ルル・ワン作品のページ


Lulu Wang  1960年中国・北京生、北京大学で英米文学を専攻。26歳の時にオランダへ渡る。以後マーストリヒト大学で中国語を教え、翻訳業に励む傍ら小説作法を学ぶ。97年「睡蓮の教室」にて作家デビュー、オランダでベストセラーとなり、ノニーノ国際文学賞を受賞。現在ハーグ在住。

 


 

●「睡蓮の教室」● ★★★
 原題:"The Lily Theater" 
      訳:鴻巣友季子




1997年発表

2006年10月
新潮社刊

(2800円+税)

 

2006/11/25

 

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中国の文化大革命時代(=文革)を、12歳の少女・蓮(リエン)を主人公にして描いた長篇小説。
「ワイルド・スワン」を読み逃している私にとっては、まず中国人による現代中国を舞台にした小説、という点が物珍しい(もっとも作者は中国系オランダ人ですが)。知ることのなかった中国社会の内側を覗き見てみようというのが、本書を読んだ第一の理由です。

ところが本書はとんでもなく面白かった。
私がちょうど学生時代の頃に中国国内を賑わした文革・4人組の騒動の実相を知ることができるということを超えて、思春期を迎える一少女の物語として抜群に面白いのです。蓮という少女の溌剌とした輝き、貧しい張金(チャンキム)という同級生との固い友情、が何といっても素晴らしい。
ちょうど文革の真っ最中、医師である父親は強制収容され、大学教師である母親も労働改造農場(労改)という名目の強制収容所に入所させられます。ちょうど身体中に白い斑点を発している蓮の身を慮って、母親は蓮を連れて労改へ。そこには著名な大学教授らが大勢収容されて、思想改造という名目に基づき劣悪な衣食住環境の元で肉体労働を強制されていた。知識階層には過酷な現実ですが、蓮にとっては高名な教授らから可愛がられ、直接に個人指導を受けられるという得がたい日々となります。
本書の題名は、施設の裏手にある池で蓮がカエルたち相手に学んだことを自分なりに講義してみせる、蓮が名づけるところの「睡蓮座」から付けられています。
労改からの出所を許された母親とともに家に戻った蓮は、元の生活を取り戻し、再び学校に通うことになります。でも高名な教師らとの交流を深めた蓮は、他の少女たちと異なり、表面に現れていることだけでなくその下にある事情も考えてみようとする目を備えています。そこが本作品のひとつの見所といって良いでしょう。
クラスでただ一人差別され、虐待の対象になっている張金。
蓮たち第一階層の家族ではなく、第三階層として位置づけられている元農民の貧しい一家。蓮はそんな金と親友となり、金のクラスでの位置を引き揚げようと金に協力して2人で力を合わせ頑張り始めます。そしてその結果は・・・・。

本書を読んでいると、社会主義国家とは一体何だったのだろうかと考えずにはいられません。社会主義国家が唱えた人民の平等と実際のそれは、どんなに懸け離れたものだったことか。結局社会の最上位に立つ者が、一部の貴族あるいは富裕層から一部の党幹部に変わったに過ぎない。つまり、社会主義革命とは単に権力者の差し替えに過ぎなかったのではないか。
そうした中で貧しい農民の生活は向上したのかと言えば、殆ど変わりはしない。プロレタリアートの模範と党から称えられようがその実態は「模範なのだから貧しいまま我慢しろ」、いうことに他ならなかった。むしろより悪くなったのではなかったか。
毛沢東の一語一語が教条主義的に濫用され、生徒が教師たちを批判し吊るし上げるという風潮まで嵐のように吹き荒れる場面に至ると、人間が何で同じ人間に対してこうも酷いことができるのかという、異様なものを感じざるを得ません。
初潮を迎え、女の子らしい体つきになることさえも疎まれるというのですから何をかいわんや。心底から怖ろしい社会、と感じます。
蓮には、彼女なりの紆余曲折も挫折もあったにしろ、そんな文革時代を溌剌と駆け抜けたという印象が残ります。
そしてその蓮と固い友情で結ばれた金の一途さ、心と身体の強さもとても忘れ難いもの。この2人の少女像はこうした時代にあってとても鮮やかで、本作品を清新なものにしています。 
本書は 約600頁と大部な長篇ですが、読む一頁一頁が面白く、この長さは満足感こそあれ少しも気になるものではありません。
お薦めです。

     



新潮クレスト・ブックス

  

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