■ 冨山常喜さんについて もどる

 記録によると、冨山さんは1917年4月26日に茨城県那珂湊市において車大工を営んでいた父の長男として生まれた。同地の尋常高等小学校を卒業後、20歳頃ま家業の手伝いをし、それに関連して鍛冶の仕事もしていた。1928年から34年頃まで水戸飛行学校の電気工員を勤め、すぐ臨時召集を受けて、朝鮮咸興第74連隊に入隊。国境警備にあたり、陸軍軍曹に進む。敗戦を迎えソ連の捕虜となり、シベリアへ抑留されることになる。日本へは、1949年に引きあげてきた。

 帰国後は実家に住み、弟さんが営んでいた箱屋(魚類や野菜を入れる木箱の販売)を手伝ったり、ラジオの修理業を営んだりしていたが、主として弟さんと共同で箱屋をやるようになる。商売のため1955年頃より茨城県鹿島郡波崎町およびその対岸の千葉県銚子市に往来を始める。そのうちに波崎町の飲食店に出入りするようになり、同店で働いていたIMさんと知り合い、1956年11月末頃から、波崎町で暮すようになった。そして7年後、事件に遭遇する。


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