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第一次再審却下の異議申立棄却決定 一九八五年二月二五日(昭和六〇年)

 右請求人に対する殺人、私文書偽造、同行使被告事件の有罪の確定判決に対する再審請求について、昭和五九年一月二五日付で東京高等裁判所第一刑事部がした再審請求棄却決定に対し、弁護人庄司宏、同荒川晶彦からの申立があったので、当裁判は、次のとおり決定する。

主文

 本件異議の申立を棄却する。

理由

 本件異議の申立の趣意は、申立人らが連名で提出した異議申立書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

 所論は、要するに、(1)仮に本件被害者I.Y. の死亡直前の言動についてのその妻I.N. の証言が信用できるとすれば、被害者は請求人宅で青酸化合物を服用したことになるが、そのためには青酸化合物がカプセルに包埋されていた点の立証が極めて重要なものであるところ、弁護人らが本件再審請求において提出した新証拠甲・乙は、直接的にはこれをもって右I.N. 証言の信用性に疑問のあることを根拠づけようとして提出したのではなく、被害者の胃内容物がカプセルに由来するもの、あるいは青酸化合物がカプセルに包埋されていたものであるという結論を導くことができないとの点を明らかにしようとしたものであるのに、原決定は、申立人らの再審請求理由について誤った理解をし、右I. N. 証言の信用性を肯定したうえで、本件新証拠をもってしても右証言の信用性を否定し得ないという論理で新証拠を評価したのは承服しがたいし、(2)弁護人らは、請求人方から被害者方までの道路状況、右道路に存在する電柱等に対し自動車を衝突させた場合の衝撃度や走行速度等について新証拠を提出することが十分に可能であると述べて再審を求めたのに、原決定がこの点を全く無視したのも不当であると主張する。

 そこで、関係記録を精査すると、確定判決(控訴審)及びその是認する一審判決による本件殺人の事実の要旨は、請求人は、被害者を殺害して多額の生命保険金を取得しようと考え、昭和三八年八月二六日午前零時一五分ころ被害者が請求人方から請求人所有の乗用自動車を借りて帰宅する際、今夜は眠れない等と言っていた被害者に対し、鎮静剤やアスピリンを飲めばよく眠れるなどと告げて青酸化合物を入れたカプセルを正常な薬品のように装って交付し、同人をして即座に請求人方土間の水道の水とともに右青酸化合物を服用させ、そのため同所から乗用自動車を運転して同日午前零時二〇分ころ自宅に帰着したのち就寝しようとした同人をして青酸中毒の症状を発現させ、同日午前一時三〇分ころ済生会波崎済生病院において青酸化合物の中毒により死亡させ、同人を殺害したというものであるが、確定判決及びその是認する一審判決の有罪認定理由の基本的構造は、原決定も説示するように、以下のように理解することができる。すなわち、被害者は、本件当夜帰宅後まもなく青酸化合物の中毒により苦しみ出し、死亡したものであり、請求人と本件犯人とを直接結びつけるものは、死亡直前の被害者の言動をいうその妻I.N. の証言、すなわち、被害者が死の直前に自宅において青酸化合物服用者特有の症状を発して苦しみながら同女に対し、「薬を飲まされた、箱屋(請求人のこと)だ」、「はな二つあと一つ飲まされた」、「おれ箱屋にだまされた」などと述べたという供述だけであるところ、右I. N. の証言については、これを信用することができる状況があり、また右I. N. 証言中の被害者の発言内容自体を吟味しても、(1)被害者が本件当夜請求人方を退出するころ請求人が鎮静剤またはアスピリンとして被害者に青酸化合物を交付して服用させる機会があったこと、(2)被害者の死後の胃内容物から痕跡(微量)のチタンが検出されたが、酸化チタンが乳白色の一般薬用カプセルに含まれており、被害者の咽頭・食道に異常のない点から、被害者が包埋された状態の青酸化合物を摂取した可能性があることなどから、被害者が請求人方退出のころ請求人から貰った右カプセルを服用したことを窺わしめること、(3)請求人が青酸化合物を包埋したカプセルを準備して犯行を計画する機会のあったことなど、被害者の発言内容を裏付ける客観的状況があって右発言の信用性が肯認できるとし、請求人が本件殺人の犯人であることについては合理的な疑いをさしはさむ余地はない、とするものである。

 ところで、本件再審請求は、確定判決が被害者の服用した青酸化合物がカプセルに包埋されていたと認定した根拠として、

@井幕医師の死体解剖の鑑定書中に咽頭、食道に変化がないとされていること、A被害者の胃内容物から痕跡のチタンが検出されたこと、B浮田忠之進作成の鑑定書により右痕跡のチタンが着色カプセルに由来するとされることが考えるとしたうえで、(1)右浮田鑑定は、「通常の食品にはチタンは含まれない」との誤った前提に立つもので、その結論は誤りであり、新証拠である(イ)カール・シャーレル著「微量元素の生化学」抜粋、(ロ)千葉大学医学部教授木村康作成の土壌内チタン含有に関する鑑定書、(ハ)被害者方前庭より採取した土壌、(ニ)日本肥糧検定協会作成の分析証明書(新証拠甲)をもって、被害者方庭先の土壌が日本の他の地域の土壌よりもかなり多くのチタンを含んでいて、そこに栽培されて通常以上にチタンを含んでいるはずの野菜類を日頃から食していた被害者の体内には右野菜類に由来するチタンが蓄積していたことを立証し、(2)新証拠である木村康教授作成の意見書(回答)(新証拠乙)をもって、青酸化合物が、容器の開封後短時日内に使用されたか、あるいは長時日の経過後に使用されたとしても水、茶等に溶解されて摂取された場合には食道内腔等に変化を見ることは稀であることを立証し、これら新証拠によれば、被害者が摂取した青酸化合物はカプセルに包埋されたとする根拠は全くなくなり、右新証拠は確定判決の事実認定の正当性につき合理的な疑いを抱かせる足りるものである、と主張するものである。

 しかし、前記確定判決及びその是認する一審判決の理由をも参酌すると、右確定判決は、被害者の胃内容物から痕跡のチタンが検出されたこと及び酸化チタンが乳白色の一般薬用硬カプセルないし糖衣錠に含有されていることから直ちに右の事実のみをもって被害者の胃中にあった痕跡のチタンが右硬カプセルに由来し、これを被害者が服用したことを認定しているものとは到底解し得ず、前記のように単にその可能性のあることを認めているにすぎないと考えられるのであり、仮に前記新証拠甲によりその主張するような事項が立証されるとしても、それは被害者の胃内容物から検出された痕跡のチタンの由来が硬カプセルや糖衣錠にあった可能性のほかに同人の日頃摂取していた野菜類にあった可能性も付加されるにすぎず、右痕跡のチタンがカプセルに由来した可能性を否定することになるものでないことは極めて明白である。また、右浮田鑑定人自身控訴審における証人尋問において、チタンがカプセルに由来する可能性はあるが、それ以外のものからも由来した可能性は肯定も否定もできない旨証言し(第一七冊八七七丁)、同じく控訴審における証人狐塚寛は、チタンは泥の中など自然界にかなり広く存在し、食事の関係から胃の内容物に出てくることがないとはいえない旨証言しているのであるから(一七冊七二八丁)、右新証拠甲により立証しようとする点は、既に確定判決も考慮に入れていたものと合理的に推認することができるのである。したがって新証拠甲をもってしても、被害者の胃内容物から痕跡のチタンが検出された事実が、被害者が乳白色硬カプセルを内服した可能性があることの一つの根拠となり、これがさらに前記被害者の供述を裏付ける状況的事実となっているという前記確定判決の有罪認定構造に実質的な影響を及ぼすものとはいえず、これが請求人の無罪に結びつく有力な証拠ということは到底できない。

 次に、新証拠乙については、その内容は、咽頭、食道に異常のないことから直ちに青酸化合物が包埋されていたとは断定できないというものであるが、仮にその内容が採用できるものとしても、右は被害者において経口摂取したことの明らかな青酸化合物が包埋されていなかった可能性を示すものにすぎず、右包埋されていた可能性を否定するものではないから、右新証拠乙は前記被害者の供述の信用性を裏付ける状況的事実の存在を否定するものではないことは原決定の説示するとおりである。

 以上、要するに、確定判決は前記のように被害者が包埋された状態の青酸化合物を摂取した可能性があることを状況的事実の一つとし、他の証拠と相俟って請求人が被害者にカプセルに包埋された青酸化合物を服用させて殺害した旨認定しているのであって、新証拠甲、乙をもってしても、確定判決の事実認定理由の基本的構造を崩すに足りるものではなく、記録中の関係証拠と合わせ検討しても、確定判決の事実認定を防げることが明らかであるとはいえない。原決定も、右と同旨を説示し、新証拠により確定判決の事実認定に合理的疑いが生じたとみることはできず、右新証拠甲、乙が刑訴法四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」であるとはいえないと判断しているのであり、原決定が本件再審申立理由を誤解しているとはいえない。

 また、弁護人らが提出可能であるとする前記証拠については、新証拠を現実に差し出したものではないから、原決定がこの点について何ら判断しなかったのは当然であり、右をもって不当であるということはできない(なお、原決定が、請求人宅から被害者方までは自動車の走行時間が時速約三〇粁で四分弱であることが認められる旨説示していることは所論のとおりであるところ、一審裁判所の検証調書(第三冊九九九丁)には検証の目的として「本件各現場間の距離的関係および各地点間の自動車又は自転車による所要時間を明らかにするため」及び検証の結果として、「元被告人住居である鹿島郡波崎町八、七四七番の一、地先居宅門口を午後二時二五分出発(エンジン始動後発車までに四秒を要した。)時速三〇粁位にて進行し、同記載の経路を通過して、同記載の同町七、四〇四番地のI.N. 方居宅の玄関先まで乗り入れた。その間の距離は約一・三粁、所要時間は三分三九秒であった(ストップウオッチ使用、自動車の距離計で計測)」旨記載されていて、右記載によれば、距離及び所要時間は正確なものと認められるが、時速三〇粁位というのは大体それ位の速度という程度の意味に解するのが相当であって、右検証の趣旨は、請求人方から被害者方へは三分三九秒あれば到着可能であることを明らかにしたものであり、被害者の運転速度を検証したものでないことが明白であるから、原決定の右説示は措辞やや正確を欠く憾みがあるけれども、原決定は、要するに、一審判決が、被害者は二六日午前零時一五分頃、請求人方を辞去するに際し、今夜は興奮して眠れない等と言い出し、そこで請求人は前記のように同人に本件カプセルを交付し、同人は土間の水道から水を出してこれを飲み下し、請求人方前道路に置いてあった自動車を借り受けこれを運転して帰路につき、同零時二〇分頃自宅に帰着した旨判示した右の時間関係の認定を正当として是認する旨を説示したものであるから、前記説示を非難する所論は理由がない)。

 以上、原決定は相当であって、これに所論のような誤りはないと考えられるから、論旨は理由がない。

 そこで、刑訴法四二六条一項後段、四二八条三項により、主文のとおり決定する。

  昭和六〇年二月二五日

 東京高等裁判所第二刑事部
  裁判長裁判官 佐々木 史朗
  裁判官    竹田  央
  裁判官    中西  武夫

連名の再審請求書及び「再審申立理由補充」と題する書面並びに弁護人庄司宏名義の「検察官意見書に対する反論」と題する書面に、これに対する検察官の意見は、検察官棚町祥吉名義の意見書及び同高城龍夫名義の補充意見書に記載されているとおりであるから、これを引用する。


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