平谷美樹
(ひらや・よしき)作品のページ


1960年岩手県生、大阪芸術大学美術科卒。中学の美術教師を勤める傍ら、創作活動を開始。2000年「エンデュミオンエンデュミオン」にて作家デビュー。同年「エリ・エリ」にて第1回小松左京賞、14年「風の王国」シリーズ全10巻にて第3回歴史作家クラブ賞シリーズ賞を受賞。


1.
でんでら国

2.
柳は萌ゆる

  


     

1.
「でんでら国 ★★


でんでら国画像

2015年01月
小学館刊

(1600円+税)

2017年06月
小学館文庫化



2015/02/12



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八戸藩と南部藩に挟まれた二万石の小国=外館藩大平村
60歳になった
善兵衛が家族に別れを告げて家を出、御山に向かう処からストーリィは始まります。
姥捨て話か!?と思うところで、確かにそうではあるのですが、ちょっと違う、というところが本作品の妙。
実は山中の奥深く、山に入った老人たちが共同で暮す秘密の村が出来ていて、老人たちはこれまで通り農作業にいそしみ、年貢がないことから開放的に暮らしている、というのが
「でんでら国」という表題の所以。
一方、飢饉の年であっても、他の村々が苦労しているのを横目に大平村だけはきちんと年貢を納めていることに、いくら棄老により食べる口を減らしているからといって怪しいと目を光らせたのが、
田代代官。その代官から大平村の隠田を調べるよう命じられたのが、別段廻り役の舟越平太郎
でんでら国を守ろうとする村人側と、隠田を暴こうとする役人側の、知恵比べ、作戦比べが繰り広げられる時代エンターテインメント! 映画「ホームアローン」の攻防を見る思いです。

官権側と民間側のせめぎ合いですからつい民間側に肩入れしたくなるところですが、平太郎もまた主人公の一人なので彼の心情もよく判るという具合で、両方に肩入れしたいままに読み進むところに、本エンターテインメントの面白さがあるように感じます。
ともあれ、老人になっても生き生きと暮らしていける場所があるとしたら、老人たちにとってはまさに桃源郷かもしれませんね。

※似た題名の作品に佐藤友哉「デンデラがあります。こちらも姥捨て話なのですが、「でんでら国」に比べるとかなりシビア。合わせて読んでみるのも一興です。

   

2.

「柳は萌ゆる ★★


柳は萌ゆる

2018年11月
実業之日本社

(1950円+税)



2019/01/16



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幕末の、南部家盛岡藩が舞台。
その難しい時代の中、藩内で頻繁に起きる百姓一揆に真摯に向かい合い、
「百姓のための政は、百姓にしかできぬ」と語り、「商人、職人も加えた合議」による政治を理想に掲げて歩んだ盛岡藩の加判役(家老)=楢山佐渡(茂太)という実在の人物を描いた歴史長編。

盛岡藩で何故そんなにも一揆が繰り返し起きたのかというと、一揆を収めるために百姓たちの要望を一部受け入れる約束をするのだが、その後にいつもそれを反故にするから。
主人公の茂太が怒るのも当たり前、何と節操がないことか、何と身勝手なことか、長期的に見て何と愚かなことかと思うばかりなのですが、年がら年中それが繰り返され、ころころと変わる施政者の節操の無さ辺りが面白いというか、飽きないというか。
その中で、父親である帯刀が息子の茂太に語ってきかせる言葉には深い含蓄があって、教えられる思いです。

しかし、維新の動きを受け、藩内で佐幕派と勤王派に分かれて対立するようになると、それまでの藩内抗争のような身内事では済みません。結果として盛岡藩の運命は激動に弄ばれることになります。

本作を読んで感じるのは、討幕・維新とは結局、日本国内における内乱でしかなかった、ということ。
どちらが正義、どちらが旧弊・悪ということはなく、要は朝廷をどちらが先に掲げたか、どちらが最新の武器調達に先んじたか、ということではなかったか。
その点、江戸・京から遠くにあり、情報に疎かった東北諸藩が薩長に利用され、都合よく討つべき朝敵に仕立て上げられたことは必然的だったと言えるでしょう。

戦に敗れたとはいえ、最後、藩士だけでなく、百姓、町人らからもその理想と努力を讃えらる様子には、本人のみならず、胸熱くなるものがあります。
人間の生き方とはどうあるべきかを見せられた気がします。

なお、表題の
「柳は萌ゆる」とは、若かりし頃の茂太が、その瑞々しい考え方に対して「茂太さまは、萌えいずる柳の葉のようなお方でございますな」と評された一言から。
お薦めです。


序章/1.若き柳の葉/2.お家騒動/3.仙台越訴(おっそ)/4.新たな反目/5.風雲急/6.奥羽越列藩同盟/7.秋田戦争/8.秋田戦争始末/9.柳は萌ゆる/終章

 


  

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