2007年 仙人の会11月例会発表


発表者:緒方宏海氏(東京大学大学院・日本学術振興会特別研究員

日時:11月25日(日) 14:00〜18:00ごろ

東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム2

 交通:京王井の頭線 駒場東大前駅下車
 (JR山手線渋谷駅/小田急線下北沢駅/京王線明大前駅より京王井の頭線乗換)
 現地へのアクセスについては、こちらをご覧ください。

発表題目 
『日本植民地期関東州の漁業政策と漁家の経営』
  ―中国大連近海と周辺諸島の事例を中心にして―

要旨
  中国の漁業史の文献や1940年代の日本人の調査隊の報告書によると、遼東半島の先端地域、当時の関東州における漁業は、日本が統治した以前には、漁業制度が整備されていなかった。これは、清朝までの各時代の施政者が、漁業をあくまでも農業の副業として、重要視されなかった傾向があったからである。これゆえに、遼東半島地域の漁業経済が未発達で、人々は、伝統的な漁業技術に従った漁法、手釣りや縄釣り、張り網など小規模なものであった。1904年、日露戦争が開始されると、日本の軍艦は、大連近海と周辺諸島を占領した。約300隻の軍艦の隊員に食料を供給するために、陸軍省は1905年5月から日本本土の漁業者の渡航を許可し、陸地の大連市沿岸や周辺諸島などで漁業に従事させ、終戦まで、約40年間漁業政策を実施した。
 しかし、これまで日本植民地期の関東軍が、中国漁民に対して行なった、漁業組合設立などの政治経済政策や、日本の漁民の進出によって、もたらされた漁業技術や貨幣経済の促進などを介して、中国漁民の近代化に多大な影響を与えたことはあまり知られていない。
 そこで、本報告の目的は、日本植民地期の大連近海と周辺諸島の漁民社会に焦点をあて、関東軍の漁業政策と日本漁民の進出によって、日本の植民地支配下にあった、中国大連近海と周辺諸島の漁民の漁業生活、漁家の経営の状況にいかなる影響を与えたか、明らかにすることである。報告者が近年行なったフィールドワークと文献資料から、当時の大連近海と周辺諸島の漁業の特質についての考察を提示する。またこの研究課題に答えることは、東アジア海域の交流史、日中関係史のみならず、遼東半島の漁業経済発展の歴史的前提を明らかにすることにもつながると考える。



懇親会
 例会終了後には、会場近くで懇親会を予定しております。
 
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 幹事:横田祥子・野本敬
 ※幹事連絡先が変わりました。 sennin.no.kai@gmail.com(←@を半角にしてください)