2014年 仙人の会4月例会


日時:4月19日(土)  14:00〜18:00

場所:亜細亜大学6号館2階第8会議室
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※会場がこれまでと異なっていますので、ご注意ください。

発表者:増田 厚之氏(元学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻・博士後期課程)

発表題目
 雲南省東部の交通網の変遷について

要旨
 雲南省は、その地勢と気候条件から物資の輸送が非常に困難な環境にあった。その中にあって、比較的平地が多く山越えの少ない雲南省東部では、西部地域と比較して人とものの行き来が比較的容易な地域であった。したがって、雲南省の東南部では改土帰流が西南部よりも早く、また、明代から漢人商人が数多く進出していた。
 雲南の交通網は、元代から広げられ始めた站赤や明・清代に建設された駅伝を基礎としている。もっとも、多くの山越えを強いられる雲南省では、水運を利用した輸送が難しい地域も多く、馬のキャラバンである馬幇を用いた物資輸送が主力として使われていた。その後、清末以降の西欧列強の進出に伴い、東部地域ではフランスによってテン越鉄道が敷設され、従来よりもはるかに多くの物資を短時間で輸送することが可能となった。その後、民国政府主導の下、雲南省全体に自動車道路の整備が推し進められ、鉄道以外の陸上輸送においてもより利用しやすくなっていった。ところが、鉄道・道路双方とも地勢の上で数少ない交通の簡便な平地に作られており、戦争・争乱が発生すると集中的に狙われる重要なポイントとして狙われ続けることになる。結果、特に自動車道路はたびたび破壊や封鎖といった対策を採られたことにより、その輸送量は大きく制限されることになった。その度に従来の馬幇が物資輸送の主力を荷い続けることになり、長く雲南省内および東南アジアへの輸出入において大きな位置を占めることになった。
 交通網の整備は、雲南省内部の経済にも大きな影響を与えることになる。特に、雲南省東南部に位置する個旧では、錫の産出に様々な影響を与えていった。従来、個旧の錫はフランスの進出によって大量採掘が可能となり、海外市場にも接続することによって大きな利益を生むことになる。当然、それに伴って様々な変化・問題が発生することとなる。
 本発表では、主に民国初期における交通網の変遷に注目し、どのような影響が物資輸送にもたらされたのかという点に注目する。また、交通手段の変遷に伴って発生した経済的・社会的な影響についても多少ではあるが言及したい。

※当日は資料・お茶代として200円いただきます。
(例会終了後には、会場近くで懇親会を予定しております。)