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「風になるにはまだ Not yet to be wind」 ★★ 創元SF短編賞 | |
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近未来、重病や障害等の事情で生身の身体で生きることが難しくなった人々が、肉体を捨て意識をデータに移行、“情報人格”として仮想世界で生きることが実現。 仮想世界といっても現実から切り離されてしまう訳ではなく、情報端末を通して、現実社会の人々と会話等は可能。 ただし、永遠な存在になる訳ではなく、いつかはデータが散逸して消失してしまう、という次第。 本作は、そんな現実世界と仮想世界が並存した近未来を舞台にして描く連作ストーリー。 何と言っても“情報人格”という発想がお見事。 そしてその前提の元、情報人格に移行すると、どんな問題が生じるのか、人と人との繋がりはどうなるのか、という人間同士といった普遍的な問題をテーマにしているところが秀逸。 とても面白い、というストーリーではありませんが、設定と、その設定故の展開に読み応えがあります。 なお、その是非についてはいろいろ考えさせられるなァ。 ・「風になるにはまだ」:大学生のあたしは、情報人格の楢山小春(42歳)に、大学仲間の集まりに出席するため身体を一日貸します。 ・「手のなかに花なんて」:情報人格化した祖母の元を、孫娘の優花(14歳)はアバターを使って足繁く訪れる。 ・「限りある夜だとしても」:50歳近くなった高校のクラスメイト同士、余命宣告を受けたという三森に、榛原は情報人格に移行するという案を提示するのですが・・・。 ・「その自由な瞳で」:恋人である透(24歳)に移行に伴い、映(はゆる・26歳)も情報人格に移行・・・。 ・「本当は空に住むことさえ」:敷島綾女(71歳)は有名な建築家で、情報人格に移行済。構造設計家の古谷誠治(68歳)は、その敷島から新たな試みへの挑戦に誘われるのですが・・・。 ・「君の名残の訪れを」:並木翼は、余命宣告を受けた親友の神澤理知と共に情報人格化の試験運用に参加するのですが、その理知は散逸してしまってもう存在していない。しかし、断片に触れることがあるという話が・・・。 ※なお、表題作「風になるにはまだ」と設定は異なりますが、ふと石持浅海「フライ・バイ・ワイヤ」を思い出しました。こちらはSF青春作。 風になるにはまだ/手のなかに花なんて/限りある夜だとしても/その自由な瞳で/本当は空に住むことさえ/君の名残の訪れを |