日時:6月26日(日) 14:00〜
場所:法政大学大学院棟(旧92年館)3階301号室
JR中央線・地下鉄南北線飯田橋あるいは市ヶ谷駅または
JR中央線・地下鉄南北線/有楽町線/東西線飯田橋駅下車、徒歩約10分
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交通アクセス(市ケ谷)(Copyright (c) Hosei University)
発表者:三田 辰彦氏(東北大学大学院文学研究科教育研究支援者)
発表題目
亡国の陵墓を記録する―中国南朝陵墓をめぐる「学術」と政治に関する史的考察
要旨
中国南京市の郊外にある南朝獅子沖大墓は、全国重点文物保護単位に指定された重要遺跡である。近年、発掘調査が行われた結果、墓主は従来説とは別の人物である可能性が高まった。その人物とは、「書は文集文選」と称されるかの『文選』の編者・昭明太子蕭統とその生母丁氏である。この成果が妥当ならば、従来説で墓主に比定された皇帝の陵墓の所在地を問い直すとともに、従来説の論拠と論証過程を見直す必要があるだろう。
それに先立ち、報告者は、研究者の視座を無意識裡に規定していたであろう、各種文献史料の記録の枠組に注目したい。従来研究も史料の信憑性については十分に意を払ってはいたが、なぜ陵墓の情報を記録したかという根源的な問いはなされていない。例えば南朝陵墓の位置に関する比較的早い記録は、
9世紀前半(唐代)に作成された大部の地理資料集で確認できる。編集意図を編者の序文から探ると、そこには王朝の国家的危機(大規模内乱に伴う地方割拠)がある。王朝の統治範囲を主張する材料をこしらえるため、地理情報を集成する必要に迫られたのである。無論、仕事の必要性を危機的現状に引きつけるレトリックは現在でも使われる常套句ではあるが、政治と学術水準と、どう折り合いをつけようとしたか、そこに人間の知恵を垣間見ることもできるのではなかろうか。
そこで本報告では、南朝獅子沖大墓を素材として、直近の発掘調査報告・中華民国期以降の研究の視座を簡潔に整理し、その対比項として、前近代中国における文献史料が南朝陵墓の情報を記録した背景を探る。「陵墓にまつわる情報を記録する」という営為の延長線上に現在の発掘調査や陵墓研究を位置づけることが許されるならば、我々の現在の「学術」的行為そのものを逆照射する意味でも、文献史料の編纂意図を探ることは意義あるものと考えられる。本報告はこうした観点に立って一つの粗描を試みるものである。
※当日は資料・お茶代として200円いただきます。
(例会終了後には、会場近くで懇親会を予定しております。)