日時:2月23日(日) 14:00〜18:00
場所:法政大学市ヶ谷キャンパス 92年館(大学院棟)3階301号室
現地へのアクセスについては、こちらをご覧ください。
交通アクセス(市ケ谷)(Copyright (c) Hosei University)
※いつもの例会会場とは異なりますので、ご注意ください。
発表者:中川 太介氏(東京大学人文社会系研究科博士課程)
発表題目
民国期における雲南塩政とその改革について―北洋政府期を中心に
要旨
中国塩政史において稽核所制度が最も特異であったのは、外国人が中央、地方、及び産塩地、経由地などの枢要な部署の長官にあたり塩税徴収を執行するだけでなく、運搬や販売の監督などの実務にも間接的に関与した点である。
雲南にも他の省と同様に省都昆明に塩務稽核分所(以下「分所」)が、黒井、白井、磨黒井の三区にそれぞれ稽核支所(以下支所)が、三区に分布する塩井地にそれぞれ税局が置かれた。分所、支所の長官には外国人が中国人と併せて任に就いた。稽核機構の人事は省政府とは別に行われていた。そして稽核機構が管轄する徴税以外の塩政業務は現地政府である省政府の塩運使が統括するが、雲南塩運使も初代には中央から派遣された
蕭コン(方+方+土)が就任したのである。
一九一六年に袁世凱の帝政復活の撤回を要求して雲南省は「独立」を宣言して護国戦争を発動した。これによって南方の他の省政府と同様、雲南省政府は北京政府との関係を絶った。
蕭コンは雲南塩使を辞任し、以後雲南塩運使は雲南省政府の者が当たることになった。しかし分所以下の雲南省の稽核機構は従来通り外国人が分所及び支所の長官にあたっており雲南省が人事に介入することはなかったのである。
しかし、塩税については引き続き稽核機構で徴収していたが、その収入は中央政府には送られず、省政府の財源に還元されたのである。にもかかわらず稽核機構の外国人を初めとする官吏は雲南塩政全般に関する改革の提起に消極的になることはなかった。
一方、塩税収入を握り徴税以外の塩政を管轄する省政府の塩運使署、井場署は稽核機構側の改革の諸案に一部には賛同を示すものの多くの部分で消極的か反対の姿勢を示した。それは特に従来製塩に携わってきた竈戸らの権益にも関わるものであったし、また改革の遂行に必要な経費の捻出などの難しい問題にも絡んでいた。省政府は塩業当事者やコスト、関連する行政との調整の面から稽核機構の改革に全面的に協力することは困難だったのである。
稽核機構の目指した改革は総合的にいえば中央による集中管理による合理化である。稽核機構の意向に消極、反対の省政府に民国期を特徴づける中央政府と省政府の対向の図式を見出すことも可能であるが、それだけでなく省政府とその下層の政府や社会との対向、稽核機構の背後にいる外国勢力と省政府との対向の関係もまた見出すことができる。省政府のこうした対中央だけにとどまらない多面的な権力関係を塩政を通じて浮かび上がらせていくことが本論の趣旨となる。 雲南省は、その地勢と気候条件から物資の輸送が非常に困難な環境にあった。その中にあって、比較的平地が多く山越えの少ない雲南省東部では、西部地域と比較して人とものの行き来が比較的容易な地域であった。したがって、雲南省の東南部では改土帰流が西南部よりも早く、また、明代から漢人商人が数多く進出していた。
※当日は資料・お茶代として200円いただきます。
(例会終了後には、会場近くで懇親会を予定しております。)