佐藤愛子作品のページ


大正12年大阪府生、甲南高女卒。1969年「戦いすんで日が暮れて」にて第61回直木賞、79年「幸福の絵」にて女流文学賞、2000年「血脈」にて第48回菊池寛賞を受賞。

 
1.
血脈(上)

2.わが孫育て

 


     

1.

●「血 脈(上) ★★☆            菊池寛賞



 
2001年01月
文芸春秋刊
上中下
(2000円+税)

2005年01月
文春文庫化
(上中下)

 

2005/03/11

 

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帯には「それは大正四年秋、当代随一の人気作家、佐藤紅緑の狂恋から始まった−」とあります。
本書を実際に読むまでは、その言葉を軽く受け止めていました。
しかし、本当にその一言ですべてが言い表されてしまうとは、まさか思いも寄りませんでした。
本書に描かれたのは、まさにその紅緑の狂恋によってもたらされた、佐藤家の凄絶な有り様。

元々大衆作家・佐藤洽六(紅緑)は激情家だったのでしょうが、我が家を訪ねてきた女優志願の横田シナ(三笠万里子)を見た途端、彼女に入れ揚げてしまう。そしてそのまま、激情の波に身を委ねるかのように、妻と子供たちを放り出し、シナ一人に向かって止め処なくのめり込んでいってしまう。
シナが普通の女性のように紅録の恋情を拒む、あるいは応えたのであればまだ良かったのでしょう。また、離縁された前妻のハルが普通の母親らしい人柄だったらまだ救われたのでしょう。ところが、そのどちらも普通でなく、紅緑自身もまた息子達に怒鳴ることしか知らない父親だったから、悲惨としか言いようのないドラマが幕をきって落とされます。他に言いようのないストーリィです、この実録ドラマは。
故にこの上巻では、紅緑の慟哭の、尽きることがありません。
シナへの情熱は紅緑の真情に基づいたものといっても、その結果もたらされた状況は、紅緑、シナ、4人の息子たちにとって不幸なものだったと言わざるを得ない。その一方で、唯一健やかだったのは、紅緑とシナの間に生まれた早苗、愛子という2人の娘だけだったといえます。
紅緑の長男・八郎(ハチロー)だけは、他の3人の弟たちに比べれば自活の道を手に入れただけマシだったと言えます。しかし、それも比較のうえでのことであって、文才のみならず常軌を超えた行動パターンまで紅緑から受け継いだ故、というところが凄まじい。
こうした作品になると、もう感想など意味をもちません。ただただ呆れ、圧倒されるがままに読み進むのみ。
そして、なおも凄まじいと思うのは、この凄絶な状況がまだ序盤に過ぎないと感じられることです。

菊田一夫、菅沼(森繁)久弥も登場するのは驚き。

1.予兆/2.崩壊の始まり/3.彷徨う息子たち/4.明暗

           

2.

●「わが孫育て」 ★☆



 
2008年01月
文芸春秋刊

(1300円+税)

 

2008/01/28

 

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佐藤愛子さんの最新エッセイ集。
とは言っても収録された各篇の雑誌掲載年月をみると2000年頃からのものも多く、執筆時期としてはかなり幅があります。

エッセイというと私は、阿川佐和子さんの書いたものをずっと愛読中。佐和子さんが私と同世代であるのに対し、佐藤愛子さんともなるとやはり一世代上なものですから、あぁ世代が異なると感じ方も思うところも違うのだなぁと感じることしきり。
つまり、同じ怒るにしても、怒ると同時に「そうは言うものの一方ではなあ・・・」と思う部分が有るか無いか違う、と言いましょうか。

収録エッセイは3つの章に分かれていますが、3章の中ではやはり表題にもなっている「わが孫育て」の部分が一番面白い。
親と娘ではまだ共通する部分があると思いますが、小学生の孫娘相手ともなると、その間に一世代ある故にかえって対照的で、違いがはっきりします。その辺りが面白いという次第。

ただし、本書中一番笑ったのは、「じぐざぐ日記」の中の「日本の常識」。簡易保険勧誘の郵便局員とのやり取りです。
お客に対して「死」という言葉を使わないように心掛けているといっても、保険の内容、保険の受取人の話をするのに「死」なしでは済ませられないでしょうに。
その挙句、当の郵便局員がひねり出した表現に、思わず爆笑。

でも佐藤さん世代が言いたいこと沢山ある、という気持ち、判ります。あと○年すれば我々も同じ気持ちになることでしょう。

わが孫育て/じぐざぐ日記/国を愛してどこが悪い

  


   

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