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少年は、しばらくその道を歩く。・・・これは、結構な長さの道だ。たぶん、優に寺院の外に出ているだろう。一体、何のためにこんな道があるのか?そして、こんなものを、一体誰が作ったのか?アーロンはそこはかとない不気味さを感じ、ぶるっと軽く震えた。
しばらく歩くと、入り口と同じように行き止まりとなっている場所に来た。見ると、天井には先ほどと同じような扉がある。彼はランタンを床に置き、その扉に手をかけて、中からゆっくりと押し上げた。扉は、意外なほどあっけなく外に開いた。
アーロンは、扉の奥から身を出すと、周りを呆然と見渡した。
・・・何と、言ったらいいのか。辺りには、美しい花々が咲いている。月光に照らされ、薄い花びらが夜風にそよいでいる。彼は、その花たちに誘われるように足を踏み出した。
そこは見渡す限り一面の、花畑。
(何てことだ!これじゃあケシの、畑だ!)
彼が見たものは、一面に広がる薄橙色。しかし、この群生具合は自然なものではない。これは明らかに、人為的なものであった。彼はほんの一瞬、そこに立ち尽くしていた。
だがその瞬間、同時に少年の背筋に冷たい予感が走った。
とっさに、持ち前の反射神経で身をかわす。同時に聞こえる、空を切る音。
「ぐあっ!?」
少年は突然の焼けるような痛みに、思わず悲鳴を挙げた。だがそんな少年をあざ笑うかのように、空を切る音が次々と少年を襲った。
彼は剣士としてレベルの高い訓練を積んでいたから、その襲ってくるものをぎりぎりで何とかかわすことができた。彼はひらりと身を翻し、先ほどの穴に身を潜めると、中から急いで鍵をかけた。同時に、扉にはいくつかの音が鳴り響いた。
少年は、息を荒げて自分の左腕に右手を添える。彼の二の腕には、大きな矢が刺さり、左腕は鮮血に染まっていた。
「くっ・・・!」彼は、腕を押さえながら、来た道を急いで引き返しはじめた。彼の左手の指先からはぽたぽたと血が流れ、点となって彼の足取りを記していた。
(早く・・・ブラスカ様に、知らせなきゃ・・・)
彼は、痛みで痺れる腕を右手で庇いながら走り、もと来た入り口の部分に戻ってきていた。彼は、はあはあと息を切らせながら、右手で扉を押し上げようとする。と、同時に少年の全身から、驚きで力が抜けていった。
(・・・どうして?鍵が外からかけられてる!開かない、開かない!!)
彼は、右手に精一杯の力を込めて扉を叩く。しかし、扉はびくともしない。両手が使えたら、まだ何とかなったかもしれない。しかし、彼は大怪我を負っていた。出血は止まる様子もなく、半身の痺れはひどくなっていた。
・・・浅はか、であった。
彼は、完全に敵の罠にはめられていたのである。ついこの前、あの袋を少年に見つけられた奴らが、油断しているはずなかったのだ。少年は暗闇の中で恐怖に涙しながら、心の中で叫んでいた。
(う・・・ううう・・・ブラスカ様、助けて・・・!)
彼はよるべない天涯孤独の身であり、こんな時に助けを呼ぶ相手は、ブラスカしか知らなかったのだ。しかし、彼が今動けないことは少年自身よく知っていた。だからこそ、自分でなんとか解決しようとしたのに、少年は却って窮地に立たされてしまっていた。
・・・意識が・・・混沌としていく・・・。
少年は、洞窟の壁を見つめたり、左腕の傷の状態を確かめたり、自分の短慮さを自分で責めたりした。しかしここでは、他にすることなど何も、なかった。
ただ、狭い空間が迫ってきては、少年を押しつぶす幻影が繰り返しで見える。彼は滲み出てくる血を止める術を知らないまま、長い時間に身を任せるしかなかった・・・。
そのまま何もできずに、おそらく2日ほどが過ぎただろうか?
少年は、自分の生命力が激しく磨耗していることを感じていた。犯人一派にとっては、簡単なことだった。2・3日取引を止めて、少年をここに閉じ込めておけば、空腹と恐怖だけでかなり弱ってくるはずだ。ましてやこんな大怪我を負っていれば、いくら天才的な剣技の持ち主でもひとたまりもない。
もはや彼の左手には血がこびりつき、乾いて固まっていた。早く矢を引き抜かないと一生抜けなくなってしまうかもしれないが、今無理に引き抜けば出血で死んでしまう可能性のほうが高かった。
彼は、もはや意識も時々朦朧としている。ああ、僕はもうここから抜け出せないのか・・・という考えが何回も頭によぎる。次に、あの扉が開かれるのは犯人達によってだろう。そして私は、抵抗もできないまま葬られる・・・。彼は、その絶望感だけで激しく憔悴していた。
しばらくそんなことを考えていた時、急に上が騒がしくなった。複数の男性の声が交錯している様子だ。ああ、ついにこの時が来てしまったのかと、彼は悟った。
彼は、自分の意識が薄れていくのを感じていた。抵抗する気力も体力もとうになくなっていたので、緊張の糸が切れたのだ。やっと、楽になれる・・・。それを最後に、少年は急速に頭の中に靄がかかり、何も考えることができなくなっていく・・・。
その薄靄の中で、彼はやさしい声を聞いた気がした。
「お帰り、アーロン・・・」と・・・。
意識が、闇にまみれていく。
アーロンは、ゆっくりと目を開いた。なぜか、目の先には白い天井がある。天国にしては、かなり殺風景だ。
「やあ、お目覚めかい、アーロン?」
少年は、聞き覚えのある柔らかな声を耳にした。相手は、繊細な美貌をあたたかに緩ませながら、ひどく嬉しそうに少年に向かって微笑んできた。
「ブラスカ・・・様?」
何ということか。こんなところでブラスカ様に会えるなんて。彼の視界は、幻想的にブラスカの輪郭を滲ませた。安心して、涙が出たのだ。なんと自分はまだ、生きていた。
アーロンが目を覚ましたのは、とある最高位に近い僧の部屋であった。その僧専用の救護室で、お抱えの医師とブラスカに見守られ、意識を回復したのだ。
「いや、矢傷からの出血で危ないところでしたが、この子は異常に回復が早い。」
医師は、そう言った。そしてそれに加えて、ブラスカが薬を調合し、少年を看病してくれたことも教えてくれた。
「ここは、古い知り合いの部屋でね・・・。君のことを話したら、協力してくれたんだ。君が行方不明になった時には、さすがに焦ったけれど、もしかしたら・・・と思ってね。」
「ごめんなさい・・・ブラスカ様。事態を甘く見すぎていました・・・。」
「べつに、謝ることはないさ。僕だって、この事件と無関係ではいられないんだから。この部屋の主は、ご存知の通りかなり高位の僧だ。でも彼も、命を狙われていたんだよ。金属製のワイングラスや料理用の鍋が、鉛製のものに変えられていたんだ・・・。鉛は、少しずつ体に溜まって、心の病気を引き起こすんだよ。」
アーロンは、なにか悔しくてその唇をきゅ、っと結ぶ。相手にしていたのは、そんな大それたことをするような奴らだったのか。彼は改めて自分の無謀さを思い知らされ、手をぎゅっと握り、悔し涙をシーツに落とした。彼はそこで初めて左手が思ったほど酷い状態になっていないことに気がついた。痛いが、動きはするのですぐに回復するだろう。
ブラスカは少年のそんな様子を見て、口の端でふふ、とほほえんだ。
「ところで僕のほうもいろいろ調べたんだがね・・・狙われたこの部屋の主と、勢力を争っている僧がいるらしい。それは私を呼びつけ、君から引き離した奴でもあるんだよ。」
ブラスカは、その僧の名前を言う。アーロンは、吃驚して声を荒げて言った。
「麻薬の取引をしていた男は、その男の補佐役です!冷たい三白眼をした男です!」
「ほう・・・あいつか。二つの事件は、やはり関係があったんだね。・・・アーロン、君、それを皆の前で証言できるかい?」
ブラスカは曇りのない笑顔のまま、アーロンに楽しげに問いかけた。
「さあ、それなら数日後が楽しみだね!」
ブラスカは、彼にしては珍しいほどに、弾んだ声で快活にそう言った。
(さて・・・いつ、どうやって奴らを追い詰めてあげようか・・・?)
ブラスカは、その夜アーロンを寝かしつけてから一人で考えていた。繊細で細い指を白い額に当てて、椅子にけだるそうに座っている。
(相手も・・・ばかじゃあないだろうしね。何としてもやっかいなのは、彼らになまじの権力があることだ。・・・下手に問い詰めれば、僕たち二人そろって葬られかねない。いざとなったら、僕たちを助ける人間はいないと思っておいたほうがいいだろうね。)
それが、誰にとっても一番楽な事態処理法だからだ。
(何か、演出を考えないとねえ・・・)
彼はふと、すぐ横のベッドでかわいい寝息を立てている少年を見た。彼はまだ成長過程の時期にあり、ガラス細工の人形のようなかわいらしさを持っていた。それはあと2・3年すれば失われてしまうであろう、絶妙なバランスによる美であった。
(それにしても、君は一生懸命がんばったじゃあないか・・・。まあ、あまり役に立ったわけではないんだけど。でも君は、このままその純粋さと生真面目さを永遠に保ったまま、一生を過ごしていく気がするよ・・・。)
彼はゆっくりと立ち上がって少年の顔を覗き込むと、そのかわいらしい額に桜色のうすい唇で触れた。顔を近づけると、少年のつややかな黒髪はやわらかな香りを発していた。彼は、その髪を手に取ると、それにも口を寄せ、軽く匂いを味わっていた。
その後しばらく経ってから、ブラスカは少年の部屋の灯りを静かに消し、自分の部屋に戻っていったのだった・・・。彼が少年に対して、ここに書いてあるより何か他の事をしているか、していないか。そんなことを詮索するのは、野暮だというものだろう・・・。
その数日後、まっ昼間から寺院は上を下への大混乱をきたしていた。何事かというと、いつも空に浮かんでいるゆるぎのない存在のはずの太陽に異変が起こっていたのだ。
「シンの来襲を告げている」「天変地異の前触れだ」「世界戦争が始まるしるしだ」と、僧たちは皆混乱していた。不吉なことが、起こったのだ。生まれてからこのかた今まで、太陽は一つに見えることが常識であり変わらぬ真理であった。
しかし今日は、その「常識」は木っ端みじんに砕かれていた。太陽がさきほどから急に、三つに見え始めたのだ。大きな太陽がまず真ん中にあり、そのまわりに小さな太陽が二つとりまいていた。それは誰が見ても異常な印象を与えていたのだ。中には、故郷に逃げ出そうとしている僧もおり、我先にと走り出すものも多くいた。
「ブ・・・ブラスカ様!あれは一体、何なのですか?」
少年は、見たことも聞いたこともない現象に激しく驚愕し、怯えてブラスカの裾にまとわりついていた。
「アーロン、安心なさい。それよりも、こんな幸運なことはないよ。あいつらを追い詰める、最高のチャンスだ!」
「こんな時にですか・・・?」
「こんな時、だからこそだ。君は、見たことを証言してくれればいい。大丈夫、何も悪いことは起こらない。僕を、信じるんだアーロン。」
アーロン少年はこくん、とうなずくとやや青白くなった顔で、早足で歩くブラスカの横顔を見つめながら一生懸命彼についていく。彼は、ひときわ人だかりのしている門の部分に歩いていくと、ぴたと足を止めた。そこではやはり、混乱と興奮が渦巻いていた。
ブラスカは、静かに息を吸うと、凛と響く大きな声で口上を述べる。
「鎮まりなさい、皆さん!この現象は、皆の命を奪うようなものではありません。不吉の前触れでもなどでもありません!」
一斉に、皆がブラスカのほうを振り返る。皆一様に不安と困惑の表情を浮かべ、いきなり大声を発した、華奢で色白の一介の僧を見つめた。彼は余裕すら持っている様子で微笑をたたえながら、次の言葉を吐いた。
「皆さん、エボンの神は皆さんに怒っているのではありません。安心してください。だから、あれは時間がたてばすぐ消えます。何も悪いことは起こりません・・・。」
そこまで言って人の興味をひきつけると、彼はそこで、一瞬間を置いた。そして急に表情を険しくすると、一気に言葉をまくし立てていく。
「天は皆さんではなく、この僧院内における不祥事について怒っておられるのです!『清浄であるべき、神に仕える者達が罪を犯すのを許しはしない』とお怒りです。皆さん、その証拠にこれは寺院の中からは見えても、少し遠くの村ではまったく見えていないはず!それはとりもなおさず、この寺院内に怒りが向けられていることを示しています!」
彼は、いつも温厚な表情を浮かべ、人当たりのよい口調で話す人間であった。しかし、こういう人間こそが逆に、土壇場で凛とした存在感を示すものだ。実際、今は誰もが彼の口上に耳を傾け、誰も口を挟む者もなく、その場は痛いほどしんとしていた。
「私とこのアーロンは、今までそのことに関して調査を進めてきました。すると、寺院の中では、麻薬が組織的に流通していることがわかったのです!人を狂わせ、死をもたらす悪魔の薬を、私利私欲のために扱っている人間が、寺院内にいます。なおかつその獣どもは、この無力な少年に毒を盛り、無残にも怪我を負わせ、殺そうとまでしました!私たちはその証拠をつかんでいるだけではなく、証人まで持っているのです。」
彼は、アーロンに軽く目配せすると、にっこりと微笑んだ。少年は、今こそ自分の出番なのだということを感じ取った。
「私は・・・そいつらに、腕に矢を射かけられました。そしてその状態で、何日か暗い穴倉に閉じ込められていました。彼らは、私に取引の現場と、ケシの花を栽培しているところを見られたので、私を葬ろうとしたのです。」
少年は、そこにいる者たちに、血の滲んだ包帯を巻いた腕を見せた。
ブラスカが、横でにっこりと微笑している気配がうかがえた。どうやら私は、言うべきことをうまく言えたらしい。
「さあ皆さん、私についてきて、手伝ってください。この忌々しい事件を起こした人間を捕まえて裁判にかけ、罰を与えることが我らの勤めです!その証拠に・・・ほら・・・」
彼はその細くたおやかな指を、太陽のほうに向けた。
「皆がやるべきことをすると信じて、天の怒りが収まったようです。」
太陽はいつのまにか、一つに戻っていた。
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