絶体絶命日記   2005.7.1−31

7月10日。

 

オヤジが悪い。

いまは元気だ。頭もクリアー。声も張りがあるし、大声で笑う。

しかし状況は良くないのだ。信じられない。

 

昔の写真を見ながら色々と聞いた。

小学生の頃の写真もあった。丸顔のいたずら小僧だった。

マンドリンクラブでマンドリンを弾いている時は細面のいい男だった。

電気洗濯機、電気掃除機、テレビ購入の記念写真。

小学生の時には、家族であちこちの遊園地、動物園,野球や相撲、温泉や海水浴、景勝地に行っていたのだ。全部写真が残っている。そして全部覚えていないのだ。

 

親父は全部覚えている。

 

思い出で頭を一杯にしておきたい。

 

それにしても俺が死ぬ時、頭の中は思い出でいっぱいになるのだろうか。

 

青い水晶の嵐の年宇宙の月19日

7月15日。

 

 

二つ持っていた教室のひとつが閉校。

いよいよだ。

もうひとつの教室も営業が入っても9名しか増員できなかった。

9名だ。

やはりここは難しいところなのだ。

他地域では営業は30名、40名と平気で入れている。入っている。

この差は何だ。

地元の人が少なく、神奈川や埼玉から越してきた人たちのニュータウン。

ブランドに弱いのだ。大手の塾にとりあえず入れて安心する。そして後は考えない。

宣伝も広告も出さず、営業が訪問して生徒を入れる。これがうちの塾の方法。

そして千葉には営業がこない。東京中心なのだ。

東京ではひとつの教室に年2回は営業が入る。

千葉では3年に1度だ。わざわざ東京から千葉にはこないのだ。

 

口コミというのも大した事はない。

もっとそれなりに評判が立ってるかとも思っていたが、甘い、甘い。

今電話での勧誘をしているが、断られた最後にうちの塾の名前やある場所を知っているか、ときいてみると、名前も場所も知らないがほとんどだ。

ここで9年やってるが、がっかりだ。まぁ元々個別の塾。教えた生徒の数が絶対的に少ないというのもあるが、それにしても知られていない。

まっそんなに大した指導をしていないということだろうが。

 

このさき一体どうなるのだ。

自力で入れていくしかないのだが、疲れる。

新しく入った9名をもとに新規を拡大していくしかないのだろう。

 

青い水晶の嵐の年宇宙の月28日。

7月24日。

 

オヤジが元気だ。

退院したら散髪に行く、歯医者に行くといっている。

実際車椅子から杖、今は何もなして歩いている。

だが実際は良くないはずなのだ。

 

それとも実際よくなっているのか。

 

わからない。

だが実際声にも張りが出、ついさっき5分前メールで来週の日曜日には快気祝いをやろうときた。酒は大関、肴は紅白のかまぼことあった。

 

これは絶対いい事なのだろう。

 

 

だが俺は何だ。

富士山はいい走りをした。

5合目、7合目でやめようと思った弱気を意志ではなく体が克服した。

体がぼくを前へ前へと押し出してくれた。

だが今の気持ちはやはりがらんとしたままだ。

つまり誰もぼくに聞いてくれないのだ。

おまえ、元気か?

と。

 

実際誰も聞いてくれない。

みんなはぼくに愚痴をいう。ぼくにそれぞれの愚痴をいう。

ぼくはそれを聞く。

一生懸命聞く。

相手の愚痴のごみ箱にせめてなろうと一生懸命聞く。

でもぼくの愚痴は誰も聞いてくれない。

 

けっこうつらい日々だ。

50歳で独り身で、今日は「40歳からの大人のためのピアノ入門、コード奏法」を買った。何かして、何か新しいことを始めて、それが身について、そのことで気持ちが和らげば、と思うのだ。

つらくて、息苦しく、叫び出しそうで、嗚咽もらしそうで、しかし平気に微笑んでいる毎日だ。

せめて毎日会う子供たちを楽しいいい気持ちにして帰したい。

それだけだ。

自分の鬱屈を子供たちにうつしてはいけない。

まず自分が生き生きとしていなければならない。

それはわかっている。

 

よくわかっている。

自分が大きくなければ、豊かでなくては。

生きることを素晴らしいと思っていなければ。

 

無理だ。

だがそれがわかっていれば、その逆を彼らに伝えればいい。

それがぼくの役割だ。

能天気な馬鹿に教わるよりいいだろう。

 

そう思っている。

 

青い水晶の嵐の年時間をはずした日

7月25日.

淡々と、着々と、その結果が明らかにでて、帰ってくる.

見つめて、見つめ返され、抱きしめて、抱きしめ返される.

 

 

そんなことか.