発表者:岡晋氏(総合研究大学院大学 博士課程後期課程)
日時:4月16日(日) 14:00−18:00頃まで
場所:法政大学 92年館(大学院棟) 6階601号教室
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発表題目
ナシ族トンバ教聖地の歴史と構造 ―知識人、調査行為、記憶の問題を中心に―
要旨
発表では、ナシ(納西)族トンバ(東巴)教の聖地とされる「白地」についての論者の歴史解釈と、その根拠となるナシ族地域の政治的、文化的、歴史的構造についての論者の理解を提示しながら、社会状況、政治状況と不可分な関係にある知識人、調査行為、記憶の問題を論じる。
歴史を遡れば、白地は遅くとも明代には景勝地として、ナシ族地域の政治的中心地である麗江一帯の人びとに知られていた。しかし、西欧知識人がナシ族地域を訪れるようになって以来、知識人による白地への眼差しは、風物誌的なものから民族誌的なものへと変化し、その関心も「土地」から「集団(組織、文化)」へと変化した。この変化は、調査者と対象社会に生きる人びととの距離を縮め、結果として、調査に伴う確認作業の頻度と調査の度に再構成される調査者/被調査者、調査者/調査者、被調査者/被調査者の政治的関係が、白地についての解釈や主張に重大な影響を及ぼしてきた。
これらの知識人同士の相互接触と覇権争いの歴史は、20世紀初頭から後半にかけて、次第に白地をナシ族の聖地として位置づけた。また、「聖地」としての白地は、民族の文化、歴史の再構成が求められた1950年代以降、その担い手であった麗江地域や昆明の知識人から「ナシ族社会の典型」として期待され、特に1980年代以降の民族文化回復運動の過程では、「純粋なナシ族文化を保持している白地文化」として表象されつづけ、トンバやナシ族についての研究における諸説の「根拠」として常に参照、引用されることになった。
しかし、白地についての記述(主に調査報告)同士では、指摘されている共通点よりも相違点の方が遙かに多い。これら多くの白地調査報告に見える記述内容の相違は、記述者の能力や記述者の間違いという問題以上に、調査行為が如何に当時の政治状況や社会状況の制約を受け、また調査行為が如何に行為者と対象社会の記憶と追憶に変化を及ぼすのか、という問題を投げかけてくる。