この記事は、『プラウダ』紙にも掲載され、さらには米国において8月10日付けのソヴィエト大使館による英字の機関紙にも掲載されました(Information
Bulletin ; Embassy of The Union of Soviet Socialist Republics Special
Issue August 10,
1942)。このアレクセイ・トルストイは、ソヴィエト政府お抱えの広報官とも言うべき人物で、ソヴィエト政府による文化面におけるプロパガンダの最前線で活躍していました。つまり、交響曲第7番をもっともらしく解説をするこの文章は、曲を聴く前から聴衆に対して、この曲が何を表現しようとしているか、そしてどう聴き、何に感動すべきかを巧みに誘導していくものであり、こうした曲の解釈がソヴィエトの国民だけでなく、世界中の人びとに対しても間違いなく広まっていったのでした。
ロシア語なのでショスタコーヴィチが何を話しているのかわかりませんが、同じシーンを見ることが出来る次の映像(『音楽ドキュメンタリー戦争シンフォニー〜ショスタコーヴィチの反抗』)では英語訳がついています(41分35秒から)。それによると、「戦い続けよう。そうすれば平和が来る。この曲について誰もが、人類の明るい未来のために血にまみれたファシズムと戦うことに捧げた作品だと胸を張って言える。」といった勇ましいスピーチになっていて、いかにも当局が用意した原稿であるということがわかります。つまり、この映像はソヴィエト当局によって宣伝用に演出され、撮影されたものであるということが言えるのではないでしょうか。なお、このショスタコーヴィチの演説が具体的に何時行なわれたかはわかっていませんが、おそらく交響曲第7番が演奏されたコンサート(モスクワ初演のとき?)が始まる前のステージ上で、客席後方の柱を見る限りモスクワにある労働組合の家の円柱ホール(
the Hall of the Columns, House of the Trade Unions, Moscow)であろうと思われます。
ケリー・ブリッケンスタッフは著書『Re-examining the Warhorse Shostakovich's Leningrad
Symphony』の中で、第7交響曲の第3主題(いわゆる『侵略のテーマ』)と、ショスタコーヴィチの歌劇『ムツケンスク郡のマクベス夫人』のボリスのモチーフを逆さにしたもの(inverted
Boris motif)の間に共通点があると指摘するディヴィッド・ファニングの著書を紹介しています(『Shostakovich Studies』
Edited by David Fanning, Cambridge University Press, 2009)。このinverted
Boris motif が具体的にどんなものかその著書を読んでいないので不明ですが、これも興味深い指摘と思われます。
では、ショスタコーヴィッチはここで何を言いたかったのでしょうか。このいわゆる『侵略のテーマ』について興味深い説を唱えている音楽学者がいます。1934年に共通の友人であるソレルチンスキーの紹介でショスタコーヴィチと知り合いになったAbram
Gozenpud
で、彼は当時、文豪ドストエフスキーと音楽に関する書物を出版しようとしていました。エリザベス・ウィルソンの著書『Shostakovich : A
Life Remembered』には次のように Gozenpud
の文章を紹介しています(p.519)。Gozenpud なる人物は、DVDの映像作品『音楽ドキュメンタリー戦争シンフォニー〜ショスタコーヴィチの反抗』の中でインタビューを受けていて、ショスタコーヴィチと直接コンタクトのあった人物ならではの興味深いコメントをされています。
では、この展開部でユダヤ音楽の痕跡はあるのでしょうか。ティモシー・ジャクソンは『Dmitry Shostakovich :
The Composer as Jew』(『Shostakovich Reconsidered』 by
Allan B. Ho and Dmitry Feofanov
p.617-619)の中で、ショスタコーヴィチの初期におけるユダヤ音楽の引用例として交響曲第7番第1楽章の展開部を『ダヴィデの詩篇』のエピソードと共に次のように紹介しています。「ユダヤ教会の音楽ではなく『クレズマー音楽』で殉教者した神のしもべたちを表現し、機械的に何度も繰り返されるフレーズでエルサレムのまわりを水のように神のしもべたちの血で流した異教徒たちであるファシストを表現している。このクレズマーの踊りは、この楽章のクライマックスで大爆発を起こす。」として下記の楽譜(練習番号41番)を示しています。
なお、ティモシー・ジャクソンは、交響曲第7番で出現するクレズマー音楽と後に作曲するピアノ・トリオ第2番終楽章のテーマが「strikingly
similar 驚くほど似ている」とも書いています。しかしこれはどうでしょうか、「strikingly」と言う程似ているようには聞えませんでした。どこか共通する雰囲気は感じられますが。以下、YouoTube
でスコア付きで聴けます。開始から16分55秒からピアノがそのテーマを演奏します。