絶体絶命日記2006.2.1‐28

黄色い宇宙の種の年律動の月

2月10日.

親父の調子が悪い.

意識の混乱が始まっている.

いつまでも明晰でありたいと強く願っている父にとってそれは何よりも憎むべきことに感じられるようだ.

自分の人間としての尊厳を失うと感じられるからだろう.

 

自分はもうダメだ、馬鹿になった、と泣く.

泣くのだ.

悔しいのだ.

 

ガンの痛みを押さえる薬.

それが影響を与えているらしい.

めっきり、弱っている.

顔の皮膚がたるんできた.

目がぼんやりしている.

だが話している時はしっかりとしている.

紀子様の御懐妊のニュースにも明確にコメントする.

だが次に話をする時に脈絡を欠く.

 

痛みがないのが一番だ.

ガンの傷みは相当なものらしい.

だが人の痛みを想像するのは難しい.

それが申し訳ない.

だがやはり人の痛みはわからない.

痛む足をマッサージしながら「笑っていいとも」を笑いながら見ている.

 

死ぬのなら生まれなければいいのにと思う.

苦しむために生まれてくるのなら生まれてこなければいいのにと思う.

生きていて良かったとそんなに思えもしないだろうに.

いや、親父の人生だ、これまでに幾つもあったのだろう.

 

僕の知らない時、知らない所できっとあったのだろう.

当然のことだ.

 

あと30年.

ぼくは81.

元気なうちに死んどいた方がいいみたいだ.

 

黄色い宇宙の種の年律動の月

2月19日

 

下血があった.

これでだいぶ厳しくなる.そう医者に言われた.後1,2週間か.

だが血は止まった.

意識も持ち直した.少しだがリンゴの擂ったのとか、おかゆやコーンフレークを食べた.2日ほど食べてなかったからエネルギーを補給しなければといってだ.明晰だ.

 

その代りまた痛みを感じるようになった.

 

何でだ何でだ何でだ.

おかしいおかしいおかしいおかしい.

手はないのか手はないのか.

何度も叫ぶ.

 

そして僕に聞くのだ.

明日も同じか.

 

傷み止めの薬を増やすと、肺の呼吸に影響がでるらしい.

既に転移は肺にもいっている.

酸素吸収率が落ちているそうだ.普通なら酸素吸入のマスクをつけてもおかしくないらしい.肺の中の使える部分をうまく使っていると言うのだ.

だから傷み止めを増やすとそのバランスが崩れ逝ってしまう可能性が一気に増えるらしい.

 

授業を終え、実家に帰っている.12時半前には帰れる.

それから添い寝を妹とする.

うめき始めると体をさする.足の指先、腰、ふとももの裏をさすると痛みが減るらしい.

だがそういかない時、さらに痛みが増す時、軍刀で切り刻まれる痛みが延々と続くと言うのだ.

いやそうなると意識が錯乱してき、言っていることはわからなくなる.

肉は落ち、足は骨に皮膚がついている感じだ.

だが足も手も腕も、顔も艶はいい.

だがどんどん萎びていく.

 

おととい、いい感じで痛みが引き、マッサージで気持ち良くなっている時、今度みんなでサイトシーイングに行こうと突然言った.

最初みんなさいとしーいんぐが何だかわからなかったが、「英語だよ.」とぼくが声を上げると、親父も笑い、今日は愉快だ愉快だと言って、眠りに入っていった.

 

 

痛みに泣き叫んだ次の日、両腕をあげ、また下ろす仕草を2度3度と続けるので、何してんの?と聞くと、手の運動と言う.足も布団の中でもそもそと動かす.

何してんの?と聞くと足の運動という.

そこで両腕をひっぱったり、屈伸をしたり、股を開いたり、後ろに回り両腕を広げぐるぐると回したりした.

じっとしていたらだめになる.

そう言った.

 

傷みの最中、どうしたらいい、どうしたらいい、死んだ方がましだ死んだ方がましだ.と何回も言いながら、翌日はまた生きようと意志する.

あれだけ泣き叫んでも、だ.

立派だと思う.

 

だが夜2,3時間後との起きるのは辛い.

傷みにうめいているのをほっとくことはできない.

だが世の中そんな老人もたくさんいるのだろう.

うめいても誰も来ない.

誰もそばにいない.

1人.

 

こんな恐怖は世界に二つとないだろう.

一人で少しずつ死に浸されていくのだ.

それが僕の30年後か.

 

最後を家で看取るのは辛い.

親父も病院で眠り薬の入った点滴を望んでいるのかもしれない.

 

黄色い宇宙の種の年律動の月

2月20日

 

言葉がわからない。

聞き取れない。

聞き取れる言葉は、痛い痛い。もういい。

そしておかあちゃん、だ。

 

相変わらずトイレに行くトイレに行く。立たせてくれと腕を伸ばす。

どうしても垂れ流す事ができないのだ。

 

昼間も寝ている時間が増えてくる。

食べない。

今日はブルーベリーのヨーグルトだけだ。

医者に栄養ゼリーを明日頼む事にした。

だが無理に食べさせるのはよくない、喉に詰まらせる恐れがあるし、もうそうまでして食べさせる事もないだろう、と言うのだ。

 

どんどん弱っていく。

腕が細り腕時計がひじを通る。

だが時計ははずしたくないのだ。時計を見ている。

眼鏡をかけていないのでわからないのだが。

 

黄色い宇宙の種の年律動の月

2月21日。

 

こんな時にも、斎場の手配、密葬の通知状、喪主の挨拶の言葉などを用意している。

添い寝していても最初の3,4日はベッドの軋み毎に起きて体をさすっていたが、今は様子をうかがい、2回に1回、3回に1回しか起きない。

 

寝ている横でトリノオリンピックを見ている。

 

傷みにうなっている横で刺身を食う。うまいと思いながら、食う。

それでいいのだと思うが、死んでいく者はやはり孤独なのだと思う。

いや、ほかの誰かがそばにいたのならば、きっともっともっと愛に満ちた対応がされていくのだろう。

 

今これを書いている時だって、

「帰りたい。一体どうする。どうしてくれる。早くしろ、早くしろ。10時に帰るのだ。いや俺は帰れない。」

はっきりとした言葉で続けて言う。

そしてどうにも僕には答えられないのだ。

 

うるさいとも思うのだ。

きっと僕の臨終はもっと寂しいものとなるのだろう。

母もなく、妻もなく子もなく、同じように死に行くもの達の一人として冷たい病室にぽつんと寝ているのだ。

誰も体をさすってはくれない。

こう書いている時にもめまいがする。

息が詰まる。

体が急速に縮んでいく。

点になりほこりになる。

チリとなり飛んでいく。

息が詰まる。

 

 

またなにやら言っている。

聞くと腹が減ったという。

何が食べたいかと聞くと、パンだという。

すぐに母とパンの柔らかい所を千切って、牛乳をかけ、チンして暖める。

 

スプーンで口に持っていく。

口に入れ、噛むが、飲み込めない。

薬を溶かした水を口に入れる。

ようやくパンも飲み込む。

おいしいと聞くとまずいと答える。

もういいという。

毛布を足で蹴る。

布団なんかいらんと言う。

 

ようやく布団を着せ寝かせる。

母も大変なのだ。去年心労でペースメーカーを入れたばかりだ。

 

だが母の方が優しい。

ちょっと前までケンカばかりしていたのに。

 

「どうなってるの?どうなってる!」

「早く、早くして。」

 

と繰り返す。意味がわからない。

うんざりする。

いらいらする。

眠い。

愛がないのだ俺には。

 

黄色い宇宙の種の年律動の月

2月25日。

傷み止めの薬を倍にしてもらった。

それだけ終わりが早くなる。

だがその方がいいと考えた。

意識が弱まると言われていたが、そうでもない。

細く棒のような腕を上げ足をもめという。

気持ちいいかと聞くと気持ちいいと答える。

 

「かあちゃん」

と呼ぶので近づくと、目を開けおまえじゃないという。

 

足から消え、お尻、腕、背中とお腹からも肉や脂肪が消えた。

骸骨に皮膚がついている感じだ。

食べていないからあるものからエネルギーを補給する。

食べていないからあともう少ししかない。

生まれて、生きて、こんな風に死んでいく事に満足できるのか。

 

生き方も死に方もとてつもなく難しい。

ぼくの手には余る。

 

 

ぼくが2,3歳の頃か、親父に抱かれて海岸にいる。親父は若く、頭に手ぬぐいを巻き、左手でぼくの腹を右手でぼくの背中を挟むように持ち、海の波に置こうとしている。

ぼくは足を縮めて笑っている。

二人とも笑っている。

ぼくにその記憶はない。

だが間違いなくあったことだ。

50年程前のことだ。

 

黄色い宇宙の種の年律動の月

2月26日

 

苦しそうにうめく声が弱くくぐもっている。

 

ベッドで横たわったまま針金のような両腕を伸ばす。

意外とさっと突き出すのだ。

両手を握ると引っぱってくれという。かろうじてわかる。

引っぱると「もう一度」、という。

また引っぱると「もう一度」という。

5回ほど引っ張ると、「もういい」と言う。

 

運動のつもりなのだ。

まだもう少し元気な時、引っぱった後、今度は左右に両腕を開き、次に足の屈伸に移った。

意識は半分に減った。

だがまだ自分の体をコントロールしようという意志がある。

 

1時間のうち20分ほど静かに眠る。

後の40分は唸りながらうとうとしている。

その間、腕が何回か上がり、膝を立て、腕を降ろし、膝を伸ばす。

自分で布団を下ろし、また下ろした布団を胸にまで上げ、そして眠る。

 

これを24時間繰り返している。

この3日、何も食べていない。

それでも腕を上げて伸ばし、両手を組み伸ばし、両手で顔を挟み、胸に置いた両手をまた組み、顔を左右に振り、また両腕を上げる。

自分を鼓舞しているのだ。こんな時にまで。

こんな時にまでだ。

きっと明日、明後日で意識はなくなるのだろう。

昏睡状態に入り今週でその人生を終えるのだろう。

 

立派だと思う。

一貫していると思う。

 

苦しんでいる。

うめいている。

さっきからずっとだ。

すぐ横で。

 

 

 

そしてきっとこの苦しみは産みの苦しみなのだ。

魂の産みの苦しみなのだ。

 

だがこんな苦しみを経なければ死ねないのなら、死にたくない。

死ぬ前に死にたい。

 

これから楽しい事がないのなら、誰もぼくを認めてくれないのなら、こんな苦しみを耐える勇気は生まれないだろう。

 

死んでいくのは、辛い。これはかなり割に合わない事だ。

相当のいい目を見ない限りは、死ねない。

死の苦しみを耐える事はできない。

死の苦しみに耐えるだけに満足のいく人生が送れてない限り、それだけの思い出がない限り、死ねない。

 

こんな苦しみを耐えるようなバカは見たくはない。

実にそう思う。

 

だったら明日からでも好きに生きていけば、とも思う。

1回しかない人生。

しかももう51年は終っているのだ。

終わりすぎている。

残りわずかなのだ。

待っている余裕も、嘘っぽい謙虚さも要らない。

 

もう何も残されてはいないのだ。

選択の余裕も自由もない。

目の前にあるものに一気に突き進むしかないのだ。

そしてそれが「いま、ここ」の意味なのだ。

 

 

天井を見つめる。

両腕を差し伸べる。

何かをつかもうとしている。

腕を下ろし、ため息をつく。

何か言っているが、わからない。

目は何かを追っている。

何を見ているのか。

何か見える?

と聞く。

何かを期待する。神、とでも。

 

首を振る。

両手を握る。少しだけ握り返す。

目は開いているが、何も見ていない。

ぼくも見えていない。

首が横になり目が閉じられる。

 

苦しそうではない。

時々短い笑い声になる。

何に笑っているのか。

 

 

 

しばらくして、もういい。勘弁してくれ。

そう聞こえた。

前に何回か聞いた。

 

最後に納得の言葉はあるのか。

感謝の言葉はあるのか。

 

何と人の世は難しいのだ。

このままでは死ぬ前に、やったもん勝ちのやりたい放題が一番、というのがこの世の真理だと思えてしまうのだ。

黄色い宇宙の種の年律動の月

2月28日。

 

変化が起きた。

血圧が120から100に下がったのだ。

この6日間、食べていない、飲んでいない。

食べられない、飲めないのだ。

そして血圧が下がった。

心臓の力が落ちたのだ。

これまで生きるエネルギーを残っているからだの水分、脂肪、筋肉から取っていた。そしてそれももうなくなった。

 

これから血圧が80、70,60と落ちていく。

60を切ると、昏睡状態になり、1,2日で逝く。

あと1週間はない。

 

 

それにしても、自宅で看取るということ。

考えものだ。

看取るものはいい。こちらの大変さはいい。死に行くものと比べるものではない。

それに死に行くものを目の当たりにする事には、多くの学ぶべき事がある。

 

問題は死に行く者だ。

入院すれば、自宅にいるよりもおそらく1週間、10日間は地獄の苦しみを経験することはなかったはずだ。

入院すれば、点滴に眠り薬を入れ、眠ったまま逝けるのだ。

自宅ではそれができない。

最後まで痛みがやってくる。

 

今だって唸っている。

痛み止めの薬をいつもの倍胸に貼っていても、うめいているのだ。

 

この家で死んでいくのだが、死の最後、それでよかったと思ってくれるのか。

納得してくれるのだk。

満足してくれるのか。

それが一番の問題なのだ。