杉本博司展
展覧会名:杉本博司展
会場:ギャラリー小柳
日時:1997年10月25日
入場料:無料



 「そこより生まれてそこへと還る」−ギャラリーの壁の両側に並んだ、杉本博司の「海景」の写真を眺めていると、そんな言葉が頭に浮かんで、自分が今いる時間が、ひどく透明なもののように思えて来る。そして、過去から未来へと連なる時間を、不思議と諦観している自分に気がつく。

 どこかあきらめにも似た無常観とは、絶対に違う。虚しさはないし、生きていることの重苦しさも感じない。ただただ透明な、凛然とした時間軸の連なりのなかを、生きているのではなく、生かされているのでもない、純粋な存在としての自分がここにあることを感じるのだ。

 入り口から奥に向かって右手に並ぶのは、完全に露光する前の、海と空と光とが混然となって写し出された写真群。上部はどことなく暗い空の色を思わせ、下部は黒い水をたたえる海を感じさせ、そして暗い空と黒い水との接する場面に浮かび上がった、光がはじまりの朝を描き出す。

 天と地が別れていなかった神話の昔、神かそれとも仏かが、光を欲したその瞬間。すべての命が時を刻みはじめ、時の果てまでの短くそして長い道程を歩きはじめた。暗く黒い画面に光の浮かんだ写真群から、思い浮かべたのはそんな太古の朝の、喧噪にあふれた光景だった。

 そして左側に並んだ、空と海とがくっきりと別れた写真群。打ち寄せる波もなく、黒い水をたたえたままで静まり返った海からは、すべての存在がその分子運動を終わらせる、絶対零度の深淵を感じないではいられない。死という肉の崩壊をはらんだ言葉とはどこか違う、まさに永遠の静寂と呼ぶに相応しい光景が、そのなかに写し出されている。

 向かい合わせの喧噪と静寂、その間を取り持つ時間軸こそが今ここにいる自分なのかと思った瞬間、狭いギャラリーの空気が凛と張りつめ、次の瞬間ごうと渦巻き、繰り返し我と我が身を打ち据える。そして、生きていることの無意味な意味、意味ある無意味を強く思い知らされる。

 過去に耽溺してはいけない。未来に幻滅してもいけない。つねに過去のはじまりを思いだし、未来を終わりを思い浮かべて、今という時のなかに厳然として在る自分を、感じ続けて暮らしていこう。


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