送信者: Shin'ichirou Koubuchi 宛先: Cc: Shin'ichirou Koubuchi 件名 : [klingon 145] Re: Kronos Chronicle #8 日時 : 1997年7月6日 12:50 クロノス・クロニクル第8号はいかがでしたでしょうか。 以下は補足です。 At 5:36 PM 97.6.15 +0900, ghItlh qo'buch: >◆ 以上が -ghach に対するオクランド博士の見解です。事実上、「接尾辞な >しの動詞 + -ghach」と「接頭辞付きの動詞 + -ghach」の使用を禁止した形 >になっています。私自身、この -ghach は大変強力な接尾辞であり、強力であ >るが故に同時に危険でもあると感じていましたので、乱用は避けるべきだと考 >えていました。この点でオクランド博士の見解は私にとっては全く満足のいく >ものでした。しかし、クリンゴニストの間では長らく -ghach の表現力に全幅 >の信頼を置いていた人がかなり沢山いましたので、このインタビューが発表さ >れた当時(1994年9月)はかなりの反響を呼び起こしたものです。 事実上禁止と書きましたが、ちょっと表現が不適当でした。禁止というよりも制限と 言った方が正確でしょう。使うことは出来ます。しかし、初学者は使うべきではない という点では、取り敢えず禁止というのも決して間違いではないと思います。 この見解は確かにクリンゴン語の表現の幅を縮めるものであることは否定できません 。「接尾辞なしの動詞 + -ghach」はともかく、「接頭辞付きの動詞 + -ghach」の 制限には抵抗を感じる方もおられるかも知れません。 日本語では「〜こと」を使ってかなり長い文章を名詞化出来ます。   私は昨日駅前の本屋で辞書を買った。   私が昨日駅前の本屋で辞書を買ったこと。 エスキモー諸語でも、主語・目的語を含めた名詞化が行なわれたように思います(う ろ覚えですので確かではありません)。 おそらくは、インタビューの場でとっさに答えたためにオクランド博士の英語的感覚 が出てしまったというところなのではないでしょうか。 但し、-ghach は文の名詞化ではなく、動詞の名詞化を司るという点を忘れるべきで はないでしょう。vIlegh が文か単語(動詞)かというのはちょっと難しい問題では ありますが、少なくともクリンゴン語では vIleghpu'ghach というような表現は日常 的ではないのです。 クロノス・クロニクル第8号でのオクランド博士の見解を踏まえた上で、そのような 表現を使うのであれば、特にかまわないでしょう。 batlh tlhIngan Hol yIjatlh! Qapla’! コウブチ