■ 東京高裁判決文(1973/7/6) もどる

(8-1)

昭和四二年(う)第七四四号

    判  決

本籍および住居
   茨城県那珂湊市釈迦町五、七一九番地
         不動産売買仲介業
            冨山高幸こと
              冨 山 常 喜
              大正六年四月二六日生
 右の者に対する殺人、私文書偽造同行使、殺人未遂被告事件について、昭和四一年一二月二四日水戸地方裁判所土浦支部が言い渡した判決に対し、原審弁護人および被告人から控訴の申し立てがあったので、当裁判所は、次のとおり判決する。

      主  文
原判決を破棄する。
被告人を死刑に処する。
押収にしてあるSY作成名義の自由満期災害倍増保険契約申込書一通(当庁昭和四二年押第二四○号の九)および菅**一作名義の毎期清算配当付自由保険申込書一通(同押号の一二)の各偽造部分を没収する。
本件控訴事実中、IKおよびIT


(8-2)

に対する各殺人未遂の点については、被告人は、無罪。
      理  由
一、控訴の趣意および答弁
 本件の趣意は、弁護人塙悟、同荒川晶彦および被告人の提出した各控訴趣意書に記載されたとおり(ただし、被告人提出の控訴趣意書は、弁護人ら提出の控訴趣意書の補充書として陳述されたものである。)であり、これに対する答弁は、検察官吉安茂雄の提出した答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。これらの各所論にかんがみ、右控訴の趣意について、つぎのとおり判断する。
二、殺人未遂被告事件(いわゆるハワイ屋事件)について
 弁護人塙悟の所論は、原判事第一の殺人未遂事件につき、原判決には、(1)判決に摘示された証拠から判示事実を認定することが、論理上、経験上の法則に照らし、著しく不合理であり、判決理由にくいちがいがあり、(2)証明がないのに、推定、可能性によって、事実認定を行った点において、訴訟手続の法令違反があり、(3)原審記録中の各証拠から判断すると、原判決の事実認定は、著しく不当であり、事実誤認があり、右(2)および(3)が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない、というのであり、被告人の所論は、原判決の事実誤認を主張するものである。


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 本件殺人未遂事件について、原判決が認定した事実の要旨は、
「被告人は、その内妻IMには、同女が娘時代色々世話になつたことのある、IKとその妻(I)Tという老夫婦が在り、しかも(I)Kとは血縁の叔父姪の間柄であり、この老夫婦は、元ハワイから帰国した者で、被告人が居住していた茨城県鹿島郡波崎町と同一市内の大字荒波四、六九七番地で農業を営み、夫婦二人だけの淋しい暮らしをしているのであるが、(I)Mは先夫が戦死して以来同家とほとんど往来をせず、また、被告人も同家には出入せず、(I)Aだけがときどき被告人の水戸あたりから持ち帰つた土産品を(I)Mに命ぜられて持つて行く程度の細々とした付き合いを僅かに保つていたに過ぎなかつたところ、いずれも右老夫婦の全く知らない間に、主として、(I)Mが単独あるいは被告人と相談のうえ、(1)昭和三一年一〇月二七日契約者IM、被保険者IK、保険金受取人IM、保険金額五万円、(2)昭和三二年一一月一九日、契約者前同人、被保険者前同人、保険金受取人前同人、保険金額十万円、(3)昭和三二年一一月一九日、契約者前同人、被保険者前同人、保険金受取人前同人、保険金額五万円、(4)昭和三三年一月一三日、契約者冨山常喜(被告人)、被保険者前同人、保険金受取人IA、保険金額二十万円、(5)昭和三三年二月二八日、契約者IM


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、被保険者IT、保険金受取人IM、保険金額二○万円の口数合計五口、保険金額合計六○万円の終身簡易生命保険を締結してあり、被告人もこのことを十分知悉して居つたところ、ITが(I)Aの持つて行つた土産品を突き返したり、(I)Mが被告人と一緒では(I)Aら子供の行末も案じられるとか、二人を別れさせるとか、しばしば被告人の悪口を言つていることを聞知して、これに憤慨し、いつそIK夫婦を殺害すれば、合計六○万円の生命保険金も取得できるし、自分達夫婦生活に水を差す邪魔者もなくしてしまえるものと考え、右老夫婦殺害の意を決して、昭和三四年六月三日午後八時三〇分ころから九時頃までの間、前記IK居宅の勝手口から屋内に忍び入り、廊下づたいに奥の寝室の方に向かい忍び足で行くところへ、折柄IT(当時五九才)が隣家より貰い風呂をして帰宅し、勝手口から台所に入つて来たのを認めるや、取つて返して同女に対し、「この婆くたばれ」「俺のことをなんだかんだ言っている」などと怒鳴りながら、同女の頭部をめがけ、所携の棍棒を振つて数回乱打し、さらに、この騒ぎを聞きつけ、同所に奥の寝室から駈けつけて来たIK(当時六五才)に対しても、同様棍棒をもつて同人の頭部胸部等を数回乱打したが、かえつて昔相撲取りをやつたこともある(I)Kのためにあやうく逮捕されそうになり辛じて勝手口から屋外に逃げ出


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し、さらに同家前の道路端でも(I)Kから取り押えられそうになつたのを、ようやくこれを脱して逃げ去つたのであるが、その際、(I)Kに対しては、全治約二週間を要する頭部、顔面、左胸部、腰部各挫傷、(I)Tに対しては、全治約二週間を要する頭部割創、右手掌、右環指各挫傷の傷害を負わせたに止まり、両名殺害の目的は遂げることができなかつた。」というのである。
 原判決挙示の関係証拠によると、右原判決認定の事実のうち、判示の日の夜、判示の場所において、ITおよびIK両名が、何者かによって判示にような傷害を負わせられたことが認められるので、問題は、右事件と被告人との結びつきにあるのであるが、この点につき、原判決は、(1)被告人には、判示のような動機・目的があったこと、(2)被告人が判示犯行のあった翌日ひそかに重大な証拠物件である血のついたシャツ二枚を湮滅したものと疑われるに充分な行動をしていること、(3)事件当夜被告人の着用していたズボンに血らしいものが附着していたこと、(4)事件直後ころに、被告人が常にかけている眼鏡のつるを直していたこと、(5)事件の直後ころ、被告人方の押入に油じみた黒っぽいしみのついた棍棒があったこと、(6)被告人のアリバイおよびシャツに血のついていたことについての被告人の弁解が容認されないこと、(7)被害者ITが終始一貫犯人は被告人に間違いない旨証言し


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ていること、(8)事件当夜被害者方邸内にあった自転車のタイヤ跡と被告人方の自転車のタイヤ跡が同種類のものであって、被告人自身も当夜右自転車に乗って外出した事実があること、(9)被告人の、被害者方の所在を知らなかった旨の弁解は、信用できず、これを知っていたものと認められること、以上の諸点を挙げ、被告人以外に犯人は考えられないとしているのである。
 そして、関係各証拠によると、右(2)、(3)、(4)、(5)および(8)の事実は、優に認め得られ、さらに、原判決が被告人に本件犯行の動機・目的があったことの証左として指摘するとおり、被告人の内妻IMが単独で、または被告人と相談のうえで、IKまたはITを被保険者とし、IMまたはIAを保険金受取人とする合計五口、保険金額合計六○万円の簡易生命保険に加入しており、被告人のことを良く言っておらず、被告人もこれを知っていたことが認められるのであって、これらの事実は、被告人が犯人であるとの疑いを強く抱かせるものであることは、否定できない。
 しかしながら、被告人は、捜査段階から原審および当審の公判審理を通じて、一貫して犯行を否認しており、右(2)、(3)、(4)、(5)および(8)の各事実についての被告人の弁解も、これを否定し去るに足りる確実な証拠は、原審記録および証拠物ならび


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に当審における事実の取調の結果によるも、これを発見し得ない。そうだとすると、右各事実をもって、被告人を犯人と断ずるに足りる証拠と見ることはできず、結局、原審証人ITの供述の信憑性および被告人のアリバイに関する証拠を慎重に検討しなければならないことになる。
 そこで、証人ITの原審公判廷における供述および受命裁判官に対する供述を見るに、同証人は、「自分は、事件当夜、自宅のラジオでスリラー劇場の放送を聞いたあと、自宅の近所の藤*方に風呂をもらいに行き、一五分か二○分くらいで帰ってきた。自宅風呂場へ手拭をかけたとき、廊下を抜き足差し足行く人がいるので、夫(I)Kかと思い、声をかけたところ、相手は、風呂場のガラス戸にへばりついた。自分が頭を出したら、相手は、その頭を棒でぽこんと叩いた。台所の電気をつけてよく顔を見ようと思い、踏み台に足をかけ、電気をつけようとしたら、相手は、寄って来てまた叩いた。びっくりして上を向いたら、夫ではなく、見たことのない人だったので、夫を呼んだ。相手は、「ばばあ、くたばれ。」と言ってまた叩いてきた。そこへ夫が飛んできて、犯人と組討になった。二人は、さらに戸口から表へ出て組討を続けた。そのうちに、犯人は、夫の手をふり切って逃げて行った。自分は叩かれたときにも、外へ出てからも、犯人の顔を見たが、被告人に間違いない。犯人は眼鏡をかけていた。


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当時廊下に接する六畳間には電燈がついていた。」というのである。
 しかしながら、犯人の年齢については、同証人は、原審第九回公判期日においては、「犯人は年をとって頭もはげていた。」といいながら、昭和四一年二月一○日施行の受命裁判官に対する供述では、「当時は年まではわからなかった。」といっているのみならず、また、「事件後冨山の顔を見る前に、人から、『お前は犯人を若い人というけれど、若い人ではない。年が三十四、五になる人だから冨山だ。』といわれた。」といっており、原審記録に現れたこれらの証言だけを取り上げてみても、同証人の、犯人は被告人に間違いない旨の証言が全面的に信用できるかどうか、疑問を抱かざるを得ない。さらに、当審において取り調べた同人の司法警察員に対する昭和三八年九月一二日付供述調書中には、「自分は、この事件による負傷で入院中、犯人の人相が当時波崎町荒波に住んでいて大工見習をしていた藤**歩という、十七、八才の男に似ていると思うようになり、このことを警察官に話したことがある。その後、入院中の私のところへ見舞いに来た藤**んから、『お前間違っているんではないか。*歩ではないぞ。(I)Mの亭主だぞ。(I)Mの亭主なら、その位のことはやりかねないぞ。』といわれ、その後冨山を見るに及んで、顔や体つきが犯人と似ており、冨山に間違いないと思うよう


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になった。」旨の供述記載があり、被害者(I)Tは、事件当時、犯人は若い男との印象を受けたことが窺われるのである。そして、同じく当審において取り調べたIKの司法警察員に対する昭和三四年六月四日付供述調書には、「犯人は、年のころ二十歳前後、中肉で、背は五尺二、三寸位の男」という供述記載があり、被害者(I)Kもまた、犯人は若い男との印象を受けたことが窺われるのである。さらに、当審のIK方における昭和四三年八月二六日実施の検証調書中には、被害者ITの指示により事件当夜の模様の再現を試みたところ、犯人の身体の輪郭は見えたが、その顔形、眼、鼻、口などの識別はできなかった旨の記載がある。そして、関係証拠によれば、事件当時月が出ていなかったことが明らかであるから、照明設備のない戸外においても同様に暗く、人相の識別は困難であったと考えられる。このことは、家の内外で犯人と暫くの間組み合った被害者IKが、原審公判廷において、犯人は白っぽい、余り黒くない人と証言するのみで、人相については何ら述べていないことからも窺われるところである。以上の諸事情に加え、右ITが、被告人のことを事件以前から快く思っていなかったことが、その原審における証言により認められることを考え合わせると、ITの、犯人は被告人に間違いない旨の証言は、事件当時の認識に基づくものというよりは、事件後他人から言


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われたことがらに影響された結果、そう確信するに至ったことに基づくものと見る余地あり、右証言をもって、決定的な証拠と見ることはできないことになる。
 つぎに、被告人のアリバイに関する証拠を検討する。証人ITは、原審公判廷および受命裁判官に対する供述調書の中で、前記のとおり、「自分は、事件当夜、自宅のラジオでスリラー劇場の放送を聞いたあと、自宅の近所の藤*方へ風呂をもらいに行き、一五分か、二○分ぐらいで帰って来て、被害にあった。」旨述べているのであって、この事実は動かし難いものと認められる。もっとも、同証人は、原審第九回公判期日において、「自分は八時から八時半までラジオを聞いてから風呂をもらいに行った。」旨供述しているが、同人の受命裁判官に対する供述によると、ラジオを聞いた時刻に着いての記憶は明確でなく、単に、スリラー劇場という番組を聞いたことを記憶していることが認められるところ、司法警察員作成の昭和三四年六月四日付操作報告書添付の同月三日付毎日新聞ラジオ番組表によると、前記スリラー劇場という番組は、ラジオ東京により、午後八時三○分から九時(正確には、コマーシャル放送の時間を差し引き、九時やや前)まで放送されたことが認められ、したがって、右(I)Tがもらい風呂をして帰宅したのは、午後九時一五分ないし二○分ころと認められるのが相当である。そうだとすれば、本件が発生し


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た時刻も、午後九時一五分ころ以降と認められるのであって、判決が午後八時三○分ころから九時ころまでと認定したことは、正確性を欠くものといわなければならない。そして、被告人の当夜の帰宅時刻については、原審証人IMの供述によると、午後九時一○分ないし一五分ころというのであり、その証拠として、同証人は、「スリラー劇場を聞き終わり、タバコを一服つけて寝ようと思ったところへ富山が帰ってきた。」と述べており、同証人の供述内容から判断すると、右の点の供述は、信用性のないものとはいえないから、原判決が、被告人の帰宅時刻に関する同証人の供述は、午後九時三○分ころということに固まっていると認められる、としたのは証拠の評価を誤ったものといわざるを得ない。さらに、原審の昭和三九年一○月一日実施の供述調書によると、IK方から被告人方までの距離は約三・三キロメールで、その間の自転車による所要時間は、実験によると、九分三七秒かかったことが認められるのであって、もし、被告人が犯人であるとすれば、帰宅時刻は、IMの証言する前記時刻よりかなり遅くなるはずである。結局、本件の発生した時刻と被告人の帰宅した時刻との関係から、被告人のアリバイの成立する余地があることになり、被告人のアリバイを否定した原判決の判断は、合理的とはいえない。  さらに、当審証人安**三の供述によると、同人は、事件


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当夜、シャツの背中に血をつけた男が自転車に乗って、本新町から浜新田の方へ通ずる道路を浜新田の方に向かって行くのを見た、というのであって、その進路が被告人方とは異なる方向であることから、これは、当夜被告人のほかに、シャツに血をつけ、自転車に乗った男が存在することを窺わせるのである。
 以上のとおり、本件において最も重要な証拠と目される被害者ITの証言の信憑性に疑問があること、被告人にアリバイの成立する余地があること、被告人以外に当夜シャツに血をつけ、自転車に乗った男の存在する可能性のあることを考慮すると、原判決の指摘し、当裁判所も肯認する、前記のとおり、被告人を犯人であると疑わせるいくつもの情況証拠が存在するにもかかわらず、被告人を犯人と判断するには、なお疑いが残るのであって、この疑いは、いわゆる合理的なこの疑いに該当するといわざるを得ない。したがって、原判示第一の殺人未遂の事実は、原判決挙示の証拠によっては肯認することができず、しかも、他にこの事実を認めしめる証拠を見出すことはできない。
 してみると、被告人に対する本件殺人未遂の事実を有罪とした原判決には、理由の不備および判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があることになるから、原判決は、破棄を免れない。この点においては、論旨は、理由がある。


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三、殺人被告事件ついて。
 弁護人荒川晶彦の所論は、原判決示第四の殺人の事実につき、原判決は、その挙示する証拠によりこれを有罪と認定したが、右認定は、被告人が本件犯行をおかした者との仮定や推断から出発し、この仮定や推断にもとづいて組み立てられた一連の仮定や推断を一般的可能性などと結び付けてさらに推断を加え、最後にまた被告人の本件犯行を推断し有罪と認定したものであって、その過程において、無根拠性、非論理性、非科学性が著しく、この点において、原判決には、理由のくいちがいがあり、証拠によらず、証明のないままの仮定、可能性、推断などにより事実認定をした点に訴訟手続きの法令違反があり、その結果として事実誤認があり、後二者が判決に影響を及ぼすことは明らかであることから、原判決は、破棄を免れない、というのであり、被告人の所論は、原判決の事実誤認を主張するものである。
 本件殺人被告事件について、原判決の認定した事実の要旨は、
「被告人は、茨城県鹿島郡波崎町に移住後、博徒の開帳する賭場において、内妻IMの従弟に当たる同郡同町七、四○四番地農業IYと知り合い、次第に親しくなり、同人より金を借りたり、同人の借金の世話をしたり、同人に直接金を貸したりなどしているうち、原判示第二記載のSY


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の生命保険がその後被告人において保険料の支払を延滞したため、失効となったところから、かつてSYが(I)Mの勧誘により日本生命保険株式会社の保険に加入していたが、保険料不払いのため失効となったのを奇貨として、被告人において保険料を立て替え、復活させてやるように装い、昭和三十八年四月下旬ころ、SYを日本生命株式会社に連れて行くように装って、水戸市泉町所在のT生命保険相互会社に同伴し、同会社の保険に加入された際、たまたま同人から頼まれ、同人のほか被告人をも自己の乗用車に乗せて同会社に来合わせていた前記IYに対しても保険に加入するように勧め、一応同人をして同会社で身体検査を受けさせたところ、その帰途において、元来無免許でありながら、乗用車を購入運転していた(I)Yが、自身運転を過って自動車を転覆させる事故を起こしたので、被告人の勧誘に応じ、被告人が第一回分の保険料を立て替え支払い、そして適当な保険金額なら保険に加入してもいい旨を承諾したのを奇貨として、不法に多額の生命保険料利得することを考え、わざと(I)Yには保険金額および保険金受取人については相談せず、同年五月ころ、同人を保険契約者および被保険者とし、満期の場合は被保険者が保険金受取人となり、満期保険金額は二○○万円とし、交通事故等に因る災害に基づき死亡した場合には保険金額は六○○万円とし、その保険金受取人は被告人


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とする満期自由組立生命保険契約をT生命をT生命保険相互会社職員MKに手続方を依頼して、同生命保険相互会社との間において締結すべく同会社水戸支社に申し込んだところ、同会社の本社が審査した結果、該保険申し込みは、災害死亡による保険金の受取人が被告人一名となっている点に難点があるとし、同年七月ころ、該災害死亡による保険金六○○万円の受取人を、保険契約者兼被保険者IYの妻INと被告人とが各半額ずつの受取人にすることに変更し、該生命保険契約の始期を昭和三十八年五月二五日に遡及せしめて契約締結の運びとなり、被告人は、前記MKより右のような経過の大要を告げられ、不満ではあったが、なお自己が相当多額の保険金の受取人たることには変わりがないので、該生命保険契約を解約せず、IYが無免許で現に転覆事故まで起こして居りながら、依然として自動車の運転を断念しないでいるところからして、同人が自動車を運転中過って交通事故を起こして死亡したように偽装し、その方法として、同人が乗車直前に青酸化合物をカプセルに入れたものを同人に正常な薬品と偽って服用させるならば、カプセルが溶解するまでには多少の時間を要するところから、同人はその場で即死せず、自動車運転中、まもなくカプセルの溶解と共に、青酸中毒を起こし、苦悶の末死亡し、しかも外見上の観察からして、同人が自動車運転中操作を過って交通事故を起こし、それによ


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って死亡したものと簡単に処理され、したがって青酸中毒による他殺であることは到底看破されないものと思惟し、爾来ひそかに短時間内に青酸化合物をカプセルに入れることのできる準備を整え、好機の到来を待っていたところ、たまたま同年八月二五日に前掲記の被告人方で、IYが、同人がかねて他人にオートバイを担保に入れて金を借りていたところ、相手が約束に違反にしてこれを他人に転売してしまったとして、大いに憤慨し、その相手と強く争論したため、痛く興奮していたが、金策のため同日午後八時三○分ころ、被告人の車を借りて千葉県八日市場市に出かけ、その晩は必ず帰りに被告人方に立ち寄ることになっていたところからして、被告人は、この機会を利用すれば、かねての計画を実行に移すことができるのではないかと考え、(I)Yが、被告人方に戻ってくるまでの間において、ひそかにカプセルに青酸化合物を入れたものを作り、(I)Yの帰ってくるのを待ち受けていたところ、(I)Yは、同日午後一一時三○分ころ、前記被告人方に戻ってきたのであるが、(I)Yが、翌二六日午前零時一五分ころ、被告人方から辞去するに際し、被告人の乗用自動車を借り、(I)Y一人で乗車運転して、前掲記の同人方まで帰ることになった際、同人が、今夜は興奮して眠れないなどと言い出したので、まさに好機至れりとして、いよいよかねての計画どおり、(I)Yを毒殺して多額の生命保険金を不法に利得しよ


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うと決意し、被告人方土間において、(I)Yがなお興奮しながらオートバイのことを被告人に解決してくれるように頼むと言ったりしているのを慰めながら、鎮静剤やこれと同様の効力のあるアスピリンを飲めばよく眠れるなどと告げ、正常な薬品のように装い、その実、青酸化合物を致死量を超えた分量でカプセルに入れたものを、(I)Yに交付し、これを正常な鎮静剤であると誤信した同人が、即座に右土間に設けられてある水道から水を出して、その水と共に右カプセル入りの青酸化合物を飲み下し、そのまま、ただちに、被告人方前の道路に置いてある同人の乗用自動車を、同人から借り受け、これに単身乗車して、まっすぐ帰宅の途についたところ、被告人の期待に反し、その途中では別段の症状も起こさず、まっすぐ無事に、同日零時二○分ころ、前記自宅に帰着し、部屋に上がって就寝しようとしたところ、間もなく、青酸中毒の症状を起こし、猛烈な苦悶を始め、ようやく同人の妻(I)Nおよび近隣の人達の救護を受けて、茨城県鹿島郡波崎町八九六八番地済世会波崎済世病院に運び込まれたのであるが、いくばくもなく、同日午前一時三○分ころ、同病院内において、青酸化合物の中毒によって死亡し、そこで、被告人のかねての計画どおりの自動車運転中の交通事故に因る死亡と偽装することには失敗したが、ついに右IYを殺害した。」というのである。


(8-18)

 そして、原判決は、被告人が捜査段階以来犯行を否認していたため、本件犯行と被告人との結びつきについて、詳細な証拠説明を加え、これに対して、弁護人は、その証拠証明が非論理的、非科学的であって、合理性を欠く旨主張するのである。
 そこで、以下弁護人の所論の順序に従い判断する。
(一) 所論は、原判決が、被告人のアスピリンについての捜査段階における供述および公判廷における発言の経過をとらえて、被告人が、IYに対し、「アスピリン二、三錠のめば、よく眠れる。」と言ったことを公判廷で極力否定しようとしたのは、(I)Yに青酸化合物入りのカプセルを飲ませた事実がそのあとに続いて存在しているためと推断される、としたのは、合理性を欠くというのである。
 たしかに、被告人が(I)Yに対し、「アスピリン二、三錠のめば、よく眠れる。」と言ったことを否定する趣旨の発言をしたのは、原審第五回公判期日における承認IMに対する反対尋問に老いてであって、原判決の言うように、「執拗に喰い下がった」というほどのことはなく、また、被告人自らの供述としてなされたものでもないのであるから、被告人の右発言をとらえて、異常な行為と評価し、これは、被告人が(I)Yに青酸化合物入りのカプセルを飲ませた事実が存在しているためである、とした原判決の判断には、飛


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躍があるといわざるを得ない。しかしながら、被告人が「アスピリンをのめば眠れる。」と言った事実は、その際に被告人が正常な薬品といつわって、青酸化合物入りのカプセルを(I)Yにのませることのできた機会があったということになり、被告人にとって不利益な情況の一つである旨の原判決の判断部分は、合理的なものとして、是認できる。
(二) 所論は、原判決は、犯行当時被告人がカプセルを所持していたことを認定してるが、かかる事実は、被告人がカプセルに青酸化合物を詰めてのませる可能性を示すことになっても、のませたことの証拠とはならないというのである。
 しかしながら、原判決は、所論のように、犯行当時被告人がカプセルを所持していた事実から、ただちに被告人がカプセル入りの青酸化合物をのませたことを認定しているのではないことは、判文自体から明らかである。判決文は、被告人がカプセルを所持し、これを使いうる立場にあったこと、それにもかかわらず、被告人が原審公判廷で、事件当時カプセルを所持していたことを否認していることの矛盾を指摘し、右の事実と他の証拠とあいまって、被告人がカプセルに青酸化合物を詰めて(I)Yにのませたと認定しているのであって、原判決の右認定には、何ら違法の点はない。(なお、判文中に引用されている被告人の司法審査員


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に対する昭和三八年一一月一○日付供述調書については、その内容や、末尾部分に被告の署名・指印が在することと、他の関係証拠とに照らし、その供述記載が被告人所論のように違法になされたものとは見られず、また、右のように指印がされているものである以上、被告人のいう印鑑盗用の問題を生ずるわけでもなく、他に右供述調書の証拠能力を否定すべき事由は認められないから、この点に関する被告人の所論は、失当である。)
(三) 所論は、原判決が、(I)Yの死が自殺はとは判断しがたいということや、INの証言が信用できるということから、犯人は被告人以外の者であると考えることは不可能になったとしているのは、無根拠性、非論理性、非科学性が著しいというのである。
 しかしながら、IYが事件当夜、被告方から、被告人の自動車を借りてこれを自ら運転して帰宅してから暫くして青酸中毒症状を起こし、原判示日時場所において死亡した事実は、原判決挙示の関係証拠によって明らかであり、原判決は、この事実と原審証人INの供述によって認められる、(I)Yは帰宅して間もなく苦しみだし、「薬を飲まされた。箱屋だ。」「薬はな二つ、あと一つ、のまされた。」「箱屋にだまされた。」と言った事実、箱屋とは被告人の通称であること、原審証人Imの、「


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父ちゃんの、薬をのまされたという声で目をさました。」等の供述、さらにIYには自殺せねばならかった事情があったと認めるに足りる証拠がないこと等を合わせ考え、犯人を被告人以外の者であると考えられることが不可能になったとしているのであって、原判決のこの判断は、右証人INの供述が信用できるものであるとすれば、他に合理的な疑いを生じせしめる事由のない限り、是認できるものといわなければならない。
 そこで、右INの証言の信用性について検討を加えると、同証人は、原審第四回公判、同第一二回公判および同第一三公判において尋問を受け、事件当夜の様子を詳細に供述しているのであるが、その内容は極めて具体的で真に迫り、嘘を言っているとの疑いをさしはさむ余地はなく、十分に信用に値する。弁護人は、当審における最終弁論において、同証人に供述が回を重ねるごとに著しく変遷している旨主張するが、同人の原審および当審における供述を対比して検討すると、その表現において、わずかの違いがあるにしても、その内容は、細かい点まで一貫しており、所論のような供述の変遷は見られない。もっとも、同証人は、原審および当審を通じて、「被告人が(I)Yにかけた保険のことは、事件当時まで知らなかった。(I)Yの死後、保険証券が送られてきてはじめて知った。昭和三八年


(8-22)

五月か六月ころ、保険会社から調べにきたことがあったが、うちでは入らないと言った。」旨供述し、問題の保険会社の名称も、当初はT生命であると述べていたのに、後にはこれを否定し、日本生命から来たと思っていた旨を述べており、この点では、同証人の供述は変化しており、当審において取り調べた同人の司法警察員に対する各供述調書、とくに事件当日である昭和三八年八月二六日付調書中にもT生命のことが出ているところから判断すると、事件当時、同人は、問題の保険会社がT生命であることを知っていたことが窺われるのであるが、尚供述調書中には保険金額を実際より少ない額である金五○万円であると聞いた旨の供述記載があり、同人としては、問題の保険の保険金受取人が誰かなど契約内容の詳細は知らなかったものと認められ、このことは、浪川源太郎の司法警察員に対する供述調書およびIN名義の追加告知書(当庁昭和四二年押第二四○号の二三)にっても裏付けられるところである。そうだとすれば、右(I)Nとしては、事件後保険証券が送られて来てはじめて保険契約の詳細を知るに至ったものであって、保険会社の名称を知った時期についての記憶が時がたつにつれて薄れ、保険証券を受け取ったときにこれを知ったように思い込むにいたったと考えられるのであって、右のような供述の若干の変化があるからといって、同人の証言


(8-23)

の信用性が失われるものではなく、事件当夜の情況についての同人の証言は、原審および当審を通じ、充分信用できるものと考えられる。
(四) 所論は、原判決は、(I)Yが青酸化合物を飲まされた場所について、被告人の土間であると見ることが充分可能であるとし、そのことを基として一足とびに土間で「のませた」との「行為」を認定している、として原判決を非難するのである。
 しかし、原判決は、所論のように、犯行の場所が土間であることの可能性から、ただちに被告人の土間で「のませた行為」を認定しているものでないことは、判文自体からあきらかであって、原判決中所論指摘の部分は、被告人が犯人であること、犯行の場所が被告人方であることを前提として、(I)Yが青酸化合物をのまされた場所が、被告人方のどこであるかを特定するための説明であり、その場所が被告人方の土間であるとした原判決の認定は原審第二七回公判期日における被告人の供述中、「(I)Yは、土間におりてから、オートバイのことで腹が立ってしょうがないということを言ったので、何か薬でもあったらのんで寝ろ、アスピリンでも何でもいいんだぞ、と言ってやった。(I)Yは、帰りがけに土間のところで水を飲んでいく癖のあることは知っており、このときものんで行った。」旨の供述、原審


(8-24)

第五回公判期日における証人IMの供述中、「(I)Yが、頭がくしゃくしゃして眠れないというと、冨山がアスピリン二、三錠のめば眠れるさ、と言った。(I)Yが出がけに勝手場で水を飲んで行ったのが、水道のモーターの音でわかった。」との供述等から充分推認することができる。原判決の証拠説明のうちこの点に関する部分は説明不足の間を免れないが、事実の誤認その他違法の点があるとは認められない。
 なお、所論は、原審第五回公判期日において、証人IMが、検察官の、「冨山がアスピリン二、三粒のめばなおると言ってから、冨山が部屋の中を行ったり来たりしたとか、引出しをあけたとかの気配を感じたことはないか。」との質問に対し、「ありません。」と答えている点、また、同証人は、被告人が土間に下りて何か物を出している様子を感じたとも言っていないことから、被告人は、六畳間においても、土間においても、何物かを(I)Yに交付した事実がないことが合理的に推断される、というのであるが、同証人の右供述は、その前後の供述から判断しても、被告人が(I)Yに何物かを交付した気配を感じたことはないというに止まり、これをもって所論のように、六畳間においても、土間においても、何物をも(I)Yに交付した事実が存在しないことを推断させるものということは


(8-25)

できない。
 (所論が触れるポリグラフ検査書については、原判決の証拠説明中の記載は、原審の審理中にこれを証拠として採用し、取調をしたことを表したに過ぎないものであって、原判決においてこれを罪証に供したものではないことは、その判文上明らかであるから、同検査書を原判決の証拠の標目中に挙示してないことは、当然である。)
(五) 所論は、被告人がカプセルに青酸化合物を入れたものを作ったことについての原判決の証拠説明の判示は、不合理だというのである。
 しかし、原判決のこの点に関する証拠説明の判示は、要するに、(I)Yが被告人方にいた時間は短時間であったとしても、そしてまた、その間(I)Mおよび(I)Aが同室していて青酸化合物のカプセルの詰めかえができなかったとしても、これより前、すなわち、当夜午後八時三○分ころ、(I)Yが八日市場へ出かけた後、被告人方に帰ってくるまでの三時間位の間に、誰にも気付かれずに青酸化合物を入れたカプセル一箇を作っておく時間と余裕があったはずである、というのであって、右判示には何ら不合理な点はない。所論は、右判示部分は、「詰めかえができなかったとしても、詰めかえができたはずだ」というに帰するから、非科学的な推断である、というのであるが、これは判文を読み


(8-26)

違えたものというほかはない。
 所論は、また、原判決が「最後に(I)Yのいた時間が短くても、別に引出しを探すまでもなく、かりにポケットにひそませて置いた青酸化合物入りのカプセルを取り出すだけで、事は簡単にできると考えられるのである」と説示しているのに対し、かかる推断は不合理であるとし、また、当審の最終弁論においても、弁護人は、被告人が最後に(I)Yと会ったときは、被告人はパンツ一枚であったのであるから、青酸化合物入りのカプセルを取り出すべきポケットはなかった旨を主張する。しかし、原判決の右判示は、判文自体から明らかなとおり、ポケットからカプセルを取り出した旨認定したものではなく、引出し等を探したりするまでなく、あらかじめ用意しておいたカプセルを(I)Yに渡すことは用意であると言う趣旨であって、かかる推断は、決して不合理とはいえない。なお、当審第二五回公判期日において、被告人は、アスピリン云々の話を(I)Yとしたときも、浴衣のねまきを着ていた旨を供述しており、弁護人の主張するように終始パンツ一枚でいたかどうかは疑わしい。
(六) 所論は、原判決が、(I)Yが被告人方を退去した時刻午前零時一五分ころと認定したのは、事実を誤認したものであると言うのである。


(8-27)

 しかし、原判決挙示の原審第五回公判期日における証人IMの供述によれば、(I)YとTSは、一二時ちょっと前に八日市場から帰って来て、二人は、六畳間に上がり、冨山と暫く話をしたあと、T(S)が、「もう一二時になるから帰ろう。」と言って帰り、あと冨山と(I)Yが暫く話をして(I)Yも帰ったが、それは一二時過ぎになっていたと思う、というのであって、右証言は、所論のように信用性の乏しいものとはいえず、これと原判決挙示の他の関係証拠(ただし、証人八*茂に対する谷尋問調書を除く。)と合わせて考えると、(I)Yが被告人方を退去した時刻は、ほぼ原判示のころと認められるのであって、所論のように、事実の誤認があるとはいえない。所論の原判決援用の石*修および酒***郎の谷証言に対する論議は、その一部のみを引用して、その証言全体を非難するものであって、正当な評価ということはできない。
(七) 所論は、原判決が、「被告人が青酸化合物を入手した経路を明らかにする直接証拠、あるいはこれを所持していたと認むべき積極的な直接証拠はない。しかし、かかる証拠のないことは、本件を有罪と認定することについて、これを排斥するだけのものではない。」としたのは、証拠によらずして事実を認定した違法がある、というのである。
 しかし、原判決は、前記のとおり、証拠により、被告人


(8-28)

が(I)Yに青酸化合物をのませた犯人であることを認定しているのであって、原判決中所論指摘の部分は、被告人の青酸化合物の入手経路および青酸化合物所持についての直接証拠がないとしても、青酸化合物は、素人でも入手することが困難ではないことから、被告人がこれを所持していたことの認定を妨げるものではなく、本件犯行についての合理的疑いをさしはさむ事由とはならない旨説示しているものと解されるのであって、原判決には、所論のように、証拠によらずして事実を認定した違法は存しない。(なお、原判決が、被告人の検察官に対する供述調書中に、「被告人が子供のころ、青酸カリを使って池の魚を取ったことがある」旨の供述記載がある、としているのは、「被告人が子供のころ、青酸カリを使って池の魚を取るのを見たことがある」旨の供述記載があることの誤記であることが明らかである。)
(八) 所論は、原判決が、被告人が本件犯行にカプセルを用いた理由について説示した点につき、原判決は、「被告人がカプセル入りの青酸化合物をのませた」という証明のない前提から、「(I)Yの交通事故を偽装しようとの被告人の意図」という仮装を導き出し、さらにこの仮装を合理化するために、「被告人がカプセルを利用した」と推断しているのは、違法な事実認定の方法である、というのである。


(8-29)

 しかしながら、原判決中所論指摘の部分は、所論のように被告人がカプセルを使用したと認むべき理由(すでに他の部分において説示がなされている。)の説示ではなく、被告人がカプセルを使用した理由の説示であることは、判文を熟読すれば明らかであって、その理由が、交通事故を偽装するためであるとした原判決の認定も、不合理であるとはいえない。所論指摘のように、右偽装が不成功に終わる危険があるからといって、不成功に終わった場合、必ずしも本件のような経過により被告人に嫌疑がかかるであろうことを被告人において予想できたとは限らないのである。したがって、かかる予想ができることを前提にして、被告人が、自分に嫌疑がかかることの危険をおかしてまで本件のような行動に及ぶはずはないとの所論も、首肯し難い。
(九) 所論は、原判決が、本件犯行は、被告人がIYを被保険者とし、被告人を保険金受取人とする生命保険金の取得を目的としてなしたものである旨認定したのは、事実を誤認したものである、というのである。
 しかし、原判決挙示の関係証拠によれば、ほぼ、原判示罪となるべき事実第四に記載してあるとおりの経過により、IYを被保険者とする保険契約が締結されたことが認められる。所論は、右保険契約に被告人が関与したのは、(I)Yを保険会社に連れて行ったこと、(I)Yの住所、氏名、


(8-30)

後に保険会社の職員MKから求められて(I)Yの妻の氏名を教えたこと、保険金額や種類を決定したことなどに過ぎず、被告人は、契約が成立したか否かも、契約成立の時期も知らず、保険金受取人すら正確なところは知らなかったのであるから、このような被告人が、保険金取得を目的とする計画的毒殺をするはずはない、というのであるが、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人は、原判決認定のとおり、右保険契約の保険料および別口の保険料に充てるため、自ら金額一五万円の約束手形をMKに渡している事実も認められるのであって、右契約締結の経緯と被告人の司法警察員に対する昭和三八年八月二七日付および検察官に対する同年一一月一八日付各供述調書中の供述記載を合わせ考えると、本件犯行当時、被告人としては、保険契約が成立しており、しかも、死亡の場合の保険金受取人は自己一人になっているものと信じていたことが認められるのである。そうだとすれば、ほかに動機・目的の考えられない本件において、この犯行が保険金の取得を目的としてなされたものと認定した原判決には、何ら不合理な点はなく、この点において原判決には、事実の誤認は存せず、原判決中、被告人が、死亡の場合の保険金受取人を被告人とINの両名に変更されたことを知っていたかの如き部分は、これを認めるに足りる証拠がなく、この点におい


(8-31)

て原判決には事実の誤認があるが、この誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。 (一○) 所論は、被告人が、原審公判廷において、本件当時K電鉄株式会社に土地の売込の交渉をしており、三○○万円くらいの利益が上がる見込みであった旨供述し、本件犯行の動機・目的がなかったことを主張したことについて、原判決が関係証拠の信用性を否定して、右主張を認めなかったのは、事実を誤認したものである、というのである。
 しかし、原審に現われた関係証拠によると、本件当時、被告人は、不動産業者富**松と共同で、千葉県成田市所在の山林六町六反歩について、K電鉄株式会社に売込の交渉をしていたことは認められるが、当審証人小**保の供述その他当審における事実の取調の結果を合わせ考えても、所論のような契約の成立を期待し得る状況にあったとは、とうてい認められないのであるから、売込交渉の事実をもって、被告人の本件犯行の動機・目的がないことの理由とはなし難く、原判決の判断は、結論においても是認できるのである。
(一一) 所論は、最後に、被告人がNYから(I)Y急病の電話連絡を受けた後の被告人に言動について、原判決が言及していることに対し、これは、根拠のない推理に止まり、被告人を有罪と認めるに足りる証拠とはならないというので


(8-32)

ある。
 しかし、原判決中所論指摘の部分は、判文自体から明らかなとおり、被告人がNYから電話連絡を受けた後の被告人の言動をもって被告人を犯人と認めるべき情況証拠と見ているわけではなく、他の証拠により被告人が犯人であることが矛盾しないことを指摘するに過ぎないのであって、このうち推測にわたる部分については、これを判決理由として記載することの妥当性を疑わせる点はないではないが、かかる記載をすることが違法であるとまではいえない。
 以上、弁護人の所論の順序に従い判断したとおり、原判示第四の事実(ただし、前記(九)の判断において指摘したとおり、被告人が本件保険契約における死亡の場合の保険金受取人が被告人一名から被告人およびINの二名に変更されたことをMKから聞いて知っていたとの点を除く。)は、原判決挙示の関係証拠により認められるのである。原判決は、その判示第四の事実については、その証拠の欄に、(1)において証拠の標目を列挙したほかに、(2)において、右事実中被告人が否認し弁疎する部分について、さらに、その犯行と被告人との結び付きについて、証拠説明を附加しているのである。被告人が青酸化合物により本件殺人の犯行をおかしたもので


(8-33)

あることは、すでに右(1)に標目を列挙された証拠を総合することにより、優に是認することができるのであって、原審の記録および証拠物を精査し、当審における事実の取調の結果を合わせて考察しても、被告人が本件殺人の犯行をおかしたことにつき、合理的な疑いをさしはさむ余地があるとは見られない。右(2)の証拠証明の附加部分中に明らかな誤記や適切を欠く用語がないとはいえないが、その記載中に理由のくいちがいと見るべきものは在しない。原判決には、弁護人所論のような理由のくいちがいや、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続きの法令違反の違法がないのはもとより、弁護人および被告人所論のような判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認の違法も存じない。論旨は、いずれも理由がない。
四、結論
 前記のとおり、原判決は、原判示第一の事実について破棄を免れないが、原判決は、この事実と原判示第二ないし第四の各事実とを併合罪としてこれらに一個の刑を科しているから、原判決は、その全部を破棄すべきものである。
 そこで、刑事訴訟法三九七条一項、三七八条四号、三八二条によって原判決を破棄し、同法四○○条但書により、さらに判決する。
 原判決の確定した原判示第二ないし第四の事実に法令を適


(8-34)

用すると、原判示第二および第三の各所為のうち、私文書偽造の点は、刑法一五九条一項(第三の所為については、なお同法六○条)に、偽装私文書行使の点は、同法一六一条一項、一五九条一項(第三の所為については、なお同法六○条)に、原判示第四の所為は、同法一九九条に該当するところ、原判決第二および第三の私文書偽造とその行使とは、それぞれ手段、結果の関係にあるので、同法五四条一項後段、一○条により、それぞれ一罪として、重い偽造私文書行使罪の刑で処断することとし、原判示第四の罪につき情状を考えてみるに本件は、保険金の取得を目的とし、被告人の内妻の従弟であって、何ら警戒心を持たない被害者に毒をのませて殺害したという物慾から出た計画的犯行であって、動機において、なんら酌量の余地なく、犯行の態様も冷酷であること、被告人には当時とくに金銭的に窮していた事情もなかったこと、本件により被害者の妻や子に対し、精神的、物質的に甚大な打撃を与え、一般社会に及ぼした影響も計り知れないものがあると思われること、にもかかわらず、被告人には、改悛の情が認められないこと等にかんがみ、本件については、被告人に対し、極刑を科するも、やむをえないと考えられるので、所定刑中死刑を選択し、以上は、同法四五条前段の併合罪であるが、右原判示第四の罪につき死刑を選択したので、同法四六条一項により没収以外の他の刑を科さないこととして、


(8-35)

被告人を死刑に処し、没収につき同法一九条一項一号、二項本文を、有罪部分についての訴訟費用を負担させないことにつき、刑事訴訟法一八一条一項但書を、それぞれ適用する。
 本件公訴事実中、昭和三九年四月一○日付起訴状(原審昭和三九年(わ)第四七号)記載の公訴事実は、「被告人は、かねてより、内縁の妻IMと共に、保険金入手の目的をもって、右(I)Mの叔父にあたる被保険者のIKおよびその妻(I)Tの承諾を受けないで、同人らを被保険者とし、右(I)Mおよびその娘(I)Aを受取人とし、終身簡易保険金額計六○万円を締結しているばかりでなく、右(I)K夫婦が平素より被告人の悪口を言っているのを聞知するや、これに憤慨し、(I)K夫婦を殺害して日頃のうっ憤を晴らすと共に、同人方居宅に放火して事故死を装って保険金を詐取しようと企て、昭和三四年六月三日午後九時ころ、二リットル入り油缶に入った石油を携え、鹿島郡波崎町大字荒波四、六九七番地IK方に至り、右石油を屋敷東方に隠匿しおいたうえ、同勝手口より屋内に押し入り、(I)K夫婦を捜し求めていたところ、(I)Tが隣家より貰い風呂をして帰宅し、勝手口から台所へ入ってきたのを認めるや「この婆くたばれ。」「俺のことをなんだかんだ言っている。」などと怒鳴りながら、その頭部をめがけて、所携の棍棒(径二寸長さ二尺位)をもって数回連打中、(I)Kが騒ぎを聞きつけ、奥からかけつけ


(8-36)

てきたので、さらに同人の頭部胸部等を数回殴打し、右両名を殺害しようとしたが、(I)Kの意外な抵抗に遭い、その場より逃去したため、(I)K(当六九年)に対し、全治約二週間の頭部、顔面、左胸部、腰部各挫傷、(I)T(当六二年)に対し、全治二週間の頭部割創、右手掌、右環指各挫傷の障害を負わせたに止まり、両名殺害の目的を遂げなかったものである。」というのであるが、右事実については、さきに判断したとおり、犯罪の証明がないから、刑事訴訟法四○四条、三三六条後段により、被告人に対し無罪の言渡をする。よって、主文のように判決する。

検事 及川直年 同北村久彌 公判出席
昭和四八年七月六日
   東京高等裁判所第一刑事部
    裁判長判事 堀 義次
       判事 平野 太郎
       判事 和田 啓一


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