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面会記(要旨)

篠原 道夫

2002・10・29(火)午後2時〜
篠原 「話して大丈夫ですか」
冨山 「うん」
篠原 「弁護士さんがあれから見えましたか」
冨山 「ふん、こなかった。内田先生が前にきた」
篠原 「恩赦請求をしたいと思っていますが、署名など字を書くのはムリでしょう」
冨山 「ふん」
篠原 「この前、弟さんが見えたんですよね、一ケ月半くらい前だけど」
冨山 「ふん」
篠原 「冨山さん口から何も入らないんでしょう」
冨山 「ふん、ほとんど入らない」
篠原 「冨山さんの釈放については恩赦制度を活用しようと思っているんですよ」
冨山 「なんだかんだ大変だね」
篠原 「冨山さん、なにか家族に伝えたいことがあれば伝えます」
冨山 「ありません」
篠原 「冨山さんはこんなに弱っても頑張っている。体質が強いんだなあー」
冨山 「ふーん」
篠原 「格別に外の人に言うことはないですか」
冨山 「ない」
篠原 「冨山さんはふだん毎日寝ているんでしょう。キツイでしょう」
冨山 「そんなことはないですよ。口がきけないのに篠原さんに際き合ってもらって悪いです」
篠原 「何か差し入れようかと思うけれど、何かほしいものありますか」
冨山 「何もいりません。いいですよ」
篠原 「ではもう疲れているようだから帰りますが、また11月に様子を見にきますが、外のことは恩赦制度を利用して何とか釈放の処置をとろうと思っていますので、安心してください」

2002・12・27(金)午前11時〜
 病舎付属の面会室(一般の面会室より50メートル遠い)に刑務官に案内されて、待っていると冨山さんが車椅子できた。ガラスの仕切り越しに対面したら、
冨山 「誰かな、どなたさんですか」
と聞いてきた。目が見えなくなったのか、頭がボケちゃったのかと感じる。
篠原 「篠原ですよ、冨山さん」少し大きい声で言うと、
冨山 「うん」
篠原 「喋るのきついの」
冨山 「うん」
篠原 「耳は聞えるの」
冨山 「うん」
篠原 「11月は仕事が忙しくて来られなかったんですよ。今、外では恩赦請求を出そうとしています、書類入れて見えますか」
冨山 「殆ど見えない。何もかもダメになっちゃった」
篠原 「食事とらないでほとんど点滴ですか」
冨山 「うん」
 ここで気になったのだが冨山さんは、13年前亡くなる直前頃にテレビに出てきた昭和天皇みたいに、口をもぐもぐと絶えず動かしていた。
篠原 「家族は誰かきましたか」
冨山 「こない」
篠原 「そうやっていると寒いの」
 顔色が悪く寒そうなので聞いた。
冨山 「ちょっと寒い」
篠原 「外の動きでは、保坂という国会議員さんが国会で冨山さんの問題を取り上げたんですよ」
冨山 「うん」
篠原 「耳は聞えるの」
冨山 「ある程度しゃべることはわかる」
 なおも寒そうなので、
篠原 「寒いの」
冨山 「寒い」
篠原 「人工透析やっているんでしょう」
冨山 「うん」
篠原 「睡眠のほうは、よく眠れるの」
冨山 「殆ど眠れない」
篠原 「それじゃ、今日は寒そうだし、疲れたでしょうから帰るね。元気になるよう頑張ってね」
 冨山さんはこの日の応答は殆ど単調に「うん、うん」と答えるか、反復するだけであった。冨山さんという人は元気な時は、「うん」とか「ふん」という単調でなく、内容を喋ってくれていた。

2003・1・27(月)午前10時〜
 刑務官が病舎の中まで案内してくれた。
 殺風景な昔の旧軍隊の病室を思い出させる場所だ。5坪程のコンクリートの部屋で、男性の看護士が2人付き添っていた。冨山さんはその部屋の真ん中のベッドに横になって、勿論点滴をしていた。
 目をつむったままであり、私が手を握って「冨山さん」と言ったが、反応はない。刑務官が側にいて「お話されたら」と言ったが冨山さんは目をつむったままだったので、「一応顔をみたから引き揚げます」と言って面会を打ち切った。


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