発表者:角南聡一郎氏((財)元興寺文化財研究所)
日時:1月26日(土) 14:00〜18:00ごろ
場所:法政大学 市ヶ谷校舎ボアソナードタワー25階C会議室
JR中央線・地下鉄南北線飯田橋あるいは市ヶ谷駅または
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発表題目
「華南・台湾・沖縄の近現代墳墓―在地系墳墓と外来系墳墓の形態比較を中心に―」
要旨
華南・台湾・沖縄では、亀甲墓と呼ばれる墓制が多くみられる。これは華南を起源とし、台湾や沖縄に広がっていったと考えられている墓制で、華南では少なくとも明代には成立していたことが考古資料によって確認されている。
しかし、中国では明・清代墳墓が発掘調査されることは多くはない。ましてこの時代の庶民墓が調査されることは稀である。これは、日本で1980年代までは中近世墓の調査が、少なかったことを想起させる状況である。
その後、日本では中世考古学や江戸考古学の確立によって、庶民階層の墓も調査されるようになり、資料が蓄積され基礎的集成資料も刊行されるまでなになった。これに伴い、現在では近現代考古学も提唱されるようになっている。
このような少ない情報の中ではあるが、時間的な変遷を追う事は可能であると考えられる。
検証には以下のような情報を用いる必要がある。@明・清代墳墓の発掘調査資料、A文献等にみられる義塚(共同墓地)、B清末前後に描かれた・写された墓地資料、C現存する墳墓の臨地調査。
清代に中国各地でキリスト教伝道がおこなわれ、中国人の墳墓観にも変化が生じた。この影響から、欧米的なオベリスク形墓標を採用する事例が認められるようになる。そもそもオベリスクとは、古代エジプトに起源をもつ方柱状の記念碑をさすものである。
欧米で記念碑から墓標への流用がはじまったが、キリスト教の中国への波及は近代化・欧米化をも意味していたと考えられ、墓標と記念碑双方にオベリスクという形は採用された。
一方、日本植民地時代を経験した台湾では、日本の方角柱形墓標(塔式墓)の影響を受けたものが製作され、その製作は戦後にまで及んだ。また、キリスト教化の影響からオベリスクを志向し、一見すると日本の塔式墓と混同するような、
「似て非なるもの」も残されている。
沖縄では、近代以降に大和墓と称される日本本土の塔式墓が、戦没者の墓標として採用されるなどして建立されるようになり、一般の墓標としても用いられるようになった。
本発表では、在来の亀甲墓に対して、華南・台湾・沖縄のそれぞれで、欧米起源のオベリスク形や日本起源の方角柱形の墓標が、どのように在地の墓制に影響を与えたのかを、物質文化研究の側面から検討する。その結果から、各エリアでの欧米や日本に対する意識を読み取ることを目的とする。
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