もしも


もしも、のはなしだよ。

 もしも、ものすごくほしいものがあって、それを手にいれるために、ものすごくがんばったんだけど、、それが手に入らなかったときって、そのあと、まだまだがんばれるものなのかな。
 お小遣いを二ヶ月ためました、っていう話じゃないよ。ほしいものを手にいれるには、いまのぼくではまだまだダメだって、もっと魅力的なおとこになろうって、十年もがんばってきたときにね。それが手のとどかないところにいっちゃったら、そのあと、どうやってがんばっていけるんだろうね。

 もうちょっとで手がとどく、っていうときもあったよ。ほんとに手のひらにのせて、あとはそっと握るだけだっていうときが。そのときは、いまのぼくでは、もしかしたら握り続けることができないんじゃないかって、急にこわくなって、迷ってるうちに、手のひらからするりと抜け出しちゃって。それでもまだ、ぼくががんばればもう一度握ることができる。今度こそずっと握り続けるんだって、そう思ってがんばってたら、もう、手のとどかないところにいっちゃった。
 そしたら、これからがんばってく目標って、どうやって見つけるんだろうね。

あっ、もしもの話だよ。もしも、ね。

 手にいれられなかったものが、とってもよかったのにって、駄々をこねながら暮らすのは簡単だけど。その代用品を、なんでもいいからとりあえず手にいれちゃう、っていうのもたぶん簡単だけど。それじゃあこの十年間って、なんだったんだろうねってことになっちゃうよね。
 この十年がんばってきたおかげで手にいれられた、つまり十年前のままでは手に入らなくって、それでいて、いままで手にいれたかったものよりも大切に思えるもの。そういうものが見つけられれば、またがんばれるんだろうね。
 はやくみつかったら、しあわせだね。

 


えっ、もしものはなしだよ。もしも、ね。

 

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