| 荒 野 |
何もない、何もない荒野に、老人は一人立っていた。 黒く大きな目が、照りつける太陽を見つめていた。顔には深い深いしわが、焦げ茶色の肌に大きく刻まれている。老人の立つその荒野に、草は一切生えていなかった。乾いた土に太陽が反射し、周りの空気がさらに蒸し暑さを増す。 それでも老人は、太陽から目をそらさなかった。 老人の目の前を、一人の少年が通った。 「こんにちわ。」 老人が言った。 「こんにちわ。」 少年が言った。 少年は背中に大きな荷物をしょっていた。茶色い、とても大きな大きなリュックだった。少年は老人の前に立った。 「何処へ行くのですか?」老人が聞いた。 「ここから、逃げるのです。」少年がはっきりと答えた。 老人は少年を見た。まだ幼い、しかしくっきりとした顔立ちをしていた。青く澄んだ目が印象的だった。 「何故逃げるのですか?」老人が聞いた。 「友人が死んだのです。だから僕はここから逃げるのです。」 そう言うと、少年はリュックから一つの壺を取り出した。ふたを開けると、中には白い粉が詰まっていた。 「これが僕の友人。」 少年は老人に壺を突きつけながら言った。 老人は壺の中身をじっと見つめた。風が吹いて、白い遺灰が壺の中で少し舞った。老人は黙ってそれを見つめていた。 同じく、白い遺灰を見つめながら、少年は独り言のように言った。 「僕らが住んでいたのは、この道を少し行ったところにある小さな町です。知ってますか?とても汚い町でしてね。すぐにも崩れそうですよ。僕らはそこで育ちました。小さいときからずっと一緒で、何をするにもずっと一緒で。あいつは本を読むのが本当に好きで、いっつも沢山の本を抱えてたんですよ。みんなから”本の虫”ってからかわれるぐらい、いつも本を眺める奴だったんです。いつか僕が、冗談で本に火をつけようとしたときも、あいつ、”その本に何かしたら殺してやるからな!”って・・・。」 少年はそこで言葉を途切れさせた。俯いたまま、しばらく何も言わなかった。老人は少年の様子を黙って見ていた。 少し強い風が吹いた。少年の髪が少し揺れた。 しばらくの沈黙の後、老人が「それで?」と、まるで抑揚のない声で聞いた。少年は再び口を開く。 「友人が死んだのは、少し前ですよ。10日ほど前。確か朝方、朝日が昇る前でした。僕らには、親も帰る家もなくて・・・。こいつ、路上で死んだんです。まるで野良猫みたいに・・・」 崩壊した家屋、蔦だらけの外壁、ゴミだらけの路上、そこらに放置された動物、そして人の死骸、無気力な人々・・・。彼らの住んでいた町は、もはや死んでいるに等しかった。この町には、花や草の1本も見あたらない。町周辺の土はすでにその役割を果たし、只の茶色い砂の塊と化していた。町全体に濁った空気と、生ゴミのようなニオイが充満していた。もはや人の住める状態じゃない、と彼は話した。 「あの町はもう死んでいます。友人が町独特の感染病で死んだとき、僕もこの町でこんな風に死ぬんだと思いました。僕と友人は今までずっと一緒だったから、それ以外に大切な物が何もなかったから、これ以上生きていても仕方がないって、思ったんです。」 少年はそこまで話すと息をついた。そして、老人に壺を預けると、リュックサックの中をあさり、中から一冊の本を取り出した。それはどうやら、花や植物などの写真集らしかった。表紙の写真は、色鮮やかなスミレの花だった。少年は本のページを少しずつめくりだした。 「これ、あいつがいつも持ってた本で、ずっと何の本だろうと思ってて・・・。あいつが死んだ後に初めてこの本の中身を見たんです。そしたら中、花の写真ばっかりで。あいつ、この本だけは肌身離さず持ってて。この本見てるときはいつも嬉しそうにするんです。でも・・・。」 少年は本を閉じた。そして表紙のスミレを、寂しげに眺めた。 「でも友人は、本物の花なんて生涯一度も見たことがなかったんです。あの町には、花は咲かないから。」 少年は目を閉じた。しばらくして、手にしていた本をリュックサックに入れた。そして、老人から遺灰の入った壺を受け取ると、それもリュックに入れた。 「僕は、友人と一緒に花を見つけに行きます。友人に本物の、沢山の花を見せてやるんです。僕はそのために生きようと思います。」 少年は、老人の目を見てそう言った。老人もやはり、少年の目を見ていた。 少年の目は真剣だった。 少年は、何かを知っていた。 不意に、老人が聞いた。 「何故、そんな大切なことを赤の他人の私なぞに話したのですか?」 老人は少年の目を、食い入るように見つめた。まるで心の中までも覗いてしまうような、少年の思考を、想いを、全てを見通してしまうような、そんな目だった。しかし少年は、そんなプレッシャーには全く動じず、まるで老人を試すようにこう言った。 「貴方は、いつからこんな荒野の真ん中に立っているのですか?」 「見たところ、水や食料も持ってないようですが。」 「このあたりに、町は一つしかないはず。でも僕、今まであの町で貴方のこと、見たことはない。」 そして、 「貴方、一体誰ですか?」 老人は、何も言わなかった。少年は続ける。 「僕、昔友人からちらっと聞いたことがあるんです。」 「何を?」 「神様の話。」 「神様?」 「そう、神様。この土地の。」 少年はそう言うと、再び老人の目を見た。 「まさか、それが私だと、そう言いたいのですか?」 「にわかには信じられません。でも、貴方を見ていると・・・」 少年は俯いた。額に汗がじわりと浮かんだ。 「私は・・・・・」 「私は、神様などではありません。」 老人は柔らかくそう言った。そして、スッとその場にしゃがみ込むと、土をおもむろに掴んだ。 乾いた土が、指の間から滑り落ちる。 「仮に、」 「え?」 「仮に私が神様だったとして、貴方は私を恨みますか?」 老人は聞いた。少年は少し考えた末、「はい。」と答えた。 「そうですか。」老人は笑った。 そして老人は少年と別れた。 「この荒野が何処まで続いているか、知りませんか?」という少年の問いに、老人は「さあ。」と、曖昧な返事を返した。 こうして老人はまた一人、荒野に取り残された。 「どうゆうつもりですか?」 不意に、後ろから声がした。老人は振り向く。 そこには長いローブをまとった、黒い長髪の女性が立っていた。 「なんだ。本物の神様じゃないですか。」 「神様ではありません。ただの調査員です。」 切れ長の目をさらに細めて、その”神様”と呼ばれた女は老人を睨んだ。 「同じことでしょう?」老人は微笑む。 ”調査員”は深くため息をつくと、1歩2歩と老人に近づいた。 「第一どうゆうつもりですか?不用意に人と接することは禁じられているはずです。」 「いいじゃないですか。最後の思い出に。」 「それは・・・そうですが。」 俯いた調査員に、老人は問いかける。 「ところでもう決定したんですか?私の、死刑執行の日程は。」 「死刑ではありません。寿命です。」 調査員が冷静に訂正する。 「同じことでしょう。」老人が静かに言った。 「さあ、もう行きましょう。ここにはもう用はありません。」 調査員が老人を促した。しかし老人は微笑んで、再び調査員に問いた。 「私は、この土地の人々に、何かすることができたんでしょうか・・・」 「自分を責めることはありません。土地とは皆、いずれこうなってしまうのですから。」 調査員は言った。その声に抑揚はない。 老人は空を見た。太陽がさっきと変わらず、光を照らし続けている。 「先ほど、あの少年は神を恨むと言いましたね。人々が神を恨んでいるとするなら、貴方は貴方の運命を恨んでいるのではないですか?」 老人は空に目を向けたまま、「何故?」と聞いた。 「確かに、こんな短期間で土地が死んでしまうのは異例です。貴方が自らの運命を恨んでしまうのは仕方のないことだと思うのですが・・・」 「珍しいですね。調査員さまがこんな土地ごときに同情なんて。」 「いえ・・・。ただ、本当に珍しいケイスだったので・・・。」 老人は空から目を離すと、寂しげな目で、 「土地とはいずれ、皆こうなってしまう運命でしょう?それは形あるもの全てに当てはまります。私は只、それが少し早かっただけのことです。」 と、自分の運命に答えを出した。 「さあ、行きましょうか。ここにもう、用はないのでしょう?」 老人が言うと、調査員は老人の肩に手を触れ、目を閉じた。 「あの少年達は、花を見ることができるのかなあ。」 「さあ。この先は何qも何もありませんから。もしかしたら途中で行きだおれるかもしれませんね。」 「そうですね。」 老人も、ゆっくりと目を閉じた。 そして2つの影は、跡形もなく消えた。 |