亀倉雄策のポスター
展覧会名:亀倉雄策のポスター
会場:東京国立近代美術館フィルムセンター
日時:1996年9月21日
入場料:200円



 戦後日本を代表するグラフィックデザイナーとして、今なを第一線で活動を続ける亀倉雄策さんの業績を、ポスターに絞って振り返る展覧会が、東京国立近代美術館フィルムセンター展示室で開かれていました。銀座にあるギンザ・グラフィック・ギャラリーも、ポスターを主とするグラフィックデザインの専門ギャラリーとして知られていますが、会場が狭いため数多くの作品を展示して業績を回顧するには不向きです。その点、今回の展覧会では実に1000点近いポスターが一堂に会することとなり、時代を映す鏡であり、デザインの歴史を語る史料でもあるポスターを、制作された年代を追いながら、ざっと俯瞰することができました。

 亀倉雄策さんといえば思い浮かぶのが、東京オリンピックの公式ポスターだそうです。会場にも黒い縁取りに白いスペースが長四角で囲われ、中に赤い日の丸と、金色の五つの輪、同じく金色の「TOKYO 1964」の文字が描かれた、あの有名なポスターが出展されていました。並びにはほかに、スタートラインを飛び出した陸上選手が重なって写っている、躍動感と緊張感が同在するポスターや、バタフライをする選手の写真がやはりスピードカメラで撮られ、静謐感の中に力強さがみなぎるポスターなどが置かれていました。

 1964年に開かれたアジアで始めてのオリンピックでしたから、当時の日本は国中を上げて大騒ぎをしたと思うのですが、なにしろ当時の記憶が全くありません。亀倉さんのポスターがいかな凄い物であったかも知りませんし、当時そのポスターが、どのような環境下で人々に観られていたのかも知る術がありません。「やはり野におけポスター」です。壁に貼られるにしろ掲示板に画鋲で留められるにしろフレームに入れて陳列されるにしろ、高度成長に沸く東京という街並みの一角に置かれてこそのポスターだと思います。展示室の壁に飾られたポスター群によって伝えられるのは、記録ではあっても記憶ではないようです。同時代の空気を吸えなかった者として、ちょっと寂しさが募ります。

 亀倉さんは作品にあまり写真を使わないようです。線や面、三角や四角や円、直方体や円柱や円錐や三角錐や多面体などを組み合わせ、そこに単純な色彩を施すことによって、平面上に人目をハッと惹くことのできる空間を作り出す。その腕前は初期のニコンのポスターから、1番新しいこの展覧会向けに制作されたポスターまで、一環して変わることがありません。ポスターには付き物のキャッチコピーも、亀倉さんのポスターではそれほど大きな役割を果たしていません。商品を伝えるのに写真も言葉も使わない。発注する側には誠使いにくいデザイナーかもしれませんが、それでいて鮮烈な印象を残すポスターを制作するのですから、やはり偉大な才能であるとしかいいようがありません。

 御歳81歳。やはり日本のグラフィック界の重鎮である田中一光さんですら若手に思えるほどのキャリアですが、今なお現役で活躍している、そのバイタリティーにも感心します。最近では、かつて名取洋之助のもとで雑誌「NIPPON」の編集に共に携わった土門拳の写真集の造本も手掛け、名取、土門ともに鬼籍にはいった中で、ただ1人その健在ぶりをアピールしています。

 ポスターは時代性を映しているが故に虚ろいやすい芸術です。しかしながら例えばロートレックやミュシャといったポスターの分野で活躍した人々の作品が、今になって大変な価値を持ち得ているように、ポスターが秘めている価値は、時に純粋な芸術作品をもしのぎます。今回の展覧会を1つのきっかけとして、ギンザ・グラフィック・ギャラリーの活動などともあわせて、ポスターが1つの純粋な、それでいて親しみやすい芸術として認識され認められるようになれば、これほど素晴らしいことはありません。

 そうなってこそ、街でポスターを剥がす醍醐味が増すというものですし。ね。
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