ヨハンナ・シュピーリ作品のページ


Johanna Spyri  1827-1901 スイスの山村ヒルツェル生。25歳の時に弁護士のシュピーリと結婚、チューリヒに住む。44歳の時処女作である短篇「フローニーの墓の上の一葉」を匿名で刊行、53歳の時に「ハイジの修行時代と旅の時代」、続いて翌年続編を刊行。


1.アルプスの少女ハイジ

2.高橋健二著・「アルプスの少女ハイジとともに」

   


 

1.

●「アルプスの少女ハイジ」● ★★★
第1部:“Heidi's Lehr-und Wanderjahre”(ハイジの修行時代と旅の時代)
第2部:“Heidi kann brauchen,was es gelernt hat”(ハイジは習ったことを使うことができる)

   

第1部 1880年
第2部 1881年
発表

 
1952年06月
角川文庫刊

改版第7版
1972年07月

  

2000/03/09

 

amazon.co.jp

子供の頃から何度も読み返し、ストーリィの細部まで覚えこんでしまったような物語ですけれど、改めてきちんと読み直すと、それなりに新たな楽しさがあります。
アルプスの自然の美しさを抜きにして本作品を語ることができないのは、今更言うまでもないことですが、今回はハイジについて新たな感慨を覚えました。それは、ハイジが人のいうことを真っ直ぐに信じて、きちんとそれを守る少女だということです。
アルムおじさん、ペーターのおばあさんは当然ながら、叔母デーテ、ゼーゼマン家の家政婦ロッテンマイヤーの言うことまでも、ハイジはきちんと守ります。その結果、ハイジはホームシック→夢遊病という辛い経験をします。その一方で、クララのおばあさんの言うことをしっかり理解して、神様にお話する習慣を身につけ、山に戻ってからはおじいさんにまでその感化を及ぼします。
アルプスの自然のように、人間のちっぽけな利己心が遠く及ばないようなところに、ハイジの真っ直ぐな心はあります。それと、ハイジには自分の為の欲というものがまるでありません。
そうした面で、ハイジはまさしくアルプスの自然そのものから生まれた少女と言えますし、作者が幼い頃から身につけていた神への敬虔な思いを継ぐ少女でもあります。

本作品が書かれた当初は、ハイジが山に戻り、アルムおじさんが再び教会に通うようになるところまでの物語だったそうです。その後、読者からの要望に応えて続編が書かれた訳ですが、作者の息子は続編を執筆に批判的だったとか。作品の完成度はともかくとして、ハイジのような主人公と少しでも長く付き合いたいというのは、読者として当然の願いですから、現在のような長編になったのは嬉しいことです。
なお、私が独身時代にヨーロッパへ一人旅した時、アイガー北壁、ユングフラウを目前に眺めるクライネ・シャイデックというアルプス山中の景勝地へ登りました。そこへの途中から、周囲の景色の美しさにはただ唖然とするばかりでした。作品中、ハイジは「山は美しいんです」と訴えますが、あの美しさはとても言葉では言い表せないものです。そして、火箸の先に刺して焼いたチーズ、はるかな谷間を見下ろしながらの食事、読む度、憧れの思いを新たにします。

仏訳を手がけたトリッテンによるハイジの後日物語あり。
 「それからのハイジ」、「ハイジの子どもたち」

  

2.

●高橋健二著・「アルプスの少女ハイジとともに」● ★★

  

1972年10月刊

1984年09月
弥生書房刊

−改題−

  

1984/10/14

本書は、「ハイジ」の原作者であるヨハンナ・シュピーリの伝記です。 高橋さんの語り口は優しく、ていねいで、気持ちよく読める一冊です。
「ハイジ」は子供の頃から繰り返し読んできた作品ですが、何時の頃からでしょうか、作者は幸福だったというより、むしろ深い悲しみ、そして苦労を乗り越えてきた人ではないか、と思うようになりました。つまり、「ハイジ」のような純粋で美しい物語は、大きな苦しみを乗り越え、そこに安らぎを見出したことのある人でなければ書き得ないのではないか、という思いが強くあったからです。
事実、シュピーリは、晩年に一人息子と夫を相次いで失い、唯一人残されるという不幸に遭っています。それは、「ハイジ」が書かれた後のことですけれど、牧師の娘であった母親と医師であった父親から、強い信仰心と博愛心を受け継いでいたからこそ、その不幸を乗り越えることができたのだろうと思います。
本書を読むと、また「ハイジ」が読みたくなります。

   


 

to Top Page     to 海外作家 Index