日時:7月11日(土) 14:00〜
場所:京都文教大学・普照館2階(キャンパスマップで「B」)、F232(Copyright (c) Kyoto Bunkyo University)
※近鉄「向島」駅からスクールバスが出ていますが、土曜日は運行が少ないため、以下の時刻表をご確認の上(スクールバス時刻表)、お越しください。なお、京都文教大学までは駅から徒歩15分ほどかかります。
※会場である普照館に入るには専用のカードが必要となります。開始10分ほど前までは担当の二文字屋が1階にて待機しておりますので、お声がけください。また、研究会開始以降は1階にて担当者の携帯番号を張り出しますので、そちらまでご連絡ください。会場へご案内致します。
発表者:宮脇 千絵氏(南山大学人類学研究所 研究員)
発表題目
『百苗図』におけるミャオ族の集団識別と服飾
要旨
本発表では、清代から中国成立後にかけて、ミャオ族がいかに記述されてきたのか、そしてその特徴がいかに集団名の由来となってきたのかを、主に清代の『百苗図』、および民国期の鳥居龍蔵の資料から検討する。そして、服飾の色や形態が現在まで続く集団識別や名づけの指標となってきた過程を明らかにする。
ミャオ族の服飾の色に基づいた他称(紅ミャオ、黒ミャオ、白ミャオ、青ミャオ、花ミャオ)は、現在でも汎用性を持ち、「サブ・グループごとに服飾が異なる」という言説にもつながっている。しかし、他称と自称の記述上の不整合や、服飾と集団の境界を同一視することの実情との乖離といった問題がある。集団識別と名づけの歴史的経過を検討することは、中国における服飾と民族表象や民族アイデンティティの結びつき、および変容する現代「民族衣装」のあり方を考察するうえでも重要である。
『百苗図』とは、清朝統治者が、南方の非漢人を理解し、効果的な統治をおこなうために編纂された民族史文献の総称で、現在の貴州省に居住する80〜100
種の「苗」の風俗習慣が絵図とともに記述されたものである。清代嘉慶初年(1796
年)に出された陳浩『八十二種苗図併説』が原本だとされる。それ以降、続々と写本や抄本があらわれ、『苗蛮図』、『苗図』などとも呼ばれる。陳浩『八十二種苗図併説』に描かれた
82種の「苗」のうち、現在のミャオ族に相当するのは34
種である。これを元に、@明・清代初期の時点ですでに漢人に認識されていた集団、A清代雍正年間の改土帰流後に認識された集団、B陳浩の調査により「発見」された集団の三段階において、どのように集団の境界線が引かれ、集団名がつけられていったのかを検討する。
続く民国期には、80〜100
種に細分類されていた「苗」が、紅、黒、白、青、花の「五色の分類」に集約される。このような記述に影響を与えたのが鳥居龍蔵による西南中国調査報告である。これ以降現在にかけて、各地方志などでは、当地のミャオ族をこの服飾の色に基づく他称に当てはめて記述することが続いている。
本発表ではこれら記述の分析を通じて、ミャオ族の服飾の特徴がいかに集団識別と名づけの指標となってきたかを明らかにする。そしてそれがサブ・グループの境界を越えて婚出する女性の服飾の選択肢の多様化や、服飾が変化しながら継承されている現状と乖離していることを示し、服飾の色に基づく他称の有用性を問う。
※当日は資料・お茶代として200円いただきます。
(例会終了後には、会場近くで懇親会を予定しております。)