私とビートルズ及び「ビートルズ千一夜」スタートに向けて私の熱い思い並びにそのコンセプト
(な、長い・・・(-.-;)y-~~~)

私は1952年に埼玉県の浦和市に生まれました。小学校の終わりの頃、父の転勤のために名古屋へ引っ越しました。
名古屋で最初に友達になったCozyの家で、初めてビートルズのレコードを聴いたのは確か1964年頃だと思います。小学校6年生の頃です。
もう35年も前の話で、私の記憶もCozyの記憶も定かではないのですが、たぶん「A Hard Day's Night/ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!」と「Things We Said Today/今日の誓い」のカップリング・シングルだったと思います。
もちろんCDではなく、れっきとした(?)ドーナツ盤のレコードです(笑)

それから30年以上もの間、いつもビートルズの音楽は私のそばにありました。
ちょっと距離が出来たり、意識して聴くようなことがない時期もありましたが、それは別にビートルズの音楽に飽きたとか、嫌になったとか、そういうことではありません。大げさかも知れませんが、ビートルズの音楽は今も私の血でもあり肉でもあります。そして、それは何も私に限ったことではありません。私の回りにはそのような人たちが何人もいます。
彼らが日頃からよく口にする共通した言葉があります。

「ビートルズはふいにラジオから流れてくるものが最高!」

ビートルズの音楽が自分の一部になってしまっているので、あらためてじっくり腰を据えて聴くようなことは意外と少ないのです。
ふいにラジオやテレビのスピーカーから流れてくるビートルズは実に新鮮です。
そしてそれはいつになっても変わることがありません。
マネージャーのブライアン・エプスタインが亡くなったあと、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人が設立した会社は、結局彼らの思うようにはならなかったけれど、彼らの歌声はいつ聴いても、あのレコード盤のラベルの、水滴がしたたったもぎたてのアップルのようにいつもみずみずしい。
35年たった今でも、どこかの山奥にこもって一切の文明と訣別でもしない限り、ビートルズのナンバーが耳に飛び込んでこない日はありません。ちょっと思い起こしてみて下さい。テレビのCMからスーパーマーケットのBGMに至るまで「今日は一度もビートルズの曲を耳にしなかったなぁ・・・」という日は、ほとんどないはずです。

これまた昔の話ですが、片岡義男だったか、誰だったか・・・「ビートルズが教えてくれた」というタイトルの本がありました。
私はその本を読んだことはないのですが、まさにその通りだと思います。とてもひとことやふたことでは表せないくらいたくさんのことを、ビートルズは教えてくれました。何もかもみんな、ビートルズが教えてくれた・・・。
つい最近、古くからの友人とチャットでビートルズの話題に触れていたとき、ふと思い立ちました。
「ビートルズに感想文を書かなきゃ・・・」と。
もらってばかりでいるわけにはいきません。
「64」歳までにはまだ何年もあるけれど、自分なりに「何が起こったか」「何を感じたのか」「何がわかったか」「何がまだわからないのか」というようなことをまとめてみたいと思います。
もちろんそれにはみなさんのリトルヘルプが必要です。

そんなわけで、ここに千一夜か、あるいはそれ以上の歳月をかけて、ビートルズに対する感想文を綴って行こうと思います。

開設準備にあたって、いくつかのビートルズ関連ページを見てまわったのですが、データベース中心のものが多く、主観的な色彩を帯びたものが意外に少ないことに気づきました。
子どもや英語の不得意な人のために、タイトルを日本語で紹介しているサイトも意外と少ないですね。
常々仲間には言っていることですが、私はビートルズについて「何を知っているか」ということにはそれほど興味を感じません。
むしろビートルズを聴いた人たちに聞きたいのは

「・・・それで、その曲を聴いてあなたはどんなことを感じましたか?」

ということです。つまりビートルズについて「何を知っているか」ではなく「何を感じたか」だと思うのです。

私に私のビートルズがあるように、あなたにはあなたの、みんなにはみんなの、無数のビートルズがあるはずです。
それをそれこそ千一夜かけて、出来るだけたくさんの人たちと語り合いたいと思います。

以上が「ビートルズ千一夜」をスタートしたきっかけです。

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