2011年 仙人の会11月例会発表(比較民俗研究会との合同研究会です)


日時:11月19日(土)  14:00〜18:00

場所:神奈川大学横浜校舎9号館 歴史民俗資料学研究科 9-211歴民共同研究室
 最寄り駅→ 東急東横線白楽駅
 アクセス→ 交通アクセス(Copyright (c) 比較民俗研究会)

発表者(1):吉元 菜々子氏(首都大学東京大学院 博士前期課程)

発表題目
 ネパールのシャーマニズムにおける翻訳可能性に関する一試論(仮)

要旨
 20世紀以降、学術用語として定着し、人類学における古典的テーマの一つであるシャーマニズムは、しかし特に1980年代以降、再考を迫られることとなった。 すなわち、シャーマニズム概念によって世界各地の類似の宗教職能者を一般化の俎上に上げることに対して批判が集中したのである。それ以降、シャーマニズム研究においては、より現地の文脈に埋め込まれた形で記述する個別化の方向へと向かうこととなった。 以上のような変遷は、大文字・単数形のShamanismから小文字・複数形shamanismsへの方針転換であったといえる。このような動向において、シャーマニズム概念の中核であるシャーマンという語もまた相対化され、現地における名称を重視する傾向が強まり、それぞれの名称は個々のシャーマニズムを描き出す上での一指標となっている。 ただし、現地、たとえばネパールに目を転じてみれば、シャーマンを指し示す名称は必ずしも固定的ではない。時代や状況によって変化するだけでなく、その境界はあいまいかつ重複するのである。本発表では、シャーマニズム研究における系譜と争点を概観するとともに、シャーマンを指し示す名称の翻訳可能性に関してネパールの事例から検討していく。

発表者(2):長沼 さやか氏(日本学術振興会特別研究員)

発表題目
 珠江デルタ沙田村落の焼衣節―非宗族村落における祭祀組織についての一考察―

要旨
 本発表では、広東省珠江デルタ下流域の沙田村落(後述)において、かつて水上居民であった人々が旧暦七月に共同でおこなっている「焼衣節(鬼節)」に注目する。
 中国南部に位置する広東省は、デルタを干拓し耕地とすることで今日まで発展してきた。そうした土地の多くは、民国期以前には父系出自集団・宗族が所有していた。 宗族の人々は、祖先が中原地域から移住してきたという起源説や、一族の系譜を記した族譜を持つことで、正統な漢人であることを主張してきた。出自を同じくする者がまとまって居住し、祠堂や廟において共同で祖先や神々を祭祀しながら村落の紐帯を強め、地域社会における地位や権力を築いてきた。 その一方で同地域では、簡素で移動可能な小屋や船などに住み、宗族所有の土地で季節労働や漁業などをしながら流動的な生活をいとなむ水上居民の人々がいた。宗族の人々はこれを「蛋家」と呼び、異なるエスニック・グループと見なしていた。そうした人々も1949年以降、共産党政府による戸籍登録や集団化政策の実施により、「沙田」とよばれる開発の遅れたデルタの低海抜地域に定住した。 こうした経緯で成り立った村落には、土地と五穀の神を祀った簡単な社稷があるのみで祠堂や廟は見られない。村にはさまざまな出自の人々が混在し、小規模な親族、あるいは姻戚、友人関係によって結びついている。また、祠堂や廟がないことから人々は、定住後も祖先や神々を家庭ごとに祭祀してきた。
 発表者が訪れている珠江デルタ下流域の農村も、こうした特徴を示す沙田村落である。本発表では調査村において、元水上居民の人々が共同でおこなうようになった「焼衣節」の儀礼に注目する。「焼衣節」は「鬼節」ともいい、旧暦七月十四日におこなう死者供養の儀礼である。 調査村においては正月十五日の「開灯節(元宵節)」とならんで年二回、村の社稷において人々が総出でおこなう年中行事の一つとなっている。これらの行事は文革期に放置されていた社稷を、改革開放後に再建したことを機に始まった。経済発展により平均収入が増えた今日では、年毎に規模が大きくなっている。こうした行事や儀礼は人々にとっていかなる意味をもつのか。 これら行事の祭祀組織は、政治的な村落組織とどう関わっているのか。また、かつて「迷信」として排除してきた信仰的行為をふくむこれらの行事に対して、村などの政府機関はどのような立場をとっているのか。これまで研究蓄積のある宗族を基礎とした村落の事例とも比較しながら、考察してゆきたい。

発表者(3):金 泰順氏(日本常民文化研究所特別研究員)

発表題目
 クッの民族性―韓国のクッを見る一視覚―

要旨
 クッはなにかという問題とクッは韓国人にはどのような意味を持つのかという問題を考えなければならない。
 まず、 クッはなにかという問題の答えは クッは巫堂という霊媒者により行われる神儀礼であるという単純な答えがある。 しかしクッの主催者が誰なのかときかれるともっと複雑な意味がある。これはクッが韓国人にどのような意味を持つのかという問題の答えにもなる。クッの主催者が個人の場合、個人の願いを叶えることで終わるが、主催者が集団の場合、多様な視覚がみえる。 例えば主催者が村全体の場合、その名は大同クッ(デドンクッ)といわれる。大同クッの中では巫堂という霊媒者により行われる儀礼と村人による行われる儀礼の二つがある。大同クッが巫堂により行われる場合は、単に村と村に存在する各々家の安泰を願うことにすぎないが、大同クッが村人により行われる場合は前者とは異なる意味を持つ。 その代表的な儀礼の例が農楽である。農楽は学者によって風物クッ(プンムルクッ)あるいはトレクッという名で理論される。農楽には 農者天下之大本也という農旗と 四物ノリ( 風物ノリともいう)が登場する。農者天下之大本也というのは農民にたいして農作業の使命感をたかめるためであり、実際にはそうでもない。 農民は税金や農産物の価格の低下などで苦しめられている現実である。したがって、ある時期の農楽は農民運動として発展し、反乱の場となった。その代表的な運動が東学運動である。 東学運動が東学乱なのか東学革命なのかはまだ未解決の問題であるが、農民の鬱憤を発散する場になったのは間違ってない。 本来の農楽は農神のための儀礼である。村人は農旗を持ち、農楽を演奏しながら農神を降ろす。さらに楽器を演奏しながら農神とともに歌舞を楽しむ。それから農神に豊農を祈願して見送るという一つの過程を持つ。これは巫堂が行う降神・娯神・送神の過程と同様であり、願いことも同じにみえるが、その意味は非常に異なる。 前者は神を対象にして願うことであるが、後者は歪んでる社会を対象にして非難し、鬱憤を発散し、要求するのである。このような大同クッ動きは 東学運動 のみならず、様々な民衆運動が行われてきた。近い例が1980年代の学生運動である。
 本発表は金メムルという巫堂の個人儀礼を通してみる村儀礼である。金メムルという巫堂の個人儀礼には村儀礼の発生可能な要素が含まれているほか、村儀礼の一部分が含まれている。この儀礼が描く庶民の哀歓をみながら韓国のクッの民族的な気性を評価しようと思う。


※例会終了後には、会場近くで懇親会を予定しております。

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