万国博記念公園(大阪府吹田市)

EXPO PARK
NOVEMBER 1993
text and photographs by Ko Ito

大阪で万博が
開かれたのは
1970年のことだった。
あれから26年。
小学2年生だった僕は
35歳のおっさんになった。

ああ太陽の塔
世界中の人たちが
大阪へやってきたが
外国人を意識した覚えはない。
あまり列のできていない
日本の企業が出展している
パビリオンばかりならんでいた。

東の広場から駐車場へ
だから
アメリカ館の”月の石”やソ連館、
太陽の塔の中は見ていない。
3回か4回、電車に乗り継いで
会場へ行ったが
人の波に飲まれてばかりだった。

現代美術中心の
国立国際美術館
一度、母と弟と3人で
夕方から会場を見に行った帰り、
動く歩道のあるどこかの場所で
迷子になったことがあった。
結局3人一緒に帰れたが
とても不思議な気持ちになった。

世界の森付近で
その母が亡くなり
ことしで9年になる。
記念公園になってから
ここを訪れた回数が
博覧会に来た回数をこえたのは、
いつのことなんだろう。

紅葉渓

のちに大阪・鶴見緑地で”花博”が開かれ、
すでに社会人だった僕は10回近く会場へ行った。

記念公園になった鶴見緑地へ行く回数が
博覧会に行った回数を超えることはないだろう。


Copyright (c) 1996 Ko Ito. All rights reserved.

Please feel free to give us your feedback:

vz8k-itu@asahi-net.or.jp

順路


My Favourite Place in Japanへ戻る