仙人の会 2000年10月例会レジュメ


中国東北地方の少数民族と中等教育における日本語教育


本田 弘之

1:中国東北地方の少数民族

○満州族

○モンゴル族の人口:480万人(内モンゴル自治区に340万人、遼寧省に59万人、吉林省に16万人、河北省・黒龍江省・新疆ウイグル自治区にそれぞれ14万人づつ)
なお、モンゴルの人口は190万人、またロシアに60万人

○朝鮮族の人口は中国全土で192万人。(吉林省に120万人…延辺朝鮮族自治州に82万人、黒龍江省に45万人、遼寧省に23万人

2:中国の学制と少数民族教育

○学制:初等教育として小学校6年間、中等教育は初級中学3年と高級中学3年、そして高等教育として大学がある。高中は普通中学と職業中学にわかれる。

○少数民族の自治体(自治区・州・県・郷)については、原則としてすべての小学校、中学(初中・高中)、大学で民族語教育がおこなわれることになっている。また、民族自治体ではない地区であっても、少数民族の数が多い地区には、民族語で教育をおこなう学校が設置される。これらの学校には「民族小学校」「民族中学」の名称が与えられている。少数民族の子女の人口がひとつの学校を形成するに満たない場合は、普通の(漢族の)学校に民族クラスが設置される。

○少数民族自治体にも「漢族学校」と通称される学校(ただし「漢族学校」は正式な名称ではない)が存在し、そのような学校では中国語(漢語)のみで教育がおこなわれている。

○少数民族の自治体であっても、その地域に居住する少数民族の民族言語の保持率が低いところでは中国語(漢語)で授業がおこなわれるのが普通である。民族語は小学校低学年で週に2・3時間の授業がおこなわれるのみか、あるいはまったくおこなわれていない。

○自分の子供を「民族学校」に通わせるか「漢族学校」に通わせるかは親の裁量にまかされている。

3:中国東北部における外国語教育の変遷

○中国東北部で日本語教育がさかんにおこなわれるようになった発端が、いわゆる「満州国」の遺産にあることはいうまでもない。

○その後、中国東北地方の外国語教育の主流はロシア語になるが、文化大革命とともに、外国語教育はとだえる。民族語教育もおこなわれなくなる。

○文化大革命の終了とともに民族語・外国語教育が復活する。高考の外国語科目として選択されたのがロシア語、英語、日本語であった。すなわちロシア語、英語、日本語が中国の中等教育でおこなわれる外国語として定められた。そのときから東北地方では日本語教育が一気に広まった。

4:中等教育における日本語の普及と衰退

1972年より急速に普及した中等教育における日本語教育であるが、現在、その数を急速に減じつつあり、このまま減少が続けば今後10年以内に消滅する(英語教育がすべての地域でおこなわれるようになる)とおもわれる。

4−1:日本語教育が普及した理由

○貧困地区への集中

日本語ができる人材は、文化大革命の時期、きびしい弾圧を受け地方の農村に追いやられた人々が少なくなかった。これらの人材が文化大革命収束後、その地方で外国語教師として採用された。

○少数民族地域への集中

文化大革命とそれに先立つ「大躍進」の時期には、東北地方では民族教育がほぼ全面的に否定された。朝鮮族が集中する延辺地区でさえ朝鮮語教育がまったくおこなわれず、民族中学は廃止され、すべて中国語(漢語)による教育がおこなわれるようになったのである。この状態は1950年代後半から1976年ごろまで続き、大量の「母語ができない少数民族」を生みだすことになった。(たとえ日常会話はできても、母語の識字力のない人々が生まれた)

しかし、1976年になり、ふたたび民族言語による教育がおこなわれるようになると、大学進学で少数民族の生徒は不利な条件に立たされることになる。なぜなら高考は、中国語(漢語)が必修であり、少数民族であっても中国語(漢語)の試験を受けなければならないからである。少数民族地域の高考受験には特例として、民族語の試験があるが、これは中国語(漢語)の試験に代わるものではなく、中国語(漢語)の試験も受けなければならない。この場合、高考の成績は中国語(漢語)を50%、民族語を50%の割合で合計して総点とする。(なお、その他の科目は民族語に翻訳された問題を解答することになっているが、これは必ずしも守られているとはいいがたい)

配点が半分だからといって、学習に要する時間が半分になるわけではなく、結局、少数民族の生徒は、民族言語と中国語(漢語)を二重に学ぶ必要があるのである。中国語(漢語)と民族語は、多くの民族中学で週に5〜6時間が配当されており、この授業時間分だけ他の科目を減らさなければならない。

このような条件のもとで目をつけられたのが、外国語科目としての日本語の採用であった。先に述べたとおり、高考で選択が可能な外国語科目はロシア語、英語と日本語である。このうち、ロシア語と英語はモンゴル族にとっても朝鮮族にとってもまったく統語構造を異にする「外国語」であるのに対し、日本語はほとんど逐語訳が可能なほどそれぞれの民族言語に似た言語である。しかも、日本語にはロシア語、英語とは比べものにならないほど習得に有利な点がある。それは、日本語は「漢字かな混じり」で表記されるということである。漢字(漢字熟語)の部分は中国語(漢語)と共通するか類推が可能な表記であり、一方、かな表記の部分は自らの言語から類推あるいは逐語訳が可能な部分である。 以上のような理由により、モンゴル族と朝鮮族の民族中学では、ほぼ例外なく日本語を外国語科目として採用した。

このようにして1970年代後半には、延辺朝鮮族自治州では、ほぼ100%の民族中学で、内蒙古自治区内の民族中学でも相当数の学校が日本語を外国語として選択することになった。

4−2:英語教育の発展と日本語教育衰退

1990年代に入り、日本語を選択する学校が急速に減り、代わって英語教育を採用する学校が増えてきた。

(1)一人っ子政策とそれにともなう教育の過熱

(2)テレビの本格的な普及とその影響

(3)中国語(漢語)の学習にかかる抵抗感の減少

(4)高考における日本語採用校の減少

5:中国東北地方の中等教育における日本語教育の今後の展開

(1)留学ブームと日本語教育

(2)小学校からの外国語教育と進学校における「特色づくり」。

(3)教員確保に関する状況の変化

参考資料

岡本 雅亨 『中国の少数民族教育と言語政策』 社会評論社 1999
中国社会科学院民族研究所ほか 編 『中国少数民族語言使用情況』 中国藏学出版社 1994
延辺朝鮮自治州志編纂委員会 編 『延辺朝鮮自治州志(上・下)』 中華書局 1996
熊 明安 主編 『中国近現代教学改革史』 重慶出版社 1999


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