映画評/キアロスタミ『桜桃の味』

Subject: [jungnet 00075]
Date: Thu, 12 Nov 1998 17:39:26 +0900
From: A 
 

 
  『桜桃の味』
     アッバス・キアロスタミ監督
     1997年、イラン映画
 
 今村昌平の『うなぎ』と一緒に1997年カンヌ映画祭の最高賞パルムドール
を受賞した作品なので、映画の名前ぐらいご存じではないでしょうか。
 今年の春に澁谷のユーロスペースで上映されているところを見に行って、い
たく感動して帰ってきました。その後あちらこちらで「よかったぞ〜!」と言
いまくっていたわけですが、今回ビデオでも発売されたので、さっそくレンタ
ルして見返してみました。
 うーん、やっぱりいいです。〜"(TмT)"〜 じーん…
 そういうわけで、ユングネットでも改めて本作品をご紹介しようと思いまし
た。
 
 キアロスタミ監督はイランの映画監督で、素人を起用して映画を撮ることで
も有名です。隣町にいる友人に学校のノートを返しに行く子供の話『友だちの
うちはどこ?』、映画を撮影した町が大地震で崩壊し、監督自身がかつての出
演者に会いに行くドキュメンタリー映画『そして人生は続く』、さらにその続
編となる『オリーブの林をぬけて』の「道」三部作が代表作です。
 私はと言うと、銀座で上映していた『友だちのうちはどこ?』を見に行った
のがファンになるきっかけでした。その後NHK衛星放送でキアロスタミ監督
作品の特集を組んでいたので見ました。とにかくどれもいい映画です。
 
 この作品は、一人の中年男が、車を運転しながら自分の自殺を手伝ってくれ
る人を探してまわるという話です。「私は、夜に睡眠薬を飲んで穴の中に横た
わる。そしたら君は次の朝に来て、穴の中の私を呼んでほしい。返事がなかっ
たらそのまま埋めてほしい」というのが中年男のお願いなのですが、最初に頼
んだ若い兵士には逃げられ、神学生には申し出を拒否される。三人目の老人は
この申し出を受け入れるが、中年男に次のような話をします。(パンフレット
掲載のシナリオより抜粋)
 
  一つ、わしの思い出を話そう。結婚したばかりの頃だ。生活は苦しく、す
 べてが悪くなるばかりだ。わしは疲れ果て、死んだら楽になると思った。も
 う限界だとね。ある朝暗いうちに、車にロープを積んで家を出た。わしは固
 く決意してた、自殺しようと。1960年のことで当時はミネアに住んでい
 た。わしは家の側の果樹園に入っていった。1本の桑の木があった。まだあ
 たりは真っ暗でね。ロープを投げたが枝に掛からない。1度投げてだめ、2
 度投げてもだめ。とうとう木に登ってロープを枝に結んだ。すると手に何か
 柔らかいものが触れた。熟れた桑の実だった。一つ食べた。甘かった……。
 二つ食べ、三つ食べ……、いつの間にか夜が明け、山の向こうに日が昇って
 きた。美しい太陽!美しい風景!美しい緑!学校へ行く子供たちの声が聞こ
 えてきた。子供たちが木を揺すれと。わしは木を揺すった。皆、落ちた実を
 食べた。わしは嬉しくなった。それで、桑の実を摘んで家に持って帰った。
 妻はまだ眠っていた。妻も起きてから桑の実を食べた。美味しいと言って
 ね。わしは死を置き忘れて桑の実を持って帰った。桑の実に命を救われた。
 桑の実に命を救われた。
 
  あんたはトルコ人じゃないから一つ笑い話をしよう。怒らないで……。ト
 ルコ人が医者に言って訴えた。“先生、指で体を触るとあらゆる所が痛い、
 頭を触ると頭が痛い、足を触ると足が痛い、腹も痛い、手も痛い、どこもか
 しこも痛い。”医者は男を診察してこう言った。“体はなんともない、た
 だ、指が折れている。”と。あんたの体はなんともない、ただ考えが病気な
 だけだ。わしも自殺しに行ったが、桑の実に命を救われた。ほんの小さな桑
 の実に。あんたの目がみてる世界は本当の世界と違う。見方を変えれば世界
 が変わる、幸せな目で見れば、幸せな世界が見えるよ。
 
  すべてを拒み、すべてを諦めてしまうのか?
  桜桃の味を忘れてしまうのか? ……
 
  
 中年男は少し決意が揺らついたかのような言動もしましたが、結局考えを変
えません。その晩、暗闇の中、穴のある場所に来た中年男は、穴の中に横たわ
ります。画面が暗転します。
 
 映画のストーリーは、言ってみればこれだけです。ただ、ラストシーンに少
しオマケが付きます。
 (映画を実際に見ようという方は、この次のパラグラフを決して読まないで
飛ばしてください。見る前に読むと絶対損します)
 
 
 暗転が明るくなると、なんとこの映画の撮影風景になるではありませんか!
監督もいるし、中年男役の人もちらりと映ります。みんな笑っています。映っ
ている場所は、映画の中で車が走っていたのと同じ町の郊外の荒道ですが、ひ
とつ違うのは、映画中では乾燥して荒れて埃だらけで、まるで造成地のよう
だったその風景が、春の緑の芽吹きで覆われているということです。
 映画は、ここで終ります。
 
 
 最後の最後で、映画の雰囲気や世界観を自ら相対化してしまうんですね!
老人の言葉通りに。まるで突き放されたかのような、なんとも言えない不思議
な感動が残ります。
 甘いところのない、本当に淡々とした映画です。それなのに不思議と、何か
元気が湧いてくる。「頑張れ!」というような励ましなんかではなく、この
淡々さこそが本当の意味で勇気をつけさせてくれるように思います。
 その一方でユングの読者にとっては、シンボリズムに満ち満ちた映画でもあ
ります。さきほど引用した老人の桑の実の話にしても、明らかに死と再生のイ
メージが現われています。老人が中年男に言いたかったことは、このイメージ
にまつわる一種ヌミノースな体験であり、この体験こそが生に関わってくると
いうことだったように思います。けれども逆に言えば、この体験をしていない
者に対してこの体験をいくら言葉で説明しても、なかなか通じないということ
でもあるわけです。
 
 
 この映画は、言ってみれば自殺がテーマであるわけですが、このことに関し
て、『桜桃の味』のパンフレットに掲載されていた監督へのインタビューから
少し引いてみます。
 
  ルーマニアの哲学者E.M.シオランの言葉“自殺の可能性がなかったら、私
 はとうに自殺していただろう”があります。自殺の可能性がある(死はいつ
 でもすぐそこにある)からこそ人生が貴重なものになる。私は、自殺を人生
 における出口であると考えます。出口がないと思うと人生は息苦しい。しか
 しいつでも出ていけるドアがあると考えるだけで、人生はより大切なものに
 なるのです。 (1997年10月30日・東京)
 
 これをユング派であるジェームズ・ヒルマンによる次の文章と付き合わせて
みるとどうでしょうか。
 
  分析家が、哲学を自殺問題との格闘の第一歩であると考えるのは、もっと
 もなことである。人によっては、自殺は無意識的哲学の行為、すなわち、そ
 れに関与することによって死を理解する試みであることがある。死への衝動
 は、必ずしも反生命的な動きと考える必要はない。それは絶対的存在との出
 会いに対する欲求、死の体験を通じて得る、より完全な生に対する欲求であ
 るかもしれない。
  恐怖もなく、先入見もなく、病的傾向もなければ、自殺は、「自然な」も
 のとなる。それは私たちの本性のひとつの可能性、すなわち、どの人間の心
 にも開かれたひとつの選択であるから、自然なのである。分析家の関心事
 は、自殺という選択自体よりも、選択の意味、つまり、直接に死に経験を求
 める唯一の選択の意味を理解するよう相手を助けることにある。
  この選択の意味は、個にとっての死の重要性である。個が成長するよう
 に、自殺の可能性も成長する。(中略)死を選ぶことができない限り、生を
 選ぶこともできないのである。生に対してノーと言えない限り、生に対して
 本当にはイエスと言えないのである。ただ生の集合的な流れに流されてきた
 にすぎない。(中略)集合的な生の流れから分離して、個を発見するために
 は、死の経験が必要なのである。
      (『自殺と魂』、樋口和彦・武田憲道訳、
                    創元社、1982、P67〜68)
 
 両者の言っていることは一脈通じていると思いませんか?
 ここで言われているのは、自分の生を“自分の”生として選択していくとい
うことの大切さ、それを能動的に行うために必要な「死」、より正確に言うと
「死のイメージ」です。もしかしたら「死」というのは、意識の発達過程の中
で、個の成立が必要となったときに発現するべくプログラムされた元型的イ
メージであるのかもしれません。
 この映画が、自殺を扱いつつも、どこかしら生を強く感じさせるのは、こう
した「死」イメージを表現しているということに関係があるように思います。
 
 
 最後に、読売新聞3月9日付に掲載された、映画監督の篠崎誠による『桜桃
の味』映画評を引用してみます。
 
  キアロスタミ監督が描く主題や物語はいたって単純だ。(中略)映画に登
 場するのは、私たちに似た、ごく普通の人々ばかりだ(ちなみにキアロスタ
 ミはプロの俳優を使わず、演技経験のない素人を好んで起用する)。それで
 いながらハリウッドが最新の映像技術や何百億円の制作費をつぎ込んでも捉
 えることの出来ない魅力に満ち溢れていて、私たち観客をごく自然に映画の
 中に導いていく。彼の映画が捉えてみせるのは大げさな事件ではなく、この
 世界の些細な表情だ。
   (中略)
  他のキアロスタミの映画同様、一見素朴に見えるその演出は、実は計算し
 つくされ、洗練された技術と方法に裏打ちされている。たとえば、前述の車
 の場面にしても、何げなく見ていると気がつかないが、運転する中年男性と
 助手席にいる男たちが二人一緒に同じ画面に収まることがない。理由は簡
 単。助手席に載る男たちを撮影するときには主人公の中年男性に代わって監
 督自らが車を運転し、相手の男たちから自然な反応を引き出し、同じ要領で
 運転している中年男の表情を撮影するときにも監督であるキアロスタミが相
 手役として車に乗り込み、狙いの表情を撮るために時には脚本にはないこと
 を言って相手から望みのリアクションを引き出し、最終的にそうやって別々
 に撮影した場面を巧みにつなぎ、音声を差し替えたのだそうだ。
  そのようにして作り出された映画は全く作意を感じさせることがなく、自
 殺願望のある男を主人公にしながらも、最終的に浮かびあがってくるのは生
 きることへの賛歌だ。
 
 実際この映画の本当の魅力は、映画のディテールひとつひとつが本当に味わ
い深いところにあります。そうしたディテールが積み重なっていくことによる
なんとも言えない雰囲気は、もう実際に見ていただく以外に伝えようがありま
せん。
 
 皆様、是非ともご覧あれ!!
                ""(T▽T)"" とってもイイぞ〜〜
  

 
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