古谷田奈月
(こやたなつき)作品のページ


1981年千葉県我孫子市生、二松学舎大学国際文学科卒。2013年「今年の贈り物」(単行本題名:星の民のクリスマス)にて第25回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し作家デビュー。17年「リリース」にて第34回織田作之助賞、18年「無限の玄」にて第31回三島由紀夫賞、19年「神前酔狂宴」にて第41回野間文芸新人賞を受賞。


1.星の民のクリスマス

2.
ジュンのための6つの小曲

3.リリース

4.望むのは

5.無限の玄/風下の朱

6.神前酔狂宴

7.フィールダー

 


           

1.

「星の民のクリスマス ★★      日本ファンタジーノベル大賞


星の民のクリスマス画像

2013年11月
新潮社
(1500円+税)



2013/12/11



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日本ファンタジーノベル大賞受賞作ですが、何ともつかみどころに戸惑う、意味深な作品です。

歴史作家が、愛する4歳の娘に請われてクリスマスプレゼントとして書いたサンタクロースの物語。それっきり作家はその物語のことを忘れてしまうのですが、娘はずっとその物語を愛し続けていた。
6年後、10歳になった娘が姿を消してしまいます。きっと物語世界の中に入り込んでしまったに違いないと、父親は愛する娘を探しに自分もまたその物語世界に入り込むのですが・・・・というストーリィ。
ファンタジーノベル、物語の中というからには、その世界で娘と父親との冒険物語が繰り広げられるに違いないと思うのですが、そうではないところが本作品の少々厄介なところ。
物語の中に入り込んだ娘は此処こそ自分の居場所と安心感を覚えるのですが、それと反対に父親の方はこの物語世界において影としか存在しえない。その時点で既に、娘と父親の気持ちは大きく乖離しているのです。
本ストーリィの中で活発に動くのは娘と父親ではなく、むしろ
金色と銀色の特別配達人と12歳で学位取得したという少年ギイで、彼らは元々サンタ物語の中で2頭のトナカイとキツツキの子。既に物語世界は父親が描いた世界から変化を遂げていたのです。

物語世界とは、それが生み出された直後から自己増殖していくものである、と言ったら良いでしょうか。その点で本物語はナルニア国物語とは異なっています。
とはいえ、その世界の中には変化を望まない守旧派がいる訳で、ついに特別配達人2人&キツツキ少年はその殻を破ろうと行動し出すのです。物語とはそうしたものであり、だからこそ物語は面白い、ということを物語自体が行動をもって示しているような作品。ですからこの物語に終わりはない・・・。
終盤にキツツキ少年が口にし、行動のきっかけとなる或る言葉が痛快にして楽しい。それは物語、小説、そして小説好きの人たち全てに通じる言葉ですから。
故に本書、何とも意味深なファンタジー作品なのです。

       

2.

「ジュンのための6つの小曲 ★★


ジュンのための6つの小曲画像

2014年11月
新潮社
(1600円+税)

2017年10月
新潮文庫



2014/12/14



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主人公である中学生のジュンの一日は、音楽をもって始まる。
というより、日常生活における一つ一つの物音全てが、ジュンにとっては音楽なのです。
具体的にどういうことかと言うと、それはもう本書を読んでもらう他ないのですが、ジュンは自らを“楽器”だと言います。
そのジュンが気付いていなかったことは、楽器は一人では音を鳴らさない、誰かが演奏して初めて音を鳴らすものである、ということ。

その奇矯な行動ぶり故に同級生たちからは「アホジュン」と馬鹿にされ、あるいは気味悪がられていたジュンですが、ジュン本人はそれを然程気にしていません。一人でも十分なジュンにとってはただの雑音にしか過ぎなかったのですから。

そのジュンが、公園でアコースティックギターを奏でる同級生の
トクと親しくなり、さらに元バンドマンという床屋のカン、吹奏楽部でのトクの後輩コマリ、風変わりな指揮者イタオという人たちと関わるようになってから、ジュンの生活にも変化が生じていきます。

奇矯だったり風変わりだったりしても、豊かな独自の感性があればそれを伸ばしてあげたい、子供にとってはそれが何より大事なことの筈。
トクやカン、コマリ、ジュンと友情を結んだ人たちは皆、ジュンのそうした感性を正当に評価した人たち。そして同時にそれは、それは彼らたちにとっても大切なことである筈。
ジュンがトクたちと繋がることによって新たな音楽が生まれていく。但しそのためには、人目から遁れようとするばかりでなく、自ら主張する必要があると、本ストーリィは伝えています。

音楽を基にした、清新な青春&成長ストーリィ。
あらゆる物音から音楽を感じるジュンの心に添うて本書を読んでいると、そのリズムによって、心弾む楽しさで満たされるような気持になります。
読む人によって感じ方は異なるかもしれませんが、私にとっては素敵な音楽小説です。


ジュンとアコースティックギターのための小曲T/ジュンと声楽のための小曲/ジュンと吹奏楽のための小曲/ジュンとハトのための静寂/ジュンとピアノのための小曲/ジュンとアコースティックギターのための小曲U

              

3.

「リリース ★☆          織田作之助賞


リリース

2016年10月
光文社

(1600円+税)

2018年10月
光文社文庫



2017/01/23



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女性首相ミタ・ジョズの政権下、同性婚が合法化されて男女同権が実現した“オーセル国”を舞台にした未来ストーリィ。

地方では状況に違いがあるものの、首都ボッカでは同性愛が当たり前、異性愛はむしろ異常視されるといった状況。
しかし、同性婚では種の存続は図れない訳で、国営の精子バンクが設置され、男子は18歳になると精子提供を半ば強制されているというのがその実態。

そうしたオーセル国である日、
タキナミ・ボナという青年が精子バンクを占拠し、不法に精子が搾取されたことを訴え、「ミタ・ジョズにレイプされた」と公の場で首相を非難します。
ところがボナと共にテロを行ったもう一人の青年
オリオノ・エンダはボナに反旗を翻し、テロは驚きの内に終結してしまう。
そのテロをその場で目撃していたのが、17歳の
ユキサダ・ビイ。ちょうどビイは、性転換手術を目前に控えていた。

ビイ、ボナ、エンダの3人を主軸にした長編作。
同性愛が一般化し、異性愛が異常視されるような状況になったら、一体世界はどんなものになるのか、という問いかけが本作の意味ではなかろうかと思います。
未来、SF作品といっても、現代の世界情勢からして、絵空事とばかりは言っていられない、と思います。
個人的には同性愛を差別したくないと思いますが、異性愛を差別するにまで至ってしまっては、もはや正常とは言えないのではないでしょうか。
結局、主役3人の意図はどこにあったのいか、もう一つ釈然としない気分です。

それにしてもデビュー以来3作目となる本作、前2作とはまるで違った内容で、正直言って驚かされました。


1.十八になったら/2.根っからの女好き/3.言葉に変える/4.言葉ではなく/5.リリース

           

4.

「望むのは ★★


望むのは

2017年08月
新潮社

(1500円+税)



2017/09/13



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「若いと思える範囲の最高年齢」と位置づけている15歳になった松浦小春の、1年間に亘る、少々不思議なところのある青春譚。

祖母が色占い師で、その影響により小春も色への関心が殊更に強い。でもそれくらいは小春の個性ということで済むこと。
本ストーリィの不思議なところは、小春の隣家である安藤家、同級生である
歩くんの母親はゴリラであり、学校の美術教師はハクビシンであるという辺り。
身体的にはゴリラ、ハクビシンであっても、その他の面では人間と全く変わらないし、実像ではなく文章で語られるだけなので、へぇーってなところです。

小春には遠慮なく本心をぶつけてくる歩くんとの付き合い、美術部の
藤井鮎ちゃんと仲良くなり、鮎に好意をもっている相沢暁臣が何かと近づいてくる。
また、担任である女性教師の
八木先生から何かと雑用を命じられる一方で、美術部顧問の里見先生とも関わるようになります。
ストーリィが進むにつれて、小春の周りの輪は次第に広がっていくようです。

人生は15歳で終わるものでは決してない。その後も世界は際限なく広がっていくのだ、可能性は無限にあるのだということを小春が実感するまでのストーリィ。
その意味では、成長や恋も含んだ堂々の青春小説。読了した後改めて噛み締めなおしてみると、じわじわと滲み出てくる青春の滋味を感じます。

※何故動物が登場してくるのか? ゴリラの母親やハクビシンの美術教師、人間よりずっと率直で正直、とういうことなのかも。


1.何もかもが新しい/2.白日の下に躍り出る/3.ほうき星の、一方向の/4.夜より黒い/5.望むのは

                 

5.
「無限の玄/風下の朱(あか) ★★        三島由紀夫賞


無限の玄/風下の朱

2018年07月
筑摩書房

(1400円+税)

2022年09月
ちくま文庫



2018/08/02



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三島由紀夫賞受賞の「無限の玄」、芥川賞候補作となった「風下の朱」の中編2作を収録。

「無限の玄」は、死亡して2日後家族に発見された父親=が、毎朝ふつうに家族の前に姿を現し、夜にはまた死ぬという、不思議な怪奇現象といってもいいストーリィ。
この家族、亡祖父の
が結成したストリングバンド「百弦」を家族で継承している。玄、長男の、次男で主人公の、叔父で作曲家でもある、その息子の千尋という顔ぶれ。
玄がとかく問題性のある人物だっただけに不穏な気配もあるのですが・・・。

「風下の朱」は、大学の野球部(女子大?)を舞台にしたストーリィ。
侑希美に強引に誘われ、中高6年間ソフトボール漬けだった主人公のが入部するところから始まるのですが、現在部員は梓を入れてもたった4人。健康な女子を入部させろというのが、侑希美の至上命令。
清新なスポーツ小説と思い込んだのですが、途中からアレレとおかしくなり、最後はいったい・・・・。

非現実的、あるいは不可解。そして、その理由も解決も見受けられない展開なのに、しっかりとした現実感あり。
そして、登場人物一人一人にも存在感があり、どこか頼もしいと感じられる作品になっています。
そんなところが、三島由紀夫賞受賞、芥川賞候補となった理由でしょうか。

無限の玄/風下の朱

           

6.
「神前酔狂宴 ★★☆       野間文芸新人賞


神前酔狂宴

2019年07月
河出書房新社

(1600円+税)



2019/08/16



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高堂伊太郎、椚萬蔵という軍人を神として祀った高堂神社椚神社。ともにその会館では結婚式を取り扱っていますが、前者は人材派遣会社からのスタッフで活発に事業展開しているのに対し、後者は正規職員のみで地道に対応しているだけと、その経営姿勢は対照的。
人材派遣会社から勧められ、その
高堂会館に披露宴の会場スタッフとして働き始めたのが、浜野、共に18歳の青年2人。

2人とも少しでも時給が上がるようにと熱心に働きますが、梶が不満の声を上げたのは、出張奉仕として高堂会館の手伝いにやってくる
椚会館の職員たちの仕事できなさ過ぎぶり。
しかし、
倉知という女性職員が高堂会館に来るようになってから変化が生まれます。3人とも同い年とあって打ち解け、倉知は2人から学んだことで椚会館の職員に変化をもたらします。
しかし、それは主人公である浜野、仕事仲間である梶に思わぬ結果をもたらすことに・・・。

結婚式、披露宴なんて盛大な無駄遣いとしか浜野には思えない。そんな金稼ぎを、神社たるものが<会館>という別名とはいえ行って良いのか?というのが浜野の疑問。
それでも、働き続けるうち、浜野の立場は次第に上がっていきます。でも派遣スタッフであることは何ら変わりない。

一体何なのでしょう、この作品、このストーリィ。
青春小説、あるいは成長小説なのか。はたまたお仕事小説なのか?
その正体は何だろう、と振り回され続けた感じです。
主要登場人物である3人にしても、友情で結ばれた関係とはとても思えず。
それでも本ストーリィを楽しいと思えるのは、読者だけでなく、主人公も読者と一緒に振り回されてきた観があるからです。
最後のオチ、これには思わず笑ってしまわざるを得ず。

煎じ詰めれば本作、痛快な狂騒曲なのです。

                  

7.
「フィールダー ★★☆


フィールダー

2022年08月
集英社

(1900円+税)



2022/09/25



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ゲーム中毒、小児性愛、児童虐待、SNS炎上、それら現代ならではの社会問題を問いかける、古谷田さんの長編力作。

総合出版社・立象社で社会派小冊子「立象スコープ」の編集スタッフである
橘泰介は39歳、独身。編集仕事の傍ら、「リングランド」というスマホゲームに嵌っていて、毎晩3人の仲間たちとチームを組んでモンスターを倒すことに興じている。

ある日、児童福祉の専門家で度々「立象スコープ」にも寄稿している
黒岩文子が、ある女児に性的な悪戯をしたらしいという不穏な知らせを受ける。一体何が・・・。

黒岩文子に関わる騒動の真実を見極めようとする一方、ゲーム世界に没頭する若者たちの現実に当事者として直面した橘泰介の、あがき、いや奮闘を描くストーリィ。

文子を小児性愛者として断罪しようとする同期の編集者たちに対し、橘は文子を守ろうとしてあがきます。
「言葉が全然足りないんだよ。複雑なことを複雑なままに伝えないから自殺や差別がなくならない」、「断定するなって言ってんだろ。早いんだよ、何もかも」という橘の叫びが、読み手の心を切り裂きます。

そう、長い文章を苦手とする人が増えていることも一因でしょうか、現在は何でも言葉を単純化し過ぎる、そしてそれは安易に断定し過ぎ、に繋がっていると思います。
一方、多くの人たちがオンラインゲームに嵌っていることの是非。
オンラインゲームをすること自体が悪、と今更言ってみても仕方ないことだと思います。すでにゲームは世界的な競技になっている面もあるのですから。重要なのは、ゲームに嵌ってもいいから、リアルな現実も手にするということでしょう。

評論家ではどうしようもない、自ら当事者となる必要がある、というのが「フィールダー」という本書題名の意味でしょうか。
現代には様々な問題があることを知ると共に、よく知らないままに決めつけて批判するべきではない、ということを考えさせられる作品でした。

   


   

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