絶体絶命日記    2005.12.1‐31

黄色い宇宙の種の年倍音の月22日.

12月6日

 

お袋が狭心症.洞不全症.

心電図で睡眠時心臓が6秒間止まっていたことがあった事が分かった.ほかにも尋常ではない動きがあるという.本人にはそれほどの自覚症状はなかったのだが、医者は普通はありえないことだという.倒れていて不思議はないし、これからは外を歩く時は裏道を歩いてはいけない、堅い物を周囲においてはいけないという.倒れた時に人が周りにいないとまずいし、堅いものに当たっては危険だと言うのだ.

 

すぐにペ−スメ−カ−を入れることにする.

まだ元気な時なので、ほっとする.

 

しかし思ったのだが、心臓が止まっていてもそれほどの自覚が無いというのは、それなりに臓器が、あるいは体全体が、自己防衛本能を発揮した結果ではなかったのか.

心臓が止まっても平気だったのはなぜか.

それをカバーする他の体の機能があり、それが働いた結果ではなかったのか.それを考えてもいいのではないかと思ったのだ.医者にその事を聞いてみたがたまたま運がよかったのです.としかいわれなかった.

 

だがうまく行った原因はあるはずで、それに気付き、それを伸ばす事も治療ではないのか、と思ったのだ.

医者は笑っているだけだった.

さらに冠状動脈に原因もあるかもしれないので、そこも調べてみるとのことだった.

確かにそれもある.もちろんある.

 

 

だが結果としてのマイナスを調べそれに対処する方法ともう一つ、今現在働いているプラスの機能を明らかにする事も必要だと思ったのだ.

体が生きていこうとする意志の下に、体全体で心臓なら心臓に向けて様々な力を及ぼしていく.心臓とは直接関係の無い大腸や小腸、太腿の筋肉、腹筋や背筋、歯や鼻や口やそうした体の部分部分が、体の中の調子の悪い部分に向けて一点集中のプラスの力を放射していく.

そんな体の不思議を考えてもいいと思ったのだ.

 

それには一つも目を向けず、機械の結果からのみ判断を下しその一部分のみに原因と結果を求め、治療を行っていくやり方に違和感を覚えたのだ.

 

お袋には体全体が、手も足も目も口も肺も肝臓も胃も大腸も総動員して、一点集中して心臓を助けているのだ.それプラスペースメーカをつけるのだから問題なし、心配なしと、不安なしといった.

 

体は思っているよりもっともっと力に満ちているのだ.

 

黄色い宇宙の種の年倍音の月27日.

12月11日

 

親父が死んで、お袋が死んで、子供がいなくて、女房もいない.

目に見える.惨めな晩年.

やはり最後は、四国の山奥で大きな木の幹を背にしての白骨死体.

 

60から10年、20年と、四国を回るのだ.

そして最後は月の光を浴びて最後の息を吐くのだ.

虫の音が聞こえる.

ごつごつとしたしかし柔らかな木.

ガクッと首が折れる.

一瞬虫たちは声を止めるのだろう.

 

黄色い宇宙の種の年倍音の月28日

12月12日

 

行、修行.

古神道を考えた.川面凡児.

 

違う.

そうではなく、走る事を行とする.

これまでずっと走ってきた.

その走りを行とすればいい.

 

走る中で呼吸法、体のバランス、中心線、体軸、宇宙との融合、集合的無意識への掘り進み.

論理や知識を振り落とす.

感覚と感情を鋭利にし、柔らかくし、自由にし、自在にし、自己深く、自己深く、溶け込んでいく.その先の宇宙.永遠の宇宙.

 

それは走ることでいいのだ.

何も神道をここで持ち出すことはない.

11年走ってきた.

それをもっと精神に、魂に、霊に、心に、感覚に、感情に向ける.

走ることにもっともっと注意深くなる.

走る時間をもっともっと大切にする.大切なものと自覚する、意識する.

今分かれ目だ.

 

走ることを真剣に考える時だ.

 

黄色い宇宙の種の年律動の月4日

12月16日

 

祈る祈る.

父母の幸せな晩年を祈る.

そのためには自分がしっかりする.

自分が幸せになる.

その姿を見せる.

 

まっ、かなり難しいが.

 

このあとどんな人生になることやら.

 

黄色い宇宙の種の年律動の月5日

12月17日.

 

歌いたい.ハモリたい.

サイモンとガーファンクル

PPM.

高い声で.

 

オフコース.

チューリップ.

 

スピッツ.

スピッツ.

 

歌いたい.

歌いたい.

 

カラオケいきたい.

歌いたい.

 

ここで歌うと、苦情出るからな.マンションは難しいぜ.

 

黄色い宇宙の種の年律動の月15日

12月28日

 

死の予感.1人で死んでいくという恐怖.

それは全く個別のもので誰とも共有できないものだから、苛立たしく、恐ろしく、やるせなく、絶叫したくなるような深く、混沌としたものなのだろう.

 

もっともっと共感する気持ちを持たなくてはならないと思おう.

元気な人間には難しいものなのだ.

その分強く思わなくては.