作場知生個展
展覧会名:作場知生個展
会場:目白ギャラリー
日時:1996年10月6日
入場料:無料



 流行にのって「人間がマルチメディアなんだ」と片岡孝夫に言わせたCMを、鼻でせせら笑って見ていた口ではあるが、絵画に写真に造形と、さまざまな分野で優れた創作活動を行っている作場知生のマルチ・メディア・アーティストぶりを見ていると、「人間がマルチメディアなんだ」というコピーも、なかなか捨てた物ではないなという気になってくる。

 「作場知生って誰?」という人は、まずはインターネット上のホームページで公開されている「タロット占い」のコーナーを見てもらいたい。銅版画のような緻密な線で描かれた、神秘的なタロットカードの1枚1枚をデザインしたのが作場知生だ。

 ふっくらとした美しい女性が描かれたカードもあれば、乳房を垂らした悪魔や、巨大な骸骨の死神といった恐ろしいモティーフが画面いっぱいに描かれたカードもある。ズボンを膝上までズリ下げた愚者のなんと滑稽なことか。剣を掲げた正義の女神のなんと凛然とした表情か。長い歴史を持ち、数多くのバリエーションを持っているタロットカードを見た上で、自分なりの解釈を加え、作場知生は大アルカナ1組分のタロットカードをデザインした。

 目白ギャラリーで開催中の個展には、インターネット上で公開され、また実際にカードとして製作されたオリジナル・タロットカードの原画が出展されている。ロットリングで描いたという細かな線を目の当たりにすると、その緻密さにまず驚かされる。葉書を1回り大きくした程度の用紙の上に、1本1本線を引いていく作業のなんと途方なことか。おまけにそれが、表紙や裏側を含めて25枚分もある。対象への相当の思い入れなくしては、なし得なかった仕事であっただろう事が想像できる。

 なにより絵柄が魅力的だ。「不思議の国のアリス」を思わせるあどけない表情をした少女の絵があれば、いっぽうにはハンス・ベルメールのような猥雑さ、神秘さをもった悪魔や死神の絵がある。「月」のカードに描かれているのは、顔のある月と窓辺でラプンツェルのように髪をたらして寝入る少女など。下方には水際から桟橋にはいあがろうとしているザリガニや、桟橋の上で丸くなって眠る狼が描かれ、向こうには首を吊った男の姿も見える。物語の断片を切り取ったような「月」のカードを見ていると、断片がほかの断片とつながり合い、1つの物語が生まれてくるように感じられる。

 ギャラリー奥の壁にかけられたタロットカードの原画から、入り口に近い反対側の壁に目を転じると、タロットカードのモティーフに似た少女が描かれた、ひと揃いの色のついた絵画作品を見ることができる。「スノウ・ホワイト」、いわゆる「白雪姫」の絵本のために描かれたという5枚の絵だが、漫画のイラストのような仕事とは異なり、1枚1枚に実に手間がかかっている。複雑な階調の色使い、どこか立体的な質感。その秘密は、元の絵を何枚も複写した上でオブジェクトごとに色を付け、それらを切り抜いて板のキャンバスに張り重ねていく手法にある。

 木々や建物や人物の境目が、1枚の絵をただ塗り分けていくふつうの絵画と違って、くっきりと見えている。画面から浮き上がってくるような少女の顔は、絵画というより人形のようだ。あまりのリアルさに編集者が怖さを感じ、子供向けの絵本として使わなかったといのも、なんとなく解る気がする。

 「白雪姫」の横には、長崎にある「軍艦島」の廃墟を撮影した写真を複雑に発色させ、その上から様々な加工を施した1連の作品群がある。奥の壁には自分で製作した廃墟を思わせるオブジェの写真や、あるイメージのもとに収集された雑誌などの切り抜きをコラージュし、上からFRP樹脂で固めた作品がる。「タロットカード」や「白雪姫」のような華麗さはなく、かわって廃墟なるものへの憧憬が、強く作品から溢れている。

 これで終わりではない。ショウウインドーに並べられた3脚のスツールと、部屋の中におかれたコックピットを思わせる巨大な椅子も、すべて作場知生の作品だ。細い鉄の棒を溶接して組み合わせ、磨き上げた鉄板や板を貼り付けて作られた「椅子」たちは、無機的なフォルムのなかに人を魅惑してやまないなにかがある。

 それはたぶん、男なら誰もが抱く機械的な物への憧れではないだろうか。自動車の運転席や狭い戦闘機のコックピットに座って、ハンドルや操縦かんを操作し、複雑なメーター類をながめるあの感覚。むろん椅子にはハンドルも計器も付けられておらず、ただの椅子でしかない。しかしそこに座ることによって膨らむ幻想の数々が、作品の魅力となっているのだろう。

 次にはゲームを作りたいと作場知生は話す。巨大な導管が張り巡らされた廃墟を動き回りながら、なにかを発見するようなゲームになるという。絵画にとどまらずコラージュからオブジェへ、平面から立体、そしてバーチャル・リアリティーへと、表現の可能性を求めてあらゆるメディアに挑戦し続ける。まさにマルチ・メディア・アーティスト、である。
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