ヘルガ・シュナイダー著作のページ


Helga Schneider  1937年ポーランドのシュレジエン地方の町シュタインベルク生。父親は画家、母親はナチス親衛隊員で1941年から終戦までアウシュヴィッツ第2強制収容所ビルケナウの看守。幼少期をベルリンで過ごし、その後オーストリアへ移住。63年イタリア人と結婚して以来ボローニャに在住し、イタリア語で執筆活動。

 


 

●「黙って行かせて」● ★★
  
原題:"LASCIAMI ANDARE,MADRE"
     訳:高島市子・足立ラーベ加代

 

 
2001年発表

2004年10月
新潮社刊
(1600円+税)

 

2004/11/15

母親は娘が4歳の時、2人の子供を置き去りにしてナチス親衛隊の任務に就くため家を出て行った。
その後娘と母親が再会したのは僅かに2回だけ。30年後の1971年と、さらに27年後の1998年

本書は、アウシュビッツ第2強制収容所“ビルケナウ”の看守だった母親とその娘である著者との、最後に面会した時の様子を書き綴った衝撃的なノンフィクション。
戦争が終わりナチスの残酷さが知れ渡って半世紀が経つというのに、著者の母親は未だナチスへの信奉とその義務に従ったことを隠そうともしない。むしろ、義務を忠実に果たしたこと、ナチスの有能な一員だったと誇らしげに語ります。そんな母親に、置き去りにされた子供はどう対応すれば良いというのか。
年老いていささか呆けたとはいえ。母親は未だに陰険で酷薄。しかも正直というに程遠く、相当に狡猾です。
過去を少しも反省しようとしない母親に当惑するばかりだった著者は、次第に母親と駆け引きするコツを覚え、対決し脅かしつけるようにして収容所時代の証言を引き出していきます。
ガス室による大量殺人、人体実験等ユダヤ人に対するナチスの残虐な行為が、実際に母親が携わってきた事実として母と娘との会話の中で語られていく。歴史事実としてただ知るのとは違ったリアルさ、迫真性がそこにはあります。
非道な行いに今直平然としている母親への憤慨、そんな母親の娘であることの苦悶、それでいて母娘の絆を断ち切れないことの哀しみ。そんな著者の悲痛な思いが伝わってくるようです。
※表題は著者が最後に母親へ投げかけた心の内の言葉。

追憶/再会/回顧/孤独/戦慄/マミィ/悔恨/真実/エピローグ

 


   

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