宮本輝作品のページ


1947年兵庫県神戸市生、追手門学院大学文学部卒。77年「泥の河」にて太宰治賞、78年「蛍川」にて芥川賞、87年「優駿」にて吉川英治文学賞、2004年「約束の冬」にて芸術選奨文部大臣賞、09年「骸骨ビルに庭」にて第13回司馬遼太郎賞を受賞。ライフワークとなる作品に「流転の海」シリーズがある。


1.
ドナウの旅人

2.優駿

3.異国の窓から

4.泥の川・蛍川

5.愉楽の園

6.ここに地終わり海始まる

7.草原の椅子

8.骸骨ビルの庭

9.田園発港行き自転車

  


   

1.

●「ドナウの旅人」● ★★★


ドナウの旅人

1985年06月
朝日新聞社刊

1988年06月
新潮文庫
(上下)



1990/03/19



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麻紗子の母・絹子が突然家出した、それも年下と男と共にドイツへ向かったらしいという知らせから、麻紗子は再びドイツの地に向かう。
そこから、麻紗子とドイツ人の恋人シギィ、母・絹子と17歳年下の愛人・長瀬道雄、その2組の男女が共にドナウ川を辿って旅するというストーリィを背景に描かれる人間ドラマ。
当初は家出した母親の不倫行を追う旅であったが、シギィとの再会、母と父との確執、長瀬の自殺願望から、話は大きく展開し、人間愛の問題、各国の人間気質にまで広がって行きます。

ドナウの旅人という題名自体、ロマンティックでとても惹かれるものがありました。ドイツ、オーストリア・ウィーン、ハンガリー・ブタペスト、ユーゴスラビア・ベオグラード、等々と、遥かな道のりの旅であることにも惹かれます。更に、シギィの友人ペーター・マイヤー、ウィーンの日本人留学生仲間たち、様々な人々との出会いのストーリィも魅力です。
まさに、大河小説という雰囲気を感じさせる作品でした。読みながら、私もまた主人公達と長い旅を共にしているような思いがしていました。私にも、独身時代にフランクフルト、ウィーンを旅した思い出があります。それだけにことさらそんな思いを感じていました。
長い旅の感激は、そう簡単には消えません。この作品に対する思いも同様です。
宮本さんにとっては、初めての新聞(朝日)連載小説だったそうですが、初めての経験でよくもこれだけの大作に挑めたものだと敬服します。
私にとっては、ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」「魅せられたる魂」にも似た、大きな流れを感じさせてくれた作品。

 ※本書の後は是非異国の窓から

   

2.

●「優 駿」● ★★★  吉川英治文学賞受賞

  

1986年10月
新潮社刊

1988年06月
新潮文庫化
上下



1990/04/09

オラシオン”(スペイン語で祈り)という名前の競走馬サラブレッドと、その周囲の人間の生き方を描いた作品。
人間の生き方を描いたという点でドナウの旅人と共通するテーマをもった作品だと思います。
主な登場人物は、オラシオンを育てた渡海ファームの渡海博正と、オラシオンを買い取った和具平八郎、その娘・久美子
オラシオンの誕生前から始まるこのストーリィは、オラシオンの誕生とともに、夢を育んでいく楽しみを備えています。
私はこれまで競馬には全く関心がなかったので、競走馬の世界を知る手引書ともなりました。ちょうど、ヘミングウェイ「午後の死」「危険な夏により闘牛の世界を知ったようなものです。
オラシオンという馬を中心にしながら、ストーリィの本質は、その周囲の人間を描く人間ドラマです。オラシオンの存在と各人の生き方は、関わりがあるようでいて関わりがありません。しかし、その一方で、オラシオンによって生活が変わりうる人間はいるのです。
ドナウの旅人程でないにしろ、充分に楽しめた作品でした。

※緒形直人、斎藤由貴主演により映画化されています。

   

3.

●「異国の窓から」● ★★★


1988年01月
光文社刊

1991年08月
角川文庫化

1996年02月
文春文庫化

2003年01月
光文社文庫化



1991/11/02

ドナウの旅人を朝日新聞に連載するに先だって行われた、ヨーロッパ諸国への取材旅行についての紀行文。
読み始めから面白い、そして期待感が募って行きます。
本書においては、宮本さんによる文章のひとつひとつの向こう側に、もっと多くの何かがあるように感じられました。無理なく、簡素でありながら、深さを持った文章、やはりプロの文章家が書いたものだな、と感じます。
ちょうど、藤原正彦「はるかなるケンブリッジを読んだ直後だっただけに、藤原さんのエッセイとつい比較してしまったようです。
取材で訪れた先の、様々なエピソード、それらは忠実に「ドナウの旅人」のストーリィ中に生かされています。まるで「ドナウの旅人」のエキスがいっぱい詰まっている、と言える1冊です。
ヴァルハラ神殿、グリュウ・ワイン、豚のえさのリンゴ、パッサウの町での巡礼団との遭遇、ホテル探しのエピソード等々。
実際の旅では、朝日新聞文芸部の大上さんという女性記者と何篇も言い争いしています。宮本さんは不安神経症の発作と戦いながら旅をしている。「ドナウの旅人」長瀬にそれが投影されたいたのではないか、と思えます。
買い当てて、嬉しい1冊でした。

 

4.

●「泥の河・蛍川」● ★★★

 

1980年02月
角川文庫

 1986年01月
ちくま文庫

1994年12月
新潮文庫

泥の河・蛍川
のみ



1994/02/27

川3部作を収録。「泥の河」太宰治賞「蛍川」芥川賞を受賞、他にもう一作「道頓堀川」

とくに「泥の河」が強く印象に残りました。
大阪・安治川の川縁でうどん屋を営む晋平・貞子と信雄の親子。
信雄がふと知り合うことになった喜一・銀子の姉弟は、川を上下する船頭達から廓舟と呼ばれる、舟での母子3人暮らし。そんな信雄と姉弟2人との、束の間の交友が描かれている作品です。
やがて信雄親子は新潟へ行くことになり、廓舟はまた場所を変える為川を下って行く。
喜一・銀子ら母子の暮らしは、母親の売春で成り立っているものです。本当に社会の底辺における暮らしと言って良いでしょう。水さえも、公園からバケツで運んでくる生活です。しかし、彼らの暮らしを誰も救うことは出来ず、3人はその貧しさのまま暮らしていく他ありません。貧しいとはいえ一軒の家に住む信雄とは、所詮交わり得ない生活です。それ故の一時的な交友と言えます。
貧しさを嘆くあるいは訴える訳ではなく、貧しさを貧しさとしてそのままに描く、その冷静さ故にかえってこの情景が鮮やかに脳裏に刻み付けられるような気がしました。

 

5.

●「愉楽の園」● ★☆

 

1989年03月
文芸春秋刊

1992年03月
文春文庫



1994/02/27

タイ=すなわち媚薬的な雰囲気をもつ地、そんな舞台設定に立ったストーリィです。
文庫の帯には「バンコクの運河のほとりで恋におちた男と女の恋愛小説」とありますが、タイ世界の麻薬的な部分を無視しており、この作品の味わいをきちんと伝えていないように思います。
主人公の藤倉恵子は、旅行で訪れたまま政府高官サンスーンの愛人としてタイで暮らして3年になります。一方の野口謙は、世界中を放浪してタイに辿り着いたところ。
ストーリィは、バンコクの運河を中心に展開します。運河のこちら側とあちら側に象徴されるのは、サンスーンら支配階級の生活と下層階級の生活の隔絶ぶり。その両側の世界に恵子と野口は関わりを持ちますが、彼ら2人の立場はあくまで外部の旅行者としてのものであり、常に第三者でしかありません。
しかし、そんな日本とは隔絶したような社会だからこその本書ストーリィであり、それ故にいささか空想的であるようです。
バンコクでずっと運河を眺めていると、こんな小説が生まれてくるのも不思議ないような気がします。
最後にちょっと読者に期待を持たせるあたりに、快さが残ります。

 

6.

●「ここに地終わり海始まる」● ★☆

 

1991年10月
講談社刊
上下

1994年10月
文春文庫化

2008年05月
講談社文庫化
(新装版)



1992/03/01

本書の題名は、ポルトガルのロカ岬にある碑に刻まれた文言ということです。この文言から小説という発想が生まれたと、宮本さん自身も言っています。その通り、この題名からだけで充分にロマンを感じるようです。
その割りに、この作品はドナウの旅人優駿のようなロマン大作には至らず、よくまとまった秀作というところでしょう。
主人公は天野志穂子、24歳。 6歳の頃から18年間軽井沢の結核療養所に入院していたが、その彼女の元に一枚の絵葉書が届きます。そこには「ここに地終わり海始まる」と記されていた。
ラブレターともつかぬその葉書が彼女に生活への意欲を呼び起こし、胸の影が消えて、志穂子は社会に復帰します。そこから本ストーリィは始まります。
この作品に登場するのは、概ね心温かな人たちです。彼らは気遣いつつ、志穂子のことを温かく見守っています。
この物語は、志穂子にとって人生の準備運動のようなものです。本書での経験を経て、彼女は改めて自分の人生をスタートします。その意味で「ここに地終わり海始まる」のです。
まるで、この文言を解説するかのようなストーリィでした。

 

7.

●「草原の椅子」● ★☆


草原の椅子

1999年05月
毎日新聞社刊
上下
(各1500円+税)

2001年04月
幻冬舎文庫化
(上下)

2008年01月
新潮文庫化
(上下)


1999/07/17

中年に至り、ふと思えば人生の転換期に立っていた、という男性2人を中心に展開するストーリィ。
その1人は主人公・遠間憲太郎、企業内にあってその先頭に立ち活躍してきた管理職。もう1人は数カ店を展開するカメラチェーンの創業経営者・富樫重蔵
2人の立場は違うものの、いずれも日本経済を担う働き手だったわけです。親友となった2人が互いに語り合うのは、近頃気づくようになった閉塞感。そんな時、2人が一緒に志したものは何か、というストーリィです。

上下2冊とも、帯の宣伝文句は相当に大袈裟、と思わざるを得ません。
それでも、いつもの宮本輝作品のように、読み易く、軽快に展開し、どこか心惹かれるものがあるのは事実。
気持ちの上で疲れた時、どこか知らない土地に向かって旅立ちたいと感じるのは、誰しも共通のことのように思います。そんな気持ちから共感を覚えるような作品です。
彼ら2人と共にタクラマカン砂漠、そして遥かな高地にあるフンザへ向かうのは、離婚後1人で娘を育ててきた篠原貴志子、母親に虐待され続けてきた5歳の子・圭輔
上記4人にとどまらず、その他の登場人物もまた、その人なりの人生をかかえて生きていることが語られています。

気持ち良く読めるけれども、かえって読後の印象は早く薄れそう、そんな感じがしてします。

  

8.

●「骸骨ビルの庭」● ★☆          司馬遼太郎賞


骸骨ビルの庭

2009年06月
講談社刊

上下
(各1500円+税)

2011年12月
講談社文庫化
(上下)



2009/07/07



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戦後、何人もの戦災孤児の面倒をみて育て上げることに一生を費やした2人の青年がいた。
2人が孤児たちの世話をしたのは、大阪・十三にある、戦前からの3階建ての杉山ビル、通称:骸骨ビル
しかし、孤児たちの為に尽くした一人=阿部轍正は、孤児たちの1人から性的虐待を受けていたと訴えられ、汚名を着せられたまま死去。
そして今、骸骨ビルにはもう一人の茂木泰造、彼を親のように慕うかつての孤児たちが残っていた。
本作品は、彼らを立ち退かせる役目を与えられ、管理人として骸骨ビルに住み込むことになった孤児たちと同世代の八木沢省三郎が、孤児ら当時の骸骨ビルに関わった人たちから聞き取ったことを日記に書き綴る、という形式で展開する、阿部轍正と孤児たちの深い絆を描いたストーリィ。

相変わらず宮本輝さんはストーリィ運びが実に上手い。滑らかにストーリィが展開していき、スムーズに読み進んでいくことができます。
ただ、滑らか過ぎる故に感動より、ついストーリィを追うことが主になってしまい、読み応えの不足を感じてしまうというのが、私の陥るいつものパターン。
しかし本書では、真相はどうだったのか。何故、桐田夏美は恩人を裏切るような行動に出たのか、というミステリ的な興味が読者を強く引っ張っていきます。

あぁ、それなのに・・・。
安易に“感動”という勿れ、阿部轍正と茂木泰造が若い身で懸命に大勢の孤児たちを育て上げたこと、そして今しっかりと生きている彼らの姿こそが全て、というのは判るのですが、それにしても予想外にあっさりとした最後に、肩透かしを喰ったような気分になるのは私だけでしょうか。

かつての孤児たちの人物像は、個性十分。そして彼らが語る彼ら自身と阿部轍正らとのドラマには、深く惹き付けられて止まないのですが、クライマックスないままに終わったという思いが消えず・・・。
なお、“骸骨ビルの庭”とは、阿部轍正が少しでも自給自足をと、孤児たちと共に畑として耕した場所。

       

9.

「田園発 港行き自転車」 ★★


田園発港行き自転車

2015年04月
集英社刊
上下
(各1600円+税)

2018年01月
集英社文庫化
(上下)



2015/06/11



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「田園」「自転車」と、題名からして心惹かれる長編小説。
まず冒頭、
脇田千夏という20歳の女性が、1年半勤めた東京の会社を退職し郷里に帰ろうとするところから本ストーリィは始まります。
次いで、東京に住む
賀川真帆という35歳の絵本作家が登場。15年前、彼女の父親でカガワサイクルの社長だった賀川直樹が、宮崎へゴルフに行っていた筈なのに何故か富山県の滑川駅に居て、そこで心筋梗塞の発作で急死したという事情が語られます。仕事で京都にある絵本出版社に出掛けた真帆は、同い年の担当編集者にけしかけられ、2人で富山から滑川へと自転車旅行をすることになります。
さらに京都の花街、母親が始めた「小松」というお茶屋バーを引き継いで経営している
甲本雪子53歳が登場、かつての馴染客が十数年ぶりに店を訪れたところから、彼女を起点とするドラマも幕を開けます。

次々と登場する人物たちが互いに何らかの関係を持っていることが描かれ、その関係は順々と掘り下げられていきます。
さらに滑川市に住み富山市内で美容院を営む
夏目海歩子(みほこ)という47歳の美容師とその息子で中学生の佑樹が登場、やがてストーリィはその母子を中心軸として展開していきます。

登場人物たちが相互に関わりを持っていることが明らかになっていく面白さに、賀川夏樹の死にまつわる謎解きというワクワクする面白さが加わります。
この辺りいつも感じることですが、宮本輝作品は実に読み易く、かつストーリィは面白く、読書という行為自体がとても楽しく感じられます。
本作品の魅力は、人の繋がりに合わせ、輪のように心の繋がりも広がっていく処にあります。孤立的方向が指摘される現代日本社会において、それは何と快いことか。
なお、夏目佑樹という少年、少々出来過ぎといった観あり。

読み易いことは確かでストーリィも楽しく読めるのですが、ただ読み終わった時に何が残っているかというと些か疑問。
題名にある「田園」風景の気持ち良さは読了後の余韻の中、確かにあるのですが、それ以上のものが余りなく、それで良いのやらと正直なところ思ってしまいます。
 

 


 

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