| 髪の長い女 |
・・・・ご免なさい、ご免なさい。 もうずっと前から、分かっていたはずなのに・・・・。 貴方の、貴方のそれ に触れたらどうなるか、なんて、・・・・ 「姉上・・・・・」 庭の真ん中で花を見ているその人に、僕は後ろから声をかけた。 声が震えてる。 おかしい。 毎日口にしている言葉なのに・・・。 「宗一郎さん。」 振り向いた姉上の目を僕は直視できなかった。 苦しかった・・・。 おかしい。 ずっとずっと、いつも傍にいた たった一人の姉上の言葉が、声が、 こんなにも僕の胸に深く深く染みいってるなんて・・・。 「どうなさったの?」 姉上が近づいてくる。赤い、真っ赤な振袖が目に入った。 白い肌に赤の色がよく映えている。 駄目だ。顔を上げられない。 「まあ、こんなに顔を赤くなさって・・・。熱でもお有りなのではありませんか?」 姉上の手が僕の額に触れた。 「あっ・・・・」 ぱしっ。 僕は反射的にその手を振り払った。 「・・・・宗一郎さん?」 顔が上げられなくて分からないけど、 きっと困惑した顔をしているのだろうな。 違う、違うのです。 僕は・・・僕は只・・・ 「本当にどうしたのですか?体調が優れないのでしたらお休みになられた方が・・・」 「違うのです。大丈夫です。心配なさらないで下さい。」 「・・・そう、ですか?」 「はい。」 僕も姉上も何も言わない。沈黙が流れた。 ・・・苦しい。 今姉上はどんな顔をしているだろうか。 でも、どうしても顔を上げられない。 どうして?何故? こんなのっておかしい。 ナンダコレハ・・・ いろいろなことが頭を廻る。 答え・・・答えが・・・。 泣き出してしまいそうだった。 ざりっ・・・ 辛うじて視界に入っていた姉上の草履が、 突然方向を変えた。 「あ、姉上」 僕は思わず顔を上げてしまった。 姉上は後ろを向いていた。どうやら庭の桜の木を見ているらしい。 「ほら宗一郎さん。ごらんなさいな。」 振り向きざまに姉上はそう言って、桜の木を指さした。 随分久しぶりにちゃんと顔を見た。 そんな気がした。 僕は姉上の隣に回り、指の差す方を見た。 「・・・つぼみ?」 桜の木に、小さくはあるが沢山のつぼみがついていた。 「もう、こんな季節なんですね・・・」 「春・・・でございますね」 「そうですね・・・」 実にたわいのない会話だ。 しかし心地良い。 女性にしては少し低めのトーンの声が、 混乱していた僕の心を癒してくれる。 僕は横目でちらりと姉上の横顔を覗き見た。 百合の花のように白い肌に大きな瞳。 紅をつけているわけでもないのに真っ赤な唇。 そして・・・ 絹のような長い長い・・・ 姉上の髪。 そう、只僕は 姉上の髪に触りたくて・・・。 触れようと思ったらいつでも触れられる。 手を伸ばせば届く範囲にある。 そう、今だって・・・ だけどどうしても触れることができない。 姉上を真っ直ぐ見ることができなくなってからだ。 もうずっとずっと、 こんなもやもやした気持ちを抱えてきた。 突然、姉上が髪をかき上げた。 鼓動の速度が急速に上がっていくのを感じる。 顔が・・・・とても熱い。 目の前がくらくらしてきた。 触れたい。 触れたいんだ・・・・どうしても。 触れたらどうなってしまうんだろうか。 何か得るだろうか、失うだろうか。 でも今僕はそんなこと考えてる余裕なんて無くて・・・。 手を、伸ばしてしまった。 姉上の・・・それ に。 長い髪がさらさらさら・・・・ 僕の手の中で滑り落ちる。 光に反射した髪はjキラキラ光って、 でも、まるで市松人形のような黒い色の髪をしていて・・・ 目眩が一層酷くなった。 くらくらくらくら・・・ とても立っていられない。 ・・・・コレハ? 「宗・・一郎さん?」 目が合ってしまった。 大きな目でビックリしたように僕を見ている。 その視線で、その衝撃で、 僕はようやく我に返った。 いや、違う。 僕は気づいてしまった。 「ご、ご免なさい!!」 そう叫ぶと、僕は脇目も触れず走り出した。 足がもつれてうまく走れない。 でも、とにかく走らずにはいられなかった。 どうしよう。 僕は一体どうしたら・・・。 僕は一体どうなったんだ? 僕は自室に駆け込むと、後ろ手でふすまを閉めた。 電気がついていないと、夕方この部屋は本当に真っ暗になる。 僕はタンスにもたれかかると、そのままズルズルと畳の床にへたり込んだ。 息が上がっている。 苦しい・・・苦しい・・・ 目を閉じると、姉上の顔ばかりが浮かんでくる。 どうしよう・・・一体どうしたら・・・ ふと自分の手のひらを見た。 さっき触れたばかりの髪が一本、 指と指の間に絡まっている。 「これ・・・は」 僕はその髪を丁寧に指からはずし、 ゆっくりと手のひらにのせた。 これは、姉上の髪だ。 ずっとずっと触れたかった・・・。 たった一本のその髪は、 それだけで十分綺麗で、 暗闇でも光を発している様だった。 嗚呼・・・そうか・・・。 僕の頬を、何かが滑り落ちた。 一粒、二粒、 僕の頬を伝っては、手のひらに、髪に、 それはどんどん溜まっていった。 ・・・・ご免なさい。 ご免なさい姉上。 僕は気づいてしまった。 貴方が愛おしいです。 苦しいほどに・・・。 ご免なさい、愛しています。 貴方のその長い髪に触れたらどうなるかなんて、 もう随分前から分かっていたはずなのに・・・ ご免なさい。こんなのって許されない。 でも僕はもうこの気持ちを、想いを、 押さえることはできないと思います。 ご免なさい、ご免なさい姉上・・・。 姉上の髪に僕の涙が浸っていく。 まぶたを閉じると、 やはり姉上の姿しか浮かばない。 宗一郎さん・・・ 僕を呼ぶ姉上の声。 微笑む姉上。 長い長い、黒い髪が・・・。 ずっとずっと僕を狂わせていた。 長い髪のあの女 が・・・。 涙が止まらない。 胸がちくちく痛い。 でも今はこの傷みが、 とても愛おしくさえ感じられてしまった。 ご免なさいご免なさい。 愛しています。姉上・・・ |