絶体絶命日記 2009.6     

 6月7日

 

6時45分起床。

7時からラジオ英会話。

7時15分から8時まで英語リスリング。

8時から9時朝食。

9時から11時まで勉強。

11時から1時まで買い物、昼食。

1時から3時まで勉強。

3時から4時、昼ね。

4時半から6時までトレーニング。

 6時から8時、風呂、夕食。

8時から9時半。勉強。

9時半から12時半。ラジオ、テレビ英会話。

1時就寝。

 

 勉強は、漢字、日本語、英語。

漢検準1級、日本語教育能力検定、英検準1級をとる為の勉強。

 

最低1日8時間の勉強。

1時間半のマラソントレーニング。

 

働いていないのだから時間は好きに使い放題。理想の日々。

といって、すべてを犠牲にしての毎日。

 

いいだろう。

これ以上ない最悪の日々を経験しての今日。

今日なのだ。すべてを失くした。

失くしての理想の1日だ。

 

やりたい勉強、日本語、英語、文学、ができている。

これで来年日本語教師になっていれば、こんな素敵は日々は、54年の人生の中で初めてだったと笑いながら言えるだろう。

 

 

毎日を必死に。

毎日を必死に生きていけるのは、実は楽でいい。

何をしていいのかわからない、していることが実感できない、していることの意味が確信できない、ということと比べれば、はるかにいい。

ここまで追い込まれてしまえば、ああだこうだと心に突込みがくることもない。

やるしかないのだ。

 

でないと生きていけない。

10月、日本語教育能力検定に合格しないことにはそこで終わる。

終わるのだ。

おしまい。

 

だから必死になるしかない。

でも必死になれるのはいい。

 

6月8日

 

日曜日は英検2級のテスト。

過去問では筆記は問題ない。長文問題もまあ大丈夫。

そりゃあ2級なんだから、何とかなるだろう。と思う。

それなりに4月からラジオ講座テレビ講座の全てを続けている。

 

問題はリスニング。

これが過去問では6割程度だ。

なかなか聞き取れない。

 

それにしてもこれまで40年以上、英語は勉強し続けてきた。大学を出てからも、通信教育でずっと英語はやってきた。

アルクのヒアリングマラソンなんか、2回やって2回挫折したし、それで中級ヒアリングマラソンもそれでやったし、ボキャビルもコエダスもリーディングもキクタンもやった。

それでもものにならなかった。

ならなかったのだ。

 

それで英語耳を作るというので、リズムもメロディもない訳のわからない音楽や、低周波高周波の乱れうち、音の渦の塊の入ったCDを1時間ヘッドフォンで聞き続けるということもやった。

 

1時間を2週間毎日聞くのだ。

それで耳の構造が変わり、もともと日本人には聞こえない英語の周波数が聞こえるようになるというのだ。

変化はなかった。

3万円した。

 

また英語の勉強を始めている。

そして今回は必要に迫られている。

1級までは必要なのだ。と思っている。

日本語を外人に教えるとき、英語ができたほうがいいと思うからだ。

 

だから必死に聞き取ろうとラジオにテレビとがんばっている。

しかしなかなか聞き取れない。

2級の英検のリスニングも危ないのだ。

 

日曜日。

チャレンジ。

2級は1回で取らないとだめだ。

10月で準1級の1次をとる。

必死必死。

必死にやるしか道がないのだ。未来がないのだ。

ほんとに未来がない。

ないのだ。

 

6月13日。

 

この先どうなるのだ俺の人生。

職をなくし、過去の蓄積をなくし、未来をなくし、みんないなくなった。

 

すべてをリセットして、やり直し、新しく作り直さなければならない。

 

作り直せるのか。

それほどの冷静さがあるのか。

 

それほどの、それほどの、何かがあるのか。

 

 

ないだろ。

あるはずがない。そんな立派な、いやそれほど普通の人間じゃない。

 

 

普通なら、もうずいぶん前に切れて、折れて、死んでいるか、何かして捕まっているだろう。

 

当たり前の状況にはいないんだ。

あと2年だ。

それ以上は持たない。

持たす気もない。

 

ここまで屑の人生か。

 

6月14日

 

横浜YMCAで英検2級を受験。

読解はできたと思う。必死でやったので、時間が余った。

そこでリスニングの選択肢の問題に目を通した。

それなりに余裕の対応だ。

 

だが実際リスニングが始まると、やはり、厳しい。

半分だ。わかるのは。

あせるあせる。

 

 

聞き取りだ。問題は聞き取りだ。

所々聞き取れたから、あとは勘で、選ぶ。

勘で選ぶのは、テストだからできるのであって、本当の会話の場面ではあってはいけないことだ。

合格のための聞き取り。

本当の力ではない。

 

 

 

 

 

それほど間違ってはいないと思う。

多分受かってると思う。(落ちてたら、死んでやる。)

 

 

 

聞き取りだ。やらなければならないのは、聞き取りの練習。

リスニングのトレーニング。

こいつを必死でやるのだ。

 

相手の言ってる事がわからなかったら、話は始まらない。

ぼくには相手に言いたいことなどない。

あっても別にいう気はない。黙っている。

 

ただ、相手が何を言っているのかは、わかっていたい。

相手は何を考えているのかはわかっていたい。

 

そういうことだ。

 

だから、聞き取りのトレーニングを続ける。

とりあえず、NHKのテレビとラジオ講座を100%使う。

しっかり使う。

 

 

6月17日

恨むまい、恨むまい。

恨む時間があったら、勉強しよう。

日本語能力検定試験に受かることに全てを集中しよう。

 

 

もともとおかしいのだ。

はめられた可能性もある。最初から狙われた可能性があるのだ。

そして実際まだそれは続いている。

執拗に狙われている。

金の執拗な請求。

信じられない悪意が平然と後ろをついてくる。

 

 

すべてを失った。

普通に考えても、とんでもない不幸だ。

ほかの誰かが不幸になったのではない。

この俺が、そうなった。

しかもまだ終わっていない。

 

でも恨まない。

時は取り戻せないから。

恨むまい。

恨めば時が止まり、恨みは重なり、重なり、淀み、濁り、全ては逆さまに渦巻き終わらない終わりへと突っ走っていくばかりだ。

 

勉強しよう。

日本語教師になる。

言葉だ。

 

アジアと日本とを結ぶ。

人と人を結ぶ。

日本で幸せになろうと考えた中国人や韓国人、フィリピン人やベトナム人の手伝いをする。

アジアの平和に貢献する。

人々の人生の幸福の手助けをする。

 

それはすばらしい仕事だ。

これまでの塾での仕事と同様、いやそれ以上に価値ある仕事だと思う。

第二の人生にふさわしい大人の仕事だと思う。

 

 

恨む暇があったら勉強しよう。

 

アジアの平和に貢献できる人間にふさわしい力を今つけよう。

 

その為の勉強を今必死にしよう。

 

一日の終わりに、今日、アジアの人を幸せにするための力を、しっかりと身につけたかと、問おう。その為の勉強をちゃんとしたかどうかを問おう。

 

その問いで一日を終えよう。

 

今は、その為に、堪え、がんばる時間。

 

恨む時間などではない。

恨む時間などではないのだ。

 

 

6月22日

本当に幸せなどないのだ。

他人のことを考えたことがないのだから、しょうがない。

報いだ。

 

これからはそれがもっと徹底される。

職もなく、友もなく、誰もいない。金もない。

 

10月に日本語教師の資格が取れたとしても、職に就けるか。

 

それよりも取れるか。

 

誰もいない。

一人。独り。

 

これから30年独り。

 

さっさと資格を取り、海外に出る。日本を捨てる。

 

そのためにもっともっと今勉強をする。

 

だが勉強の骨は、人への愛だ。

愛がなければ日本語教師はできない。

それがあっての日本語教師だ。

 

それを求めてのこれからの後半生だ。でないと意味がない。

 

だが、人を愛せるか。

 

やっぱ独りがいいのだ。

独りで山で木を切って炭でも作っているのが一番あっている。

 

 

6月28日

このままでは終われない。

終わらない。

死に切れない。

一瞬一瞬を必死に。

笑って、楽に、適当に。