絶体絶命日記    2010.1 

律動の月22日。

1月4日。

 

それにしても本当に絶対絶命になったのだ。

全部なくした。

 

何もない。

 

 

 

2012年12月までは頑張る。

 

1月26日から日本語教師なるため学校に通う。

それが7月に終わる。

 

それから10月の日本語教育能力検定 に向けて最後の徹底勉強。

12月に発表あるので、それから就職活動。

420時間の勉強と検定合格。

この二つで仕事を探す。

1年が限度だろう。

それでだめなら死のう。

 

これ以上は無理だ。

他の人とは違う。

頑張りとおせることは無理。

結局生きていても辛いばかりだ。

理不尽。

あり得ない。

あり得ないことが起こるのだこの世界だ。

 

信じられないことが起こる。

頑張りきれない。

その意味もない。

 

 

ただもしも大峠、アセンションが起きるのなら、それも見てみたい。

2012.12.

ここまでは生きてみよう。

 

それにしても自分がこんな目にあい生きていかなくてはならないなんて、思いもしなかった。

ほんとに思いもしなかった。

 

いまだに信じられない。

悪い夢を見ているような気がする。

あれは間違いだったと言われ、全部元に戻れる気がしている。

 

そしてそんなことはないのだ。

地獄の毎日だ。

気でも狂ってくれて、意識も記憶もなくなってくれればいい。

 

だがそれもない。

こんな人生を送らなくてはならないなんて思ってもいなかった。

くそだ。

 

 

律動の月25日。

1月7日。

 

確かに人とは違っている。

いい意味でも悪い意味でも。

人と同じ人生は歩めないのだろう。

実際そうなっている。

 

もういいから、バカになって適当に何もかもやってしまえばいいのだ。

何も考えなくていいからその場の反応に任せる。

感応する。

 

後先は見ない。

その場その時に集中する。

良いも悪いもない。

出来不出来もない。

 

その場に反応する。

そのためにはいつも臨戦態勢に入っておく。

いつもだ。

笑われる。馬鹿にされる。

 

それで行こう。

もう失うものはないのだ。

失うことを恐れるほどの人間ではない。

そんな立派な人間ではなかったのだ。

普通にやって普通の結果に普通に満足していけばいい。

何かをなしえる人ではなかったのだ。

それどころか、まったく逆の人生を歩いていく側の人間だったのだ。

 

その場その場に従う。

その場その場で白黒をつけていく。

良いも悪いもない。出来不出来もないのだ。

その場その場で白黒をつけていく。

恥も外聞もないのだ。

そんなことを気にするほどの人間ではなかったのだ。

くずはくずらしく。

 

 

律動の月26日

1月8日

 

自分の最後のチャレンジと日本とを重ねる。

自分の人生と日本とを重ね合わせる。

そうすることで、自分の人生に意味を持たせ、忍耐の意味と価値を無理やり作る。

 

例えば政権交代。

アメリカからの独立。

 

基地を日本から出す。

そして自主武装ではなく、非武装。

 

今や戦争は資本主義のための方策。

だからそのシステムからの離脱。

 

ソ連が消え、ロシアの日本侵略はない。

残りは北朝鮮だが、国力、国状を考えても侵略はありえない。

つまり敵はいないのだ。

 

アメリカ高官がアメリカと自衛隊がなくなって日本人は安心して夜眠ることが出来るのか、と普天間問題に関し言ったが、ずいぶんと時代遅れの高慢な言葉だった。

 

戦争は儲からない。

それが今共通認識になりつつある。

と思う。

 

勝者と敗者がはっきりと別れれば儲かるシステムは作動する。

勝てば搾取が出来、負ければ搾取される安定がある。

 

 

だが今のようにテロが戦いの中心になれば明確な勝者と敗者は生まれない。

勝者と思われる側はたえず永遠に続くと思われるどこからともなく行われる自爆テロにおびえ、敗者は自爆の誇りを支えに勝者を攻撃し続ける。

 

戦争の終わりがないのだ。

終われない戦争。

どこまでも続く戦争。

 

 

だから勝者も敗者も生まれない。

ソ連が消えアメリカが消える。

支配する者支配される者搾取する者される者、それが消える。

 

自主独立。

自己の責任において、それぞれが、生きる。

互いを見合い、互いを生かすことが自分を生かす。

勝ち負けではない、相手の勝ちがこちらの勝ち、こちらの勝ちが相手の勝ち。

 

簡単な話だ。

一方が買って金持ちになって、他方が負けて貧乏になれば、買った金持ちは商売は出来ない。貧乏人相手に商売は成り立たない。

 

共に潤う状態を続けていかなければシステムは回っていかないのだ。

勝った側は負けた側に勝った分だけ返す。

でなければ儲からない。

勝ち組と負け組が出た時点で双方が負ける。

 

だから新しいシステムが必要になる。

そんな時代がこれから必要になる。

 

新しい世界だ。

 

共存。

そのための旧システムとの戦い。

そんな人間の歴史の最後の戦いがこれから始まる。

その戦いがこの日本ではロシアや欧米、アフリカ、アジアとは違う様相を見せる。

 

戦後65年続いた平和ボケがそれだ。

平和ボケ。

しかしだからこそこの日本でのチェンジが意味を持つ。

チェンジの意味が際立つのだ。

何も知らないお坊ちゃんだからこそ、新しく正しいものへの進み方が際立つ。

 

あの日本が動いた。

あの日本は、どうにもならないボケボケの痴れ者だ。何があってただ笑っているだけ。あれが動いた。ならば本当だ。本当に動くことが正しい。あの日本が動いたのだから。

 

 

そして実は日本は痴れ者でもお坊ちゃんでもない。

ないのだ。

 

 

これからの2年が、日本の動きが世界を救う。

そんな誇大妄想に自分のこれから2年間の人生を重ねる。

 

でないと生きていけない。

生きていけない。

僕は痴れ者でもお坊ちゃんでもない。

僕の動きが日本を変え、世界を変える。

そう思うのだ。思い込むのだ。そうすれば些細な恥や笑いは気にはならない。堪える事ができる。きっとできる。

 

そうでもしないと堪えきれない。死にたい。死にたい。3万人の中に入りたい。

 

 

共振の月1日

1月11日。

 

学校に行くようになればきっと少しは展開は変わるだろう。

一日中一人でいるから悪いことばかり考える。

一人でネットとかしていれば、馬鹿な事ばかり考える。

 

ネットには悪意と放棄と復讐ばかりが際限なくだらだらとどこまでも続いている。

 

そしてそれにどっぷりとつかる。

 

 

早く学校に行って、若い奴らから馬鹿にされて、へえこらやりながら一生懸命勉強するのだ。

そうすれば現実に留まっていられる。

 

手の内を全部見せて、恥ずかしげもなく、オープンにやっていくのだ。

何も隠し立てせず、笑われて笑われて、新しく展開していくのだ。

 

 

開いていくのだ。

陽を当てていくのだ。

場に感応していくのだ。

身に起きていることすべてに敏感になるのだ;。

 

よく耳を澄まし、よく見、顔を上げ、背筋を伸ばすのだ。

思ったことは何も考えず、口にするのだ。

馬鹿にされるのだ。

馬鹿にされてナンボの仕事なのだ。

 

そしてそれも7月には終わる。

終わってしまうのだ。

続けたくても終わるのだ。

 

だから丁寧に大事に一日一日を過ごす。

この年になってそう思う。

人生には失敗したのだ。

 

もう誰とも出会わないし、これからも一人だろう。

これも何かの報いなのだ。

すべて自分が呼んだ。

自分が招いたことなのだから。

 

だから7月終わりまでは、すべて周りに任す。

僕は感応するだけ。

 

注意深く、感応する。

 

 

いつも忘れる。

いつも忘れるから、今度が最後のチャンスなのだ。

注意深く、感応する。

 

 

共振の月7日

1月17日。

 

期待しない。

望まない。

 

いいことはない。

悪いことは突然、徹底的に起こる。

 

 

望まない。

望まない。

今、ここだけに集中する。

ここだけ。

 

共振の月8日

1月18日。

 

期待しない。

望まない。

今の目の前にあること、今目の前の時間、今いるところ。

それがすべてだ。

 

誰も助けてくれない。

実際誰も助けてくれなかった。

 

酒は控えたい。

だが今も飲みながら書いている。

 

しょうがないだろう。

他の人とは違う。

ぼろぼろだ。

普通なら自殺している。

死んで正解だ。

 

 

俺が何をした。

そんなにとんでもない事をしたのか。

 

謙虚に自分は見つめたい。

そして見つめている。

毎日が地獄だ。

 

それがこれからも続く。

それほどのことか。

そんな事をしたか。

 

していないと思う。

思っている。

だがもう遅い。

 

死にたい。

生きていたくない。

そんなところではない、ここは。

ここはそんな所ではない。

生きて価値あるところ、生きていて正しいところではない。

理不尽極まるところだ。

 

 

 

 

だが、きっと、そんな理不尽極まる人生を多くの人が生き死んでいったのだろう。

きっとそんな人はたくさんいたのだろう。

何も言わずに、黙って涙をため、浮かべ死んでいった人も数多くいたのだろう。

そう信じて、生きていく。生きていくのだろう。

 

誰にも何も期待しない。

自分自身にも期待しない。

今日目の前にあることを、できる限りの範囲で、やる。

できて喜びもできなくてがっかりもしない。

 

神様も信じない。

お祈りもしない。

感謝もしない。

 

これがきっと大事なことなのだろう。

神様にも誰かにも、お祈りもしないし感謝もしない。

 

ふざけるな。

 

信じない。

ただ職人のように、具体的な目の前の仕事にだけすべてを集中をする職人、そんな職人になる。

人生の職人。

それだ。

誰にも感謝も期待も祈りもしない。

できるできないも関係ない。

できた事はできたこと、できなかった事はできなかったこと。

 

喜びも落胆もしない。

ただ目の前のしなければならないことに全力を尽くす。

 

できなくても落胆などしない。

落胆するほど、自分には力はなかったのだ。

あると思っているから落胆する。

 

馬鹿は馬鹿なりに一生懸命やっていくしかないのだ。

だめなものはだめ。

それを正そうとか、反省などしてもしょうがない。

駄目な馬鹿は駄目な馬鹿として続けていく。

 

反省も落胆もいらない。

 

反省も落胆もしない。

平気な顔して続きていく。

 

別に酒を飲みながら書いていても、授業に出てもいいのだ。

いいのだよ。

人と会うのが怖いし辛い。

だったら酒飲んで、リラックするして会えばいいのだ。

 

反省も落胆もいらない。

他の人のルールに従うことない。

 

さあ、まだ昼まで時間はある。

勉強だ。

勉強だ。

 

 

共振の月16日

1月25日

 

場の感応。

場への感応。

 

反省も取り越し苦労もしない。

 

特に取り越し苦労だ。

取り越し苦労をしない。

 

反省杞憂をしない。

 

 

共振の月17日

1月26日

 

大丈夫だ。

欝になど落ち込まない。

心配しなくていい。

 

いい、クラスだ。

悪い気は流れていない。

むしろ助けてくれる気だ。

 

もっと大きく任せてしまえ。

欝になど落ちては行かない。

 

 

共振の月21日

1月30日。

 

もっともっと平気でものを言う。

計算や予想や心配などせず、平気にものを言う。

 

視線や人の気配が重い。

体が小さくなっていく。縮んでいく。

縮んで息ができなくなっていく。

息苦しくなっていく。

頭がボーとなって行く。

胸の上半分が小さく狭まり、息はそこを通過していかない。

苦しくなる。

教室ではそんな感じが10分に一度ある。

深呼吸をして乗り切る。

 

 

 

6ヶ月しかない。

6ヶ月しかないのだ。

来週からはもっとへらへらやっていく。

 

頭がすっきりなってほしい。

1時から3時。

一番眠い時に授業だ。

集中力で乗り切る。

ということはできない。

それを超える眠気と頭の痛さだ。

何とかなってほしい。

 

ほんとに何とかなってほしいのだ。