2012年 仙人の会6月例会発表


日時:6月17日(日)  14:00〜18:00

場所:法政大学大学院棟(旧92年館)3階301号室
 JR中央線・地下鉄南北線飯田橋あるいは市ヶ谷駅または  JR中央線・地下鉄南北線/有楽町線/東西線飯田橋駅下車、徒歩約10分
 現地へのアクセスについては、こちらをご覧ください。
   交通アクセス(市ケ谷)(Copyright (c) Hosei University)

発表1.
発表者:加藤 敦典氏(東京大学教養学部 特任助教)

発表題目
 国家と社会の相互関係論の脱構築にむけて ――ベトナムの村落における障害者支援をめぐるコンフリクトの分析より

要旨
 国家と社会の相互関係は、長いあいだベトナム研究の主要テーマのひとつとなってきた。近年の議論では、ベトナムにおいて国家の専制が貫徹したことはなく、 むしろ国家と社会の対話的関係のもと、国家は社会に浸透し、社会は国家を動かしてきたという見解が共有されている。
 しかし、ベトナムの村落で調査をしていると、そこに「社会」が存在しているようには見えないことがある。たしかに、村落には、親族組織や自発的結社など、国家から相対的に自律したモラル共同体が存在する。 しかし、他方で、眼前の困窮者に住民が援助の手をさしのべようとしないケースも見かける。国家と社会の二分法を前提として、 そこに一貫した実体としての社会が「ある」と言ってしまうと、住民同士の連帯の脆弱さの側面が見えにくくなってしまう。
 政治学者のティモシー・ミッチェルは、国家と社会の二分法を構築するテクノロジーの研究を通じて、国家と社会の相互作用という図式自体を相対化する必要性を指摘している。 本報告では、ベトナムの村落における国家と社会の線引きをめぐる葛藤に注目することで、国家と社会の相互関係という議論の図式を脱構築し、この図式の外部に放逐されてきた「非」社会的な関係性のありかたに光をあててみたい。
 上記の目的のため、本報告では、ベトナム中部のハティン省の村落での現地調査に基づき、障害者世帯への国家による支援にまつわる村落内のコンフリクトの事例を重点的に分析していく。
 ベトナムの村落では、障害者に対する近隣住民による支援は、実はほとんどおこなわれていない。そのため、障害者の家族はもっぱら国家の支援に頼らざるをえない。ベトナムの村落地域では、 福祉政策の対象者選定作業の大きな部分を住民の話しあいにゆだねている。事例では、国家の政策に従わない態度を示す障害者を国家による支援の対象にすべきでないと一部の集落の世話役が主張するなか、一部の住民からは、その線引きを無効化し、眼前の困窮者への支援を国家に求める議論が起こる。
 国家と社会の二分法を離れたうえで後者の住民たちの主張をみると、そこには対等な互酬関係に基づく村落内の「社会」的扶助の枠組みでは障害者を支援できないものの、 それでも眼前の困窮者への「関心」(quantam)は示し続けようとする、ひとつの倫理のかたちが見えてくるのである。


発表2.
発表者:伊藤 未帆氏(日本学術振興会特別研究員)

発表題目
 ベトナム山間部における進学熱と民族籍変更 ―女子教育をめぐる認識と変容する「家族」のかたち―

要旨
 「王の法もムラの垣根まで」。ベトナムにおける国家と社会の関係性について扱ったこれまでの研究では、この諺が繰り返し引用されてきた。 とりわけ1986年に始まったドイモイ政策が、社会の「私」的実践を、国家が「公」的に制度化していくプロセスであったと語られるように、ベトナムにおける国家と社会の関係を論じた議論では、自由気ままにふるまう社会のエネルギーを、 国家がいかにコントロールしていくかという点で、「私」的実践を優位に見る視点から論じられることが多かった。ところがこうした従来の議論では、「公」と「私」をそれぞれ明確な区分を伴った別々の集団として描き、 それぞれが別々の(ときには同じ)戦略的目的に沿って行動するアクターとする一方で、「公」と「私」がどのように接続し、混ざり合って存在しているのか、という側面をうまく捉えることができないでいた。しかし現実の社会では、 「私」的な意図が「公」的な言説の中に巧みに織り込まれていたり、「公」的な規範倫理が「私」の行動原理を支えるなど、「公」と「私」の境界は曖昧であり、むしろ場やタイミングによってそのいずれかが優位に「見える」(あるいは「見せる」) ことのほうが多いのではないだろうか。こうした見方は、「公」を国家、「私」を社会とみるような従来の集団的構図の中では捉えることが難しい。
 そこで本報告では、「公」と「私」の問題を、個人や家族という、よりミクロな主体の中に置いてみることによって、「公」と「私」をめぐる曖昧な境界のあり方を描き出すことを目的とする。 題材として取り上げるのは、少数民族が多く居住するベトナム北部山間部における、民族籍をめぐる人々の「私」的実践と「公」的な語り、その結果生じた「私」的単位としての家族のかたちの変容である。
 ベトナムは、54の「公定民族」が居住する多民族国家である。「公定民族」とは、国家が定めた恣意的な枠組みであり、その中にエスニックな紐帯意識が存在するかどうかとは別の次元で、 ベトナム公民であることとはすなわち、この民族籍のいずれかを名乗ることを意味する。つまり民族籍とは、個人の「公」的な属性を示すシグナルなのである。ところが、この民族籍が、大学進学のための優遇政策の利益分配の単位とされたことから、 近年、民族籍を変更するという戦略的な「私」的実践が北部山間部社会で頻繁に見られるようになった。本報告では、この民族籍変更という動きが、とりわけ女子に多く見られることに着目し、 これまで家族の外側に位置付けられてきた女子が、その存在を「公」的に再定位することによって「私」的な動機を正当化するとともに、家族という「私」的な枠組みに影響を及ぼしていくプロセスを解き明かしたい。


※当日は資料・お茶代として200円いただきます。
(なお、例会終了後には、会場近くで懇親会を予定しております。)

※月例会は、奈良雅史さん(筑波大学大学院博士課程)に 中国雲南省の回族についてご発表いただく予定です。
 
 本会では発表希望者を募集しております。
 発表者には懇親会費無料の特典つき。
 発表希望または例会についての問い合わせは幹事までお願いします。
 sennin.no.kai@gmail.com(←@を半角にしてください)

なお、メーリングリストで送られてきたメッセージにそのまま返信しますと、 会員全員に配信されてしまいますのでご注意ください。