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(まったく・・・ブラスカは、今考えてもおかしな奴だよ・・・。)
アーロンは、眠るティーダの横顔を見ながら、回想を終えていた。あとはほとんど、おまけのようなものだ。ブラスカはあの場にいた全員を味方にした。詳しく事情を皆に話すと、僧院中に広く不祥事の噂が広がった。当然、あとは雪崩をうつように事件は収束し、三白眼の男は幽閉され、指示を与えた男は免職、他数人が追放された。花畑は焼き畑とされ、後に違う農作物が植えられた。
結局あの事件は、高位の僧の権力争いから発展したものだったらしい。その資金源を得るために、ボロい商売に手を出した、というわけだ。ブラスカの知り合いの高僧はそのうちすぐ失脚してしまったので、結局ブラスカのお手柄は淡い雪のように消えてしまった。
まあしかし、ブラスカは「寺院に、平和が戻ったねえ・・・」などと言ってはにこにこして茶をすすっていたから、本人としては満足だったのだろう。出世などしたら、自分のペースで行動できなくなるから、に違いない。
あと、彼は後にこんなことも語っていた。
「アーロン、あの現象はずっと昔・・・千年以上昔には『幻日』と呼ばれていたものらしいよ。空に浮かんだ氷の粒に、光が反射して分裂して見えるんだそうだ。神の怒り、なんて口からでまかせ言ったけどね・・・まあ、偶然とはいえあの日に見えたのは最高に運がよかったね。最初考えてた説得より、ずっと皆を一丸にできた。とても珍しい現象だし、広い範囲で見えるわけではないから皆知らなかったけど・・・ね。」
アーロンはそれを聞いて、狐につままれたような気分になったものだった。
焚き火で燃えている木のはぜる音を聞いていると、ティーダがぴくり、と体を動かした。彼は、大きなあくびをしながらごそごそと起き出した。いつのまにやら、もう朝だ。
「ふ・・・あ、あぁあ〜!おー・・・おはよっス、オッサン。」
「まだ眠いようだな。あんまり寝てばかりいると、脳が退化するぞ?」
「俺若いから、年食ったオッサンより早起きじゃあないんスよね〜。」
「その年を食っているぶん、お前よりも体力も頭もあるつもりでな・・・。」
彼らはまあ、こんなふうにいつもの挨拶を交わしていた。二人ともかなりの照れ屋なせいか、相手をけなしたりからかったりするような言い方でしか会話ができないのだ。
もっとも、これはこれで同じ方向に相性がよいということなので、これでもきっと仲はよいのだろう。彼らなりには・・・。
ティーダは、朝焼けした湖面を見つめる。アーロンもつられて、そこを見つめる。それは夕焼けの湖面とはまた違う、清浄な雰囲気を発して音もなく凪いでいた。赤、青、黄色、そして緑。静かに、そして穏かに生命力に溢れている。
(ほんとうに、ブラスカはこんな奴だったよ・・・。いろんな表情を持っていて、それなのに静かに生命力に溢れていた・・・。)
あれほど面白い人間を、愛さずにはいられるだろうか?当時は思い至らなかったが・・・そして決して自分自身認めようとはしなかったが、あれは俺の初恋だったと、今ならわかる。そしてその相手が彼でよかったと・・・俺は、そう思っている。
いつの間にか、アーロンは遠くを見つめていたらしい。そんな彼を、ティーダはいつのまにか心配そうに見つめていた。
「何だ?俺の顔に、なんかついてるか?」
彼は、ティーダに微笑しながら問いかける。ティーダは、不安げな顔をして、
「オッサンって・・・よく遠くを見つめていることがあるよな・・・いろいろ、昔あった楽しいこととか、辛いこととか思い出してるんだよな・・・。」
こう、言いよどむ。自分でも何を言っていいのかわからないのか、彼の言葉は続かない。俺はやはり指摘されたとおりに、うかつな人間なのだろう。すぐ近くにいる人間に不安を与えるようでは、大人としては失格だ。アーロンは、つとティーダの肩をつかむと、自分のほうにゆっくりと引き寄せた。
二人とも、言葉を発しない。ティーダは俺の胸で、切なげな瞳をしながら、静かな息遣いで呼吸していた。ただひとつ・・・ひとつだけ、心臓の鼓動だけが、聞こえる。
ティーダはそのまましばらく身じろぎもしないでいた。そして俺の顔をふと見上げると、ぽつりと小さな声でつぶやく。
「アーロン・・・俺達、今一生懸命傍にいよう・・・。」
(旅が終わったら・・・もしかして、会えなくなってしまうかもしれないから・・・か?)
アーロンは、ティーダの考えていることが、触れあっている部分から痛いほどに伝わってくるのを感じた。俺は異界の住人で、彼は儚い夢。旅が終わってからも、異界で一緒にいられる保障すらない。
アーロンは、無言でティーダを抱きしめ続ける。こんなときに言葉が何の意味も持たない事は、いろんな人間が教えてくれた。ジェクト、ブラスカ・・・そしてこの、小さい子供が。俺は大人なんかじゃあない。いつだって永遠に、俺は俺であるだけで、ただ一人を不安にさせないことすらできない。
「ああ・・・。今できるだけ、一緒にいよう。」
なんて、気の利かない言葉だろう・・・。こんなとき俺は、自分の未熟さを痛感する。自分の気持ちを伝えるには、言葉だけでは、足りない。
だから俺たちは、そこで初めてお互いの愛おしさを確かめ合った・・・。地面に生える瑞々しい草たちも、まさかこんな仕打ちを受けるとは思っていなかっただろう。俺たちは、苦しいほどの草いきれのただ中で、心の底から笑いあっていた・・・。
「いてて・・・オッサン、ちょっとは手加減しろよぉ・・・!!」
「お前はいつも、しゃべりかたからして小賢しいんだ!口ごたえができるくらいだったら、大してこたえてるはずなかろう。」
「ひでー、その偉そうなのやめてくれよな!セクハラオヤジのくせにっ!!」
「そのオヤジというのは、やめんか!!」
ああ、うるさい。それに、アーロンは微妙につっこむべきところを間違えている。彼らは、何だか異常に照れくさいらしく、いつもにまして丁々発止を続けている。
「あーもう!らちあかないっス!!も、いい。そこの湖で、ひと泳ぎしてくるっス!」
彼は、その一糸纏わぬ姿のまま、湖に向かって駆け出していく。均整のとれた、しなやかな彼の体躯は、やわらかな光に照らされて、それ自体が輝きを発していた。
(古い神話で神に愛された少年とは、このような子だったんだろうか?)
アーロンは、目を細めて彼を見る。少年は水の中で自分を自在に操り、生き生きと泳いでいる。光が水しぶきに反射して、輝きが目に痛いほどだ。
ブラスカが言った『幻日』は、太陽の見せる一時のいたずらであった。
この太陽のような少年も、不安になることもある。唯一絶対の、完璧な存在ではなく、時には迷いも見せる存在。完璧でないからこそ、それを愛おしく思える。
(お互いに完璧な人間でないからこそ、一緒にいよう・・・。)
彼は素直に、そう思っていた。
ティーダは湖から上がって来ると、服を着てアーロンの傍にごろんと寝転んだ。アーロンは先ほどから草の生えた地面に身を任せ、湖から吹く清浄な風を受けながら横になっていた。二人はそのまましばらく寄り添って、大の字になって寝転がっていた。
「穏やかな、一日っスねえ・・・。」
アーロンは、聞こえているんだかいないんだか、そのままの表情を崩すことはなかった。
・・・しばらくして、日も高く上る時刻。
午後のひととき。しかし二人は、出かける身支度を始めていた。さっきから急に、雲が厚く暗くなりはじめている。これではそのうち、雨が降ってきそうだ。それならなおさら、夜になってから移動するわけにはいかない。安全のためにも、早く森を抜け出したいのだ。仲間達も、さぞかし心配しているだろう。
彼らの次の目的地は、小高い崖のある所だ。あそこからなら、森の大部分が見渡せる。もしかしたら、森から抜け出す情報を得られるかもしれない。そう考えると彼らは、その崖に向かって歩き始めた。
夕方になって、雨は少しずつ降り出した。まだぽつぽつといった具合だが、このままでは強くなりそうだ。幸い目的地の崖のすぐ近くに、少し広めの洞窟があったので、その夜はそこで休むことにした。
雨は、二人が眠りに入ってからもずっと降り続け、それはしとしとと朝まで続いた。アーロンが朝起きてもまだ降り続けていたので、そのままティーダを眠らせておくことにした。やがてティーダが自然に目を覚ますと、時を同じくらいにして雨が上がった。雲間から日の光が滲んでいるのを見て、二人は状況を確認しようと、崖に近づいていく。
その短い間に、雲の途切れた部分に太陽がかかった。とたんに、地上にまぶしい日の光が差しこんだ。そして二人はそのとき、言葉を失った・・・。
「あー!!!虹、オッサンオッサン、見て虹だよ!」
「ああ・・・こんなのは、俺だって初めて見るな・・・!」
そこには、濃く大きな虹の橋がかかっていた。しかしそこにあったのは、ただの虹ではなかった。なんと、大きな虹の中にまた一つ、そしてもう一つ虹がかかっていたのだ。
「三重の、虹か・・・!!」
ごくまれに、こういう現象があるのだと、十年前に三人で「月の虹」を見た時に、ブラスカに教わった。俺もジェクトも当然見たこともなく、半信半疑であったのだが、今こうして見てみると、その美しさと荘厳さにただただ圧倒される。
「キレイっす・・・ねえ・・・。」
少年が、言葉を漏らす。二人とも、そのまま長い時間それを見つめていた・・・。
虹が消えても二人ともしばらく興奮が収まらなかったが、アーロンのほうがさすがに早く冷静になる。彼は、飛び跳ねている少年を尻目に、崖から自分達の位置を測ろうとした。
「・・・おい・・・。」
彼は、ため息をつきながら、ティーダに言った。
「俺達はずっと、こんな出口の近くで迷っていたのか・・・。」
それは本当であった。彼らは、普通の人ならすぐにでも森の外に出られそうな位置を、今までぐるぐると迷っていたのである・・・。
さすがにその後、二人は他の仲間達にこっぴどく叱られた。もっとも、アーロンを叱れる人間はいないので、ティーダにそれが集中したが、アーロンの「すまん・・・」という素直な謝罪に、皆恐れ入ってそれ以上の追及はされなかった。
(アーロンさんがついていて迷うのだから、二人とも大変だったんだろう。)
と勝手に推測された。皆はアーロンの方向オンチを知らないし、イメージというものからそう思い込んでしまったのだ。
(あーあー・・・アーロンって、こういうとき得だよなー・・・。)
ティーダは皆に叱られて、一人ぶーたれていた。まあ、しかし今回はもとはといえば自分が原因であるので、そのまま黙っていることにしたが。
アーロンは、ティーダに軽く目配せをする。ティーダも、目でそれを返す。彼らは表情ではなしに、心の中で笑いあっていた。ふたりの前途は、決してたやすいものではない。しかし、きっと大丈夫だろうと思う。
なぜなら・・・日の光が見せてくれた祝福の魔術は、そんなにたやすく消えるものではないからだ。
(おわり) |