伊藤朱里(あかり)作品のページ


1986年生、静岡県浜松市出身、お茶の水女子大学教育学部卒。2015年「変わらざる喜び」にて第31回太宰治賞を受賞、同作を改題した「名前も呼べない」にて作家デビュー。


1.
名前も呼べない

2.稽古とプラリネ

3.緑の花と赤い芝生

4.きみはだれかのどうでもいい人

5.ピンク色なんかこわくない

6.内角のわたし

 


           

1.
「名前も呼べない ★★             太宰治賞


名前も呼べない

2015年11月
筑摩書房
(1500円+税)

2022年09月
ちくま文庫



2016/01/06



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太宰治賞を受賞した「名前も呼べない」を含む中編、2篇。

「名前も呼べない」の主人公は、中村恵那、25歳。契約社員として2年半働いた会社の女子会に退職後招かれ、そこで恋人に2人目の子供が出来たことを知ります。
既に別れたとはいえ、何故恋人は恵那にそれを告げてくれなかったのか、恋人にとって自分はその程度の存在だったのか。
恵那の代わりに憤ってくれたのは、短大以来の親友である
メリッサ

どうもこの恵那という主人公、人に対して怒るという術を知らないようです。
何を言われ、どうされようとも、えへらえへらと笑ってやり過ごすのが常という恵那、それは自分が社会において何の存在価値もない人間と思い定めているからなのか。
そんな恵那にも終盤、思いがけない揺れが生まれます。
切なさというより、哀れとさえ感じられる恵那。その彼女が初めてといえる怒りの感情を迸らせたとき、救いを感じたのは決して私だけではないと思います。
哀切感、迫真力に加え、完成度の高い文章。見惚れる思いです。

「お気に召すまま」の主人公は、3年半の結婚生活を経て離婚したばかりの高校・英語教師の羽田美波
「名前も呼べない」の恵那ほどではないにしろ、いつも自分が悪いと考えるところは恵那と似る処があります。
そんな美波が、親友、妹、教え子とのやりとりを経て、開き直るという術を知るというストーリィ。

※本作については題名に惹かれたのですが、それもその筈シェイクスピアの同名戯曲、そしてロザリンドという女性がストーリィに登場します。私はこの戯曲題名、大好きなのです。

名前も呼べない/お気に召すまま

                            

2.

「稽古とプラリネ ★★


稽古とプラリネ

2017年03月
筑摩書房

(1600円+税)



2017/05/02



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南景以子、29歳。大学卒業後3年間務めた銀行を辞め、フリーライターになって5年。現在、雑誌にお稽古事の体験記を連載中。しかし、10年間付き合った恋人と別れたばかりで、心中もやもやが溜まっている。
そんな景以子の大学以来の友人=
佐伯愛莉もまた独身で、2人で慰めあうことも度々。
各章の題名、前の部分はお稽古事、後の部分は大学時代のサークル仲間との関わりを表しているという次第。

本作、どう読み解けば良いのか、戸惑うところがあります。
お稽古事にまつわる人間模様を描くお仕事小説の類か。それともアラサー独身女性の友情物語か。それとも様々なお稽古事を背景にしながら主人公の人間関係を描き出すストーリィか。
そのどれとも決めかね、中途半端な印象を持たざるを得ません。でもそれは、そのまま主人公の現在の状況に通じるところがあります。

かつての大学サークル仲間だった人物もいろいろ登場しますが、結局景以子が心を許して付き合えているのは愛莉だけ、という現実が明らかになっていきます。
本書での圧巻は終盤、子供の頃の友人が突然景以子の元に押しかけてきますが、その彼女に対して愛莉が、開き直ったように利己的な友情を主張する場面。
綺麗ごとの友情ではなく、利己的な友情もあるという啖呵が、極めて痛快、喝采したくなるほどです。
ここに至るまでのやや中途半端な展開も、このラストに繋げるためと思えば、充分許せる、という思いです。

ちょっと気が楽になれる、アラサー女性2人の友情譚。

秋−製菓とシネマ/冬−茶道とスカート/春−ピラティスと鏡/夏−声楽と再会/秋へ−書道と別れ

              

3.
「緑の花と赤い芝生 ★★


緑の花と赤い芝生

2018年09月
中央公論新社

(1600円+税)

2023年07月
小学館文庫



2018/10/15



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お互い27歳という同い年、でも性格や考え方は正反対。
そんな女性2人が、結婚という経緯によって兄嫁と義妹という間柄となり、関わり合うことになります。

杏里は幸せな家庭の奥さんという位置づけが夢。
区役所勤めで穏やかな性格の
晴彦(正しくは鈍感と言うべきか)と新婚2ヶ月という状況。
義母の元にも度々通い、今村家の味を教えてもらう等々、良い嫁であることに余念がない。
一方、晴彦の妹である
志穂子は、大学院修士課程を修了し大手飲料メーカーで研究開発職。子供時代から母親に女の子だから扱いされてきたことに徹底して抵抗、今の職場でもそれは変わらず、といった女性。

杏里と志穂子、どちらが正しいとか、どちらがあるべき姿かと言っても詮無いことでしょう。人それぞれなのですから。
常に厳しく母親らしい愛情を見せなかったシングルマザーの実母に杏里は反発し、女なんだからと常にお仕着せがましい実母に志穂子はいちいち反発する、という点で杏里と志穂子は共通するところがあります。
一方、杏里が姑と良好な関係を保っていられるのは、所詮他人だからと杏里の母親は友人の
理恵はずばり斬り込んできます。

どちらにせよ、面倒くさいですよねー、いちいちあれこれと指図してくる存在は。それは身内だけではなく、世間そのものにも言えることでしょう。
所詮は、世代の違い、考え方の違い、向き不向きの問題なのでしょう。
ただし、男性の場合より、女性の方がよっぽどそのしがらみは大きく、執拗ではあるのでしょう(男性の場合は全てに亘って鈍感だからなのかも)。

ついに志穂子が母親に対しキレ、杏里の母親も娘にキレ、志穂子と杏里がこれまでの遠慮をかなぐり捨てて言い争う、お互いの本音が弾けたようなその光景にはホッとさせられる思いです。
それもまた、切っても切れない関係だからこそか。

                      

4.
「きみはだれかのどうでもいい人 ★★☆


きみはだれかのどうでもいい人

2019年09月
小学館

(1700円+税)

2021年09月
小学館文庫



2019/10/14



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人と人がお互いを理解し合うのは難しい。まして、それが職場の人間関係、それに仕事上で利害が対立し合う関係であれば。

職場で人に傷つけられること、思いもよらず人を傷つけてしまうこと、そして人に自分を傷つけさせてしまうこと。
職場で仕事をしたことがあれば、仕事の責任を負わせられれば負うほど、そうした経験は誰しもあるのではないでしょうか。
振り返れば、そんなつもりはなかったのにもかかわらず、相手を傷つけてしまったこと、そう感じられてしまったこと、私にも覚えがあります。

本作は県税事務所で働く、立場や年齢も異なる4人の女性を各篇の主人公にした、連作ストーリィ。

中沢環・25歳、県庁試験で首席合格のエリート。人事部配属だったが、女性上司に散々にいたぶられた挙げ句に現県税事務所の<納税促進初動担当>に異動。元ルートに戻ると固い決意。
3ヶ月前からのバイト=
須藤深雪・38歳の余りの仕事できなさぶりに苦労させられているが、冷静に対処している。
・中沢の前任者である
染川裕未・25歳は中沢と同期。「お客様」から繰り返し浴びせられる暴言に心を病み、病休、<総務担当>に復帰。須藤深雪に自身と通じるものを感じる。
田邊陽子。初動担当の最古参パート。昔、正規職員。しかし、男性と伍して仕事をしようなどと考えたこともなく、出産を機に退職。子育てが終わってパート働き。
、総務担当主任、染川の上司。仕事に厳しいため、陰で「ケルベロス」と呼ばれている。

頑張ってもできない、自分の仕事に影響がなければ優しくしていられる、自分だって重い荷物を負わされながら頑張っている。
是認する訳ではありませんが、仕事にはつきものの問題と思います。それに耐えられるかどうかは結局、個人次第、性格次第ではないかと思います。
それでもそんな時、やってられるか、そんなこと知らねぇよ、と開き直り、言い飛ばしてしまうことができたなら、きっと顛末は違っていたのではないか。

緻密にリアル、切実感溢れる力作ストーリィ。お薦めです。

1キキララは二十歳まで/2.バナナココアにうってつけの日/3.きみはだれかのどうでもいい人/4.Forget, but never forgive.

                     

5.
「ピンク色なんかこわくない ★★


ピンク色なんかこわくない

2022年02月
新潮社

(1700円+税)



2022/03/18



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四人姉妹+母親、それぞれを描いた連作ストーリィ。

何か不思議な物語、という印象。
ごく普通の家族内のことをあるべくして描いていて、だから何なの?と言いたくなるのに、最後は納得感がある、そんな感じ。

四姉妹の内、上の3人は2歳ずつ歳が離れていて、いずれも個性豊か。長女は美人、次女は秀才、三女は変人。
彼女たちが本作において名前で呼ばれることはなく、仇名で終始します。
一番目だから
「いっちゃん」、秀才だから「博士」、変人で注意が必要だから「あの子」と。

末っ子の
愛子は三番目の姉から一回り歳が離れていて、服もお下がりばかり等々の所為か被害者意識が強い。そのため母親に対して言いたい放題という傍若無人ぶり。
それでも、だからこそ愛子と母親の間に、母娘関係が浮かび上がるという具合
母親、愛子から酷い言われようですが、母親とはそんなものと達観しています。
ここに至って、姉3人と愛子、娘たち各々と母親との間に、ゼネレーションギャップがあることを感じさせられます。そしてそれは、いうまでもなく男性とは違う女性だからこそのもの。

そんな愛子も、子をもてば母親に共感できることもある。
子どもの未来に期待し、エールを送ろうとする気持ちは愛子が初めて知ること。また、姉たちもそうしたことを繰り返してきたのかと、愛子は初めて気づきます。
という訳で、どこの家族でも繰り返されてきたことと、普遍性のあるストーリィであったかと感じた次第です。

※題名の意味、本ストーリィを読んでもらうと分かります。
 

1.赤い小鳥/2.誘惑の家/3.ピンク色なんかこわくない/4.幸福な母親/5.わが家は花ざかり

                  

6.
「内角のわたし I am in an interior angle ★★


内角のわたし

2023年03月
双葉社

(1650円+税)



2023/04/14



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主人公である若い女性のは、歯科医院でアルバイト勤務中。
雇い主である
院長は、女性は守られるべき存在と考えているような前時代的な人物ですが、とくに害はない。
同僚は、自分にも他人にも厳しい
「直線さん」と、派手で女性をアピールする「曲線さん」の2人。
その対照的な2人の間に挟まれて浮遊しているかのような存在感しかないのが、主人公の森。

実は主人公の脳内では、三人の人格が喧々諤々、その場に応じて役割を交代しながら、常にせめぎ合っているのです。
気弱で可愛いもの好きな
「サイン」、攻撃的な「コサイン」、そして物事を丸く収めようとする「タンジェント」
なんでそんなことになったのかと言えば、過去に何かトラブルがあってそれに苦しんだかららしく、その事情が明らかになるのは終盤に至ってから。

そんな森の日常は、訳ありらしい院長の甥
「新人くん」が新しいバイトとして登場してから。
それによって主人公の日常は、ちょっと変化します。
ところが・・・・・。

本作の面白さは、三人の人格が登場し、言い争いもしながら本人の行動を決めている処にあります。
まぁ世の中にはいろいろなタイプの人がいますから、上手く合わせようとすれば、それに合わせてこちらも変化しなくてはならないところがあるのは事実。
それが、余りにも気を遣いすぎ、どうしていいか判らなくなってしまうとこの主人公のようになりかねない、という意味では判るなぁ、と感じます。

最後、三人の前に全く登場していなかった本来の「わたし」が姿を現したことに、ホッとさせられます。

※脳内で何人もの存在が本人の思いや行動を決めているといったストーリィ、海外アニメでも日本の実写版映画でも観たことがあるように思いますが、たまに読むには面白い設定です。

    


   

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