響く地鳴りの音と、柔らかい微風のさわさわと囁く音だけがマリンの耳を
掠めていく。
 まるで耕された広大な畑の様になってしまった村を前にして、マリンはただ驚くしか出
来なかった。
「ねぇ、何が……起こったの?」
 首を傾げるマリンに、アークはしゃがんで目線を合わせて答えた。
「オークたちを、地中の奥深くに閉じ込めたんだ。死んでしまった……村の人達も一緒に
ね」
「みんな……? お母さんも、お父さんも?」
「あぁ、そうだよ。人は土に還らないと、彷徨える霊となる。悲惨な死に方をすればする
程にね。後は祈りを捧げて、彼らの魂をを天に還すんだ。だから村ごと大きなお墓にした
んだ」
 マリンにはアークの言っている事が半分も理解できなかった。
 だが、とりあえず皆死んでしまった事と、村が巨大な墓になった事だけは理解できた。
「オークは?」
「おそらく死んだだろう。あれだけのオークを一気にやっつけるとなると、大きな魔法が
必要になるんだ。だから、君の<地>の精霊を借りたんだ」
 そう言うと、アークは足元に居る象の形をした精霊にすっと頭を下げた。
 精霊はふるふると首を横に振り、そして少し悲しそうな表情でマリンに擦り寄った。
「そっか。凄いんだね、精霊って。ありがとうね。……タキオン、悲しそうにしないで?
お母さん達が死んじゃっても、私は平気。……みんながいるもの」
 タキオンと呼ばれた精霊は長い鼻を持ち上げるとマリンの手にくるりと絡ませた。
 他の精霊達もすすっと寄り添い、マリンもそれに答えるように彼らを撫でた。
「その<地>の精霊、タキオンという名が付いているのか?」
「うん、みんなちゃんと名前があるよ? フォロイにエレイドにタキオン」
 にこりと笑い、少女は精霊を抱きしめた。
「……そうか」
 アークはマリンの頭を撫でて、すっと立ち上がった。
「さ……、この少女も葬ってやらねばな」
 アークはリーハを村の入り口であった場所に横たえると、その傍に魔法で深い穴を開け
る。幼い少女の前で酷な様な気がしたが、このまま放置しておくわけにもいかない。精霊
に囲まれ、少し落ち着きを取り戻した少女の肩を、アークはそっと抱いた。
「さ、マリン。……お別れを」
 アークに促され、彼に寄りかかりながらもマリンはゆっくりと立ち上がる。  

「リーハ……」
 マリンはリーハの顔を覗きこみ、そっと頬に触れる。

 目の前に居るのは、一番大好きだった友達。
 心から通い合った、親友。
 最後までマリンの名を呼んでいた、やさしいやさしいリーハ。

 冷たくなった頬に手が触れた瞬間、マリンの目から堰を切ったように涙が溢れ出した。
「リーハ……死んじゃったんだ……!」
 マリンはやっと、リーハが死んでしまったんだということを理解した気がした。
 あのやさしかったリーハは、もう『マリン』と呼んではくれないのだ。
 今まで止まっていた感情が急激に動き出す。
 一気に悲しさや切なさが溢れ出し、激しい嵐の様に心を揺らした。
「ごめんね! ごめんね! リーハあああああああああっ!」
 冷たくなったリーハに抱きつき、マリンは声を上げて泣いた。
 あやまってもリーハは戻ってこない事など分かってはいたが、謝らずにはいられなかっ
たのだった。
 零れ落ちていく涙がいくつもいくつもリーハの頬にかかり、リーハの頬を濡らしていく。
 マリンは隣で見守っている男にしがみつくと、激しく首を振った。
「あのね、あのね、私達が、村を抜け出したから! だから! リーハが!」
 泣きながら必死に訴える少女を、アークはすっと抱き寄せた。
 自分達のちょっとした悪事が大事になってしまい、その事がマリンの心を激しく責めて
いたのだった。
 だが、アークはそう考えてはいなかった。
 しゃっくりあげるマリンの背中を撫で、アークは優しく話しかける。
「マリン、私に言わせれば、君は村を離れたから助かったんだ」
「でも! リーハが!」
「見ただろう? 村に帰ってきた時に、もう村人は一人も生きては居なかった。つまり、
マリン達が村に居たら……おそらく二人とももっと早くに死んでいただろう。良いかい?
リーハは死んでしまった。もう帰ってはこない。起きてしまった事はもうどうしようもな
いんだ。だけどね、マリン」
 くしゃくしゃになった顔でしがみつくマリンに、アークは諭すように言葉を続けた。
「生きているものは、死んだ者を悲しませてはいけない。マリン、君はリーハの分も、生
きればいいんだ。『マリンは元気にやっているんだ』って、空でリーハが安心できるよう
にね。マリンは、こうして生きているんだから」
 アークのその言葉は、何処か自分に言い聞かせているようなそんな言葉だった。
 マリンはアークの話を聞きながら、うん、うん、と頷いた。
「さ、マリン……さよならを。このままではリーハが寒がるだろう? 大地のベッドに寝
かせてやろう」
 アークはそっと穴にリーハを横たえると、小さく呪文を唱えた。
 その呪文に反応して土が雪のようにリーハに舞い降り、リーハの姿を隠していく。
「うわあああああああああああああああああ!」
 マリンは只泣きながら、埋まっていくリーハを見つめていた。
 リーハの小さな体はあっという間に見えなくなってしまう。
 止まらない涙を拭いながら、必死に心の中で別れを繰り返した。 

「……、さて、もう一仕事だ」
 泣くマリンを抱き上げ、アークは杖をリンと鳴らした。
「生き埋め程度で死んだとは思わないからな」
 厳しいアークの声に反応するように男の瞳孔が収縮し、人のものとは異なる縦のスリッ
トに固定される。
 魔眼とも人の目とも異なる魔力の滲んだ目は、土の奥に埋まったオークを捉えてギュン
と細くなる。
 アークの予想通り、生き埋めになったオークの指揮官は今だ息絶えることなく地上へ向
かってあがいていたのだった。
「酸素がないくらいでは死ねないだろうな、お前は。その刺青は魔力で書き上げた物。完
全に死ぬまで此処で封じられるが良い」
 アークは杖を振りかざすと、素早く呪文を唱えた。
 まるで歌うような不思議な響きのスペルに、マリンの涙が一瞬止まる。
 杖を村の中心部分に向け、アークは鞄から一つの種を取り出した。
「生命の木よ、魂に安らぎを。外道には戒めを」
 手の平の上の種が一気に芽吹き、いくつもの根と枝を延ばし葉をつけてどんどん伸びて
いく。それを足元へ放つと、根は一気に地を這い大地を握り締め、みるみるうち巨木とも
いえる立派な木へと成長していくのだった。
「木が……!?」
 驚くマリンを抱き上げたまま、アークは目をギュンと反応させる。
 地中深く伸びた根が地中のオークの指揮官を捉え、その体に絡みつきぐいぐいと縛って
いく。根を振りほどこうとヴォークスはもがいていたが、生命力溢れる木の力に負けてあ
っという間に木の根の籠に封じ込められてしまったのだった。
 それを確認するとアークは目を通常の魔眼に戻し、抱き上げたマリンを一層強く抱きし
めた。
「さぁ、祈ろう。死んでしまった、全員の冥福を」
「……っ、っ!」
 小さな手の平を重ねて、マリンは祈りを捧げた。
 祈りは暖かい風を呼び、そこに生えた巨木の葉と枝を揺らした。
 数分の静かな祈りの後、アークは口を開いた。
「マリン、私と共に……旅にでないか?」
 たった一人になってしまったマリンには、ついて行くという以外に選択肢が思いつかず、
素直にこくんと首を縦に動かした。
「魔法……、教えてくれる?」
「魔法、使ってみたいのか?」
「うん。……今ね、リーハに約束したの」
 マリンは涙を拭うと、にこりと笑って見せた。
「次にこんな事になった時、困らないように、魔法をマスターしてみせる! って」
 少女の強い意志に答えるように、アークは深く頷いた。

 こうしてマリンは魔法と出会い、生まれて初めて経験する『旅』が始まるのだった。
 男は目を伏せ、ただ少女を強く抱きしめていた。

     6

「……結局野宿ね」
 アークの傍らに居た精霊が不意に姿を表し、アークの肩に止まって小さく囁いた。
 アークは野宿になると途端に不機嫌になる男だったが、今日に限っては穏やかだ。
「君はずっと隠れていたね。できれば彼女の話し相手にでもなってくれれば良いんだが」
 マリンの居た村から数キロ離れた森の中で、焚き木に照らされ眠る少女を眺めながら男
は精霊に話しかけた。精霊は男の返事が答えになっていないことにいらついて、ふいっと
顔を背ける。
「やぁよ。……それに本当に連れて行く気? 『人と関わってはいけない』貴方が」
 精霊の厳しい問いかけに、アークはくっと眉を寄せる。
「この子はまだ幼い女の子だ。十歳だぞ? 放ってはおけない」
「いつものように、孤児院にでも届ければ良いじゃないの」
「……だめだ」
 精霊の問いかけに短く答えて、男は首をふった。
 泣きはらした少女の目は赤く腫れており、その右手はアークの左手を握っていた。
 あれからマリンは、アークの手を離そうとはしなかった。
 アークは別にそれを払う事も無く、むしろ離すまいと強く握っていた。
「この子は……きっと愛情が足りていないんだ。両親が死んでも、それよりも友を気にか
けていただろう?」
 アークの意外な言葉に、精霊は可愛い顔をくっと歪めた。
「なに? ずっと『一人』の貴方が『親』になるとでも? この子に愛を注ぐとでも言う
の?」
 精霊は少し小馬鹿にするようにアークの耳を引っ張った。
 少しむっとなったアークは、眉を寄せてアウルをちらりと見た。
「……可笑しいか?」
「止めなさい、……後悔するわよ?」
 精霊は険しい表情で、アークの耳をパンと叩いた。
 だがアークはそんな事聞いてもいないかの様に、穏やかな、少し切ないような表情のま
まマリンを眺めていた。
「この子は魔法の才能がある。誰に教えられたわけでもないのに、魔眼を行使できている
んだ。魔力は……普通の子供より少ないようだが、問題にはならないだろう。魔法を覚え
れば……今の世界なら一人になっても生きていける」
「はぁ!? 弟子を一人もとらずに拒み続けていた貴方が!? この子を弟子にするとでも言
うの!?」
 さらなるアークの発言に驚いて声を上げる精霊の口を、アークは咄嗟に塞ぐ。精霊もは
っと気付きマリンをちらりと見るが、幸い起きる様子は無い。
「大丈夫だ。そんなに長く一緒に居るつもりは無い。君の言いたい事も良く分かっている
つもりだ。だが…でもそれ以上に……ひとり立ち出来るまで……面倒……を……」
 急にアークの言葉が途切れ途切れになり、どさりとその場に崩れる。
「……あーあ、寝ちゃった。ホント、いつも突然寝るんだから」
 精霊は「はぁ」と溜息をつくと、森の隙間からちらちら覗く星を見て目を細めた。
「……寂しがりやなんだから。どんだけ『人』が……『この世界』が好きなのよ、貴方は」
 精霊は寄り添い眠る二人を眺めて、悲しそうに首を振った。
「ねぇアーク。私は何処までも貴方について行くわ? でも……、貴方の旅は何時まで続
くのかしら。彼女を……巻き込んだら私が許さないんだから」
 マリンから感じる、優しい魔力。
 精霊を惹き付ける不思議な魔力を、アウルは始めに見た時から感じていたのだった。
 まるで、この地に始めて着いた時に感じたような、大地を覆う心地の良い魔力と同種の
不思議な魔力。 

 精霊は小さな少女の顔の前にすっと降り立つと、マリンの瞼にそっと触れた。
 キラキラとした光と共に、すっと瞼の腫れが消えていく。

「ねぇ、マリン。少しで良いの。ほんの少し……この愚かな賢者の……慰めになってあげ
てくれる?」

 精霊は小さな声で、少女に問いかけた。
 少女は男の手を握ったまま穏やかな顔で眠っていた。
 森の向こうで、夜鳥の鳴く声が小さく響く。
 精霊は小さく笑うと、黒く流れる少女の髪にもぐりこみ目を閉じた。
 そして、二人のこれからの未来にそっと祈りを捧げるのだった。



 おわり
    
 
   


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