絶体絶命日記。2004.11−31 11月9日。 今もまだ偏頭痛。べったり痛みがこめかみに張り付いている。悪魔の焼きごて。 2日、親不知と奥歯を抜いた。親不知は歯として出ている部分の3倍がねとしてあり、もう一本は歯と同じ位しかなかった。溶けてなくなったのだという。 親知らずを抜いたあとはごそりと巨大な穴となり、タバコはまず吸えなくなった。空気が抜けていくのだ。 試しに鼻を摘まんでみると、口呼吸ができた。 うがいすると、ペッと水を吐き出した後、30秒くらい穴に入った水がさらさらとこぼれ落ちてくる。 最初は何かと思ったし、舌で確認しても歯茎がどうもよくわからない状態になっていて、ややびびった。 だが痛みもなく、これでいちいちウォーターピックで掃除しなくてすむと思った。 翌日文化の日。7日、成田POPラン用のタイムトライアルをやった。 ニュータウンコースの自己新を目指した。これまでは37分40秒だったが、36分55秒。 これはかなりの快挙だった。 だがそれが歯にたたったのか、風邪を引き、熱が出、歯やら、みぎこめかみやら、右側頭部、右目やら、が痛み出し、3年程前まで半年に一度起きていた偏頭痛状態になり、地獄の痛みがべたりと張り付き始めのだった。 この間にも新宿の朝礼、いつもの授業。 これはもう堪えるしかない状態で、哀しかった。堪えるしかないのだ。 いたいいたいいたいいたい。 現在痛みはレベル8からレベル5までは下がったが、もうそろそろコンピュ−を見るのも無理、ぶん投げたくなり始めている。 帰ったら1週間前に作った、玉ねぎと、さつまいもスープを口の中の注ぎこんで、すぐさま布団にもぐりこんで、目を閉じる。 ほっとする。 まだ夜は眠れるのだ。これはギリギリセーフということだ。レベル9になると、眠ることもできない。 治り調子に入っているのだから、待つしかない。 だが午後ポスティングに行かなければならないのだ。 仕事が進んでいない。 教室の内容をきちんと書いたパンフを全戸に配布する。 その後のピンポンはどうでもいい。 きちんとした教室の内容を知らせておきたいのだ。 かつて入った営業が、手練手管で教室のイメージを妙なものにしてしまっている可能性があるからだ。 11月21日。 疲れたな。 疲れた。 何でもいいから、ぶっこわしてぇ〜〜〜〜〜(^o^)丿 そんなこんなだな。 まったく、情けない人生だ。 50になって言う言葉じゃない。 大人だ。 大人にならなければ。 まともな大人に。 |