フランシス・イタニ作品のページ


Frances Itani 
1942年カナダ・オンタリオ州ベルヴィル生。21歳より看護婦として働いた後、29歳で執筆活動を開始。2003年デビュー長篇となる「遠い音」を発表、空前のベストセラーとなる。同作品にてコモンウェルス作家賞カナダ・カリブ地域賞等数多くの賞を受賞。赤十字職員である夫とともに世界各地に赴き、ボスニア紛争も経験している。

 


 

●「遠い音」● ★★★
 原題:"Deafening"     訳:村松潔

  


2003年発表

2005年08月
新潮社刊

(2600円+税)

 

2005/09/24

 

amazon.co.jp

5歳の時猩紅熱で聴覚を失った少女、グローニア。本書は、音を聴くことの出来ない彼女の半生を描いた長篇小説です。
時代は第一次大戦勃発前1902年から1919年まで。舞台はカナダ。

グローニアの母親は、娘が聴覚を失ったのは自分が病気の娘を放置していた所為と思い込む余り、グローニアが聴覚を失ったことを認めようとせず、あちこちの教会を祈り巡って、かえって専門の学校への進学を遅らせてしまう。
それに対し、祖母のマモは気丈にそして辛抱強く、グローニアに唇を読むことを、言葉を口に出すことを教えます。
その祖母マモの強さによって、その後のグローニアがどんなに助けられたことか。
グローニアと祖母マモの間に通い合う強い愛情、信頼感には感動を覚えます。
グローニアを支えたのはマモだけではありません。姉のトレスは他人の唇の動きがグローニアに読み取れない時、唇を動かして彼女に伝達してくれる。2人の姉妹の愛情もまた胸打たれます。
グローニアのことをただ可哀相がって保護しようとするのではなく、彼女のために何が必要かを考えてしっかりと支えている。家族全員ではないけれど、そんな祖母や姉に囲まれたグローニアは幸せと言うべきでしょう。

でも、本書の素晴らしさはそんな家族間の愛情物語にあるのではありません。
本書の静かな雰囲気、グローニアの抱く静かな世界にあります。
言葉に出すことはできなくても、グローニアの胸の中にはいっぱいの思いがあります。
音が聴こえないということ=不自由なことと健常者は考えがちですが、本書を読んでいるとそんな考えがどんなに誤っいるかと思わざるを得ません。グローニアは、余計なことは聞かないようにし、大切なことだけをしっかり受け留めていく、そんな静かな世界に居るのです。
唇を読んで相手の言葉をつかむだけに、時として読み取った言葉に食い違いがあって、意味が違うものになってしまうことがあります。幼いグローニアは、そんな時静かに自分の内で疑問を浮かべます。そんなグローニアがとても愛しい。
やがてグローニアは聾専門の寄宿学校に入り、幼くして家を離れます。そして卒業後、病院で働くうちに音楽好きの青年ジムと知り合い結婚する。しかし、ジムは結婚後まもなく第一次大戦に出征し、彼女は夫のことを思いながら暮すことになります。
後半は、じっとジムのことを思いながら暮らすグローニアと、グローニアを偲ぶ戦場のジムが、代わる代わるに描かれます。

声を聴くことができないからこそ、相手の言葉を唇で知り、唇に触って感じ、相手の気持ちを思いめぐらせる。
音の聞こえる健常者には全く予想もできない、繊細で静かな美しい全く別の世界を、グローニアたちは持っているのです。それを余すところなく伝えてくれる本書は、素晴らしい作品です。

※なお、作者のイタニには耳の聴こえない祖母がいたそうです。だからこそこの作品が書けたのだと、納得できます。

     



新潮クレスト・ブックス

  

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