絶体絶命日記2004.10.1−30 青い水晶の嵐の年電気の月 10月5日。 ダメね,あっさり。 元々中1の子をどうするしか母親は考えていなかった。 その中1が友だちがいるから移りたくないといってしまえば,おしまい。 中1であれば友だち関係で決まる。 下の小4も小2も塾は考えていなかった。金がかかりすぎているらしい。 雨の中行った。 ズボンびしょびしょ。30分ほど話した。 それでも,帰る時は,受験のことを考えるようになったら、もう一度塾について真剣に考えるよう言ってください。お役に立てる事があればお力になりますので,と言って雨の中,出て行った。心の中ではザケンナヨ〜なのだが。 まぁ,評判産業なのだ。 それにしても汚い部屋だった。 玄関では座るスペースがなかった。子供3人の衣類やおもちゃ,ごみはなかったが,散らかし放題。 立ったまま30分話した。 よく人を通せるとも思ったが,忙しいのだろう。今日だって仕事から帰ったばかりのようだった。 まぁ,雨の中ほんとに申し訳ありませんでした。と恐縮するぐらいの常識があったのが救い。 下二人の子供たちも,素直そうで良かった。 これがセールスマンを見下す,ふてくされた生意気なガキだったら,不愉快千番だった。 まぁ,今日はこれでいい。40件目でドアを開けてくれた人なのだ。 少しは希望を持たせてくれたのだからこの人に感謝。 ということだ。 ははは。 なぜか会社は明日から3日間,本社朝礼。本社は新宿だから,行くだけで2時間かかる。往復4時間。全社,気合を入れるのだと言う。 これでピンポンはできなくなる。 働け働けと言っておいて,働き出すと,働けなくなるようなことをする。馬鹿だ。 まっ,ピンポンしなくていいのだから,楽でいい。 といって,生徒獲得の仕事をおっ放り出す事もできない。 何とかしてくれ。 青い水晶の嵐の年電気の月 10月11日。 持続的発展と国際協力、変動する社会と暮らし、近世の日本文学、比較技術の文明論、国語学概論、近代日本における外国文学の受容、上代の日本文学、教育心理学通論、哲学入門、近代哲学の射程、近世日本の歴史、現代の哲学、世界の食糧問題とフードシステム、国文学入門、日本の散文古典編、紛争の社会学、近代の日本文学、近代日本と国際社会、日本政治思想史、国際共生と健康、フランス文学、近代の教育思想、教育の哲学、感情と認知、近代詩歌の歴史、平安朝の文学、都市社会の人間関係、日本文学における住まい、比較教育制度論。 自然と文化の記号論、古代日本の歴史、表象としての日本、環境社会学、現代日本の歴史、世界の産業再編成、教育の社会文化史、日本の食文化、中世日本の物語と絵画、中世日本の歴史、日本政治史、国際政治、中小企業の挑戦、立憲主義と日本国憲法、心の科学、ヘーゲルを読む、東アジア・東南アジアの住文化、メディア論、都市と人間、現代身体教育論、 放送大学ラジオとテレビだ。 勉強勉強。勉強なのだ。 青い水晶の嵐の年電気の月27日。 10月19日。 日本語教育能力検定試験。 終わった。 ダメだろう。まだ自己採点はしていないが、確実にわからなかったところが幾つかあった。確実にわかったところも会ったが、わからなかった所より少なかった。 1年に一度というのがきつい。合格率が20%以下というのもだ。 それにしても試験会場は7割が女性。ブスで我の強そうな女30代40代、、逆にすぐに目を伏せてしまうような、生きていくのに疲れたような中年の女の人、やたら元気で目に力のこもった50代、キャピキャピの20代はいない。 20代は英語にいくのだろう。 英語でこけてその次日本語、という感じなのかも知れない。 週に3日間研修。、今月ずっとあるらしい。だからビラ巻きもセールスもできない。それで増員がないとせっついて来る。疲れる。 今日は研修はないのでこれからチラシ3回目配布に出る。 木曜日にピンポンだ。 今回対象世帯は1丁目で、37件しかない。そのうち15件はセールスお断りのマンションなので、できない。 やる人はやるのだろうが、そんな勇気はない。 そうすると残り20件ほど。 こん中で玄関を開けてくれる人が1人でもいいからあってほしいわけだ。そうすれば会社にそこそこの報告ができる。ないと叱られる。 教育やって、20年勤めて、50を過ぎて、これだ。 しかし会社は相変わらず、厳しいらしい。 一体どこに金は消えていくのか。 給料だって13万だ。人件費でもないだろう。確かに自分の教室を見てみれば利益はあまりない。しかし他では利益を上げている所もあるはずだ。その教室におんぶに抱っこになるが、今はしょうがない。かつてはこっちが何年も他を支えてきたのだから。 だが状況は厳しいということだ。 まったく未来が見えない。 そして行うべきは、身霊磨き、それのみだ。 与えること与えること。 なくなってしまうものは、もともと自分のものではないもの。 自分のものであればあげてもあげてもなくならない。 戻ってくる。 そういうもんらしい。 きっとそうだ。 差し歯25万。 ブリッジ、7万。(×2だ!なんだなんだ、右下の奥歯もぐらぐらになっている。 冗談じゃないぞ、一体俺の歯はどうなっている?砕けて、もげて、全部なくなっていくのか?怖い、ほんとに怖い。10月20日。) 気が遠くなる。 青い水晶の嵐の年電気の月4日。 10月23日。 それにしても気になるのは、落合監督のあの表情だ。 笑っているような、人を小ばかにしているような、あの微妙な顔。 だが昨日はファンへの感謝の言葉を告げる時、目をうるませてもいた。 「俺流」といって自分の好きなようにやる、他人は関係ないという自己中の感じもするが、他人の応援にも感動する感性もある。 この人は実に繊細で心の柔らかな人なのだ。 他人の存在に敏感に反応する感性があるからこそ、逆に俺流などと言って自分を時に守ろうとするのだろう。 真っ正直に応援されるところっと感動してしまう。 誰も踏み込むことのできない自分勝手の天才の領域と、馬鹿みたいに単純に感動してしまう心の繊細さが合わさると、ああいう微妙な表情が生まれるのかもしれない。 プレイする選手の気持ちの揺れを実感しつつ、勝つための天才的な閃きに従い指揮をとらなければならない立場が、あんな顔を生むのだろう。 あの表情は見るに値する表情だと思うのだ。 青い水晶の嵐の年電気の月26日 10月25日 ポスティングだと即効性がない。 それよりも現存する生徒からの売上をアップせよ。 方向転換だ。 確かに、週1回の月謝で週2回、週3回指導している生徒が結構いる。 これをその通りの月謝にせよという会社からの指示が下った。 いやな話だ。 金の話が一番苦手だ。 今さらその通り払ってくれという話などできはしない。 胃が痛い。 研修では増員とか、月謝増額、達成者の成功体験の発表が続いている。 こちらはそんなことはない。 グラフに赤丸がつかないのもあと5,6人しかいない。 いやな毎日だ。 毎日がこんな日々ならそろそろ終わりにしたい。 青い水晶の嵐の年自己存在5日。 10月30日。 香田さんが殺された。 以前と比べて同情の声が出てこない。 戦地に観光旅行で行ったのだから殺されても文句は言えない。 自分探しだの甘えたことを言うな。 今度こそ自己責任だ。 しょうがないだろう。 彼がイラク支援をしているわけでもなく、またはっきりとした問題意識をもっているわけでもなく、ジャーナリストでもなかったこと、まだ何者でもなかったことが原因だ。 もちろん自己責任であることはその通りだ。 だがだからといってそこからイラクへの自衛隊派遣の問題が隠されていくことこそが問題だ。 元々自衛隊をアメリカの要請で派遣したことが問題なのだ。 日本は独自の路線をとる、イラクとアメリカの仲介を取る。 それこそが日本のすべきことだ。アメリカの属国としか世界から見られていないことが問題なのだ。 また今回の香田さんが何者でもなかったからといって、だから殺されていいと言う訳ではないだろう。 高校を中退し、NHK学園で勉強し卒業し、建設の専門学校で学び、塗装会社に入り、そのあとニュージーランドを旅している。 彼なりに真摯に自分や世界について考えようとしていたのだ。 今回のイラク入りもその延長だったのだろう。 自分のしなければならない仕事。 それを必死に探していたのだろう。 後頭部に銃口を当てられた時、どれほど無念と思ったことか。 ここで死ぬんだ。 何のために生まれてきたのだろう。 誰にもさよならがいえない。 それを思うとこれまでの5人の時以上に、悲しい。 彼のようなごくごく普通の、真面目で一途な青年が、無念の死を死ななければならない事こそが、戦争の無惨なところなのだ。 何者でもないものが、殺され、忘れ去られて行く。 この経験を糧に帰国し、日本の、世界のために大きな仕事をする可能性だってあったのだ。 いやたとえなかったとしても、そんな1人の人生を大切にすることがこの世では大事なことなのだ。 それをあっさりと踏みにじってはいけないし、その可能性のある政策を選ぶことを支持してもいけないと思う。 無念だ。 |