絶体絶命日記      2005.9.1−31

黄色い宇宙の種の年月の月13日

9月4日。

天之日津久神社にひふみ祝詞を奏上しにいった。

祝詞をコピーし、誰も周りにいなければそれを見ながら小さな声で3回唱えようと思った。

何のためにはいい。そういうことを積極的にやってもいいのだと思った。

だいたいひふみ祝詞、意味がわからない。

 

ひふみ  よいむなや   こともちろらね

しきる   ゆゐつわぬ   そをたはくめか

うおえ   にさりへて     のますあせゑほ〜れーけー

 

何だこれ。

もちろんこの音に意味があるのだろう。

コンピュータの音声認識のように特別な音的響きがあり、その響きが世界の何かを開くのだろう。それで、行った。

ところが何のグループか境内で7,8人集まり騒いでいる。とてもではないが、奏上などできない。

心の中で世界の平和を願って帰った。

腹立たしかった。

それで帰り道誰もいない山道で、周りを確かめながら、ちょっと声をあげて唱えた。誰かが見たら変な奴だと思っただろう。実際やってることは変なのだ。

だがいい。

そんな事をやってもいいのだ。つ

 

黄色い宇宙の種の年月の月24日

9月15日

 

奥歯ブリッジ。16万。

去年奥歯を抜いた。金と時間がなくなりそのままにした。

右ではだから物は噛めない。スカスカだ。そんな状態が1年続いた。

 

だが噛むことは大事なのだ。

上の奥歯が火、下の奥歯が水。噛むとは火水。そして神。

 

そんなことはどうでもいいが、しかし奥歯3本の真中が無ければ物は噛めない。

だから20年ものの郵便貯金を下ろした。

16万。

去年は前歯3本差し歯、24万。

計、40万。

給料3か月分。

いいのだいいのだ。

これでしっかり物が噛める。

これでしっかり物が食える。

玄米菜食。

しっかり食ってしっかり身魂磨きだ。

 

そういうことだ。

そういうこと。

 

そういうことなのだ。

 

黄色い宇宙の種の年26日

9月17日

 

牛乳と卵もやめる。

魚をどうするかだ。

要は彼らが痛みを感じるかどうかだ。

殺され、死ぬ瞬間、恐怖や恨みを感じるかどうかだ。

牛や豚やニワトリは感じるだろう。

恐怖と痛みの叫び声。

だが魚が想像できない。魚の目に共感できないのだ。

魚菜は可とあるが開きを見るとむごい気もする。

まっ、週に1度くらいならいいだろう。秋刀魚なんか酒といっしょに食いたいものな。

 

これで、玄米と野菜、豆腐、納豆、メカブ、白ゴマ、山芋。が食の全てとなる。

これにプラス卵と牛乳の生活は10年続いた。

少しはどうとかなっているのだろうか。

 

今回牛乳はやはり牛の子供が飲むものだし、卵はこれからヒナになろうとする命を食べてしまうのもむごいということからはずした。

あとは酒だ。

こいつがどれほど血を濁らせているのか。

しかし元は米だし、それほど悪いのか。

ただ3日で2リットルは多い。これをせめて4日にしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いの