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2.サド侯爵夫人 |
●「三島由紀夫レター教室」● ★★ |
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新潮社版 1997/03/29 |
久しぶりに三島作品を読もうと思うと、手近かつ気楽に読める本へ手が出てしまいます。主題は手紙の書き方にある、と言って良い作品ですから、内容の善し悪しについて思い煩う必要もない。気楽に読み、楽しめる、という訳です。 書簡体小説ですが、「あしながおじさん」のような本格的作品ではなく、
試作という感じです。その分、思わず笑ってしまう部分が所々あって、三島作品としては稀少価値があるのでは
ないでしょうか。 ストーリイの落ちは、きわめて三島的。 |
●「サド侯爵夫人」● ★★ |
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新潮社版 1997/10/10 |
今回で4回目の読書なのですが、藤本ひとみ「侯爵サド」を読んだ直後の所為か、従来とは違った感じを受けたように思います。 三島にしろ藤本さんにしろ、同じ記録を元にストーリィを書いているので、サドの側から見るのと反対に夫人のルネ側から見るわけで、その点には興味をひかれます。 ※本作品は、戯曲にしては議論が多すぎるような...そんな印象です。 |
●「川端康成・三島由紀夫
往復書簡」● ★★ |
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2000年11月 1998/03/17 |
三島と川端の間の25年にわたる94通の書簡。 三島の文壇デビュー前の東大在学中、「花ざかり森」を進呈された川端の礼状から始まり、三島自決の4カ月前までにわたる。日本を代表する作家2人の間の親しげな往復書簡。書簡そのものが貴重であるし、ファンにとっては三島の移り変わっていく様子を生々しく感じることができて面白い。 一方、当初不安げな様子でいた三島が、精力的な執筆活動を行うようになると、川端も対等な作家として遇する、というように変化していく様子が興味深い。そして最後、「春の雪」執筆の頃になると、徐々に三島の側に止めようとしても止まらないというような、破滅的な勢いが感じられるようになります。そして、遂に、死後の家族に対する保護を川端に託す文章が現れる。 ただ、この書簡に見る三島は表の顔であって、何故破滅的美を求めようとするのかまでは窺い知ることはできません。それは村松剛著「三島由紀夫の世界」に求めた方が良さそうです。 佐伯彰一・川端香男里対談「恐るべき計画家・三島由紀夫」/川端・三島の年譜付 |
●「三島由紀夫 未発表書簡」● ★ |
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2001年3月 1998/05/29 |
1956年から1970年の自決その時まで、ドナルド・キーン氏宛ての97通。 三島を考えるとき当然のように思い起こされるほど、キーン氏は三島と密接な関係にあります。 終盤になるとキーン氏に対して押し付けがましい依頼をしている部分もあります。親しさ高じて甘えに至る、そんな印象です。 |
●「三島由紀夫 十代書簡集」● ★ |
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2002年11月 |
三島が学習院に在学中、文学部の5年先輩である 東文彦(本名:東健)に宛てた書簡をまとめた一冊です。 昭和15年(1940年、三島15歳)の中等科5年に始まり、昭和18年(1943年、三島18歳)の高等科2年時、東が結核で病死するまで親密な書簡が続いています。 私は勿論三島の研究者でも何でもありませんから、本書を読んだと言っても、ざっと読み通して上記のような印象を受けた、という程度のものです。それと、川端康成、ドナルド・キーンへの書簡集と併せて感じることですが、三島の場合、一度親しむとその相手にかなりのめり込むところがあるのではないか、ということ。本書の中でも触れられていますが、通産省の高官であった父親は三島の文学への傾斜に相当否定的であり、その反動があったのではないかと感じられます。 |