絶体絶命日記  2003.7.1-31

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月17日。

7月13日。

 

やはりどこか大きく損ねてしまったのだろう。

もうすぐ49だ。50年近く生きてきた。

何を学んだだろう。そうひしひしと思ってしまう。

子供たちとは19年塾をやってきているのだから、合うのだろう。

だが何を彼らにした?

彼らの望んでいることをしてあげただけだ。

だから彼らの0地点に彼らを戻してやっただけなのだろう。

0地点から先の彼らの未来に彼らを押し出してやったり、彼らの個別の未来を指し示したりはしなかったはずだ。そこには責任が生じる。そんな責任は背負いたくはないと思っていたはずだ。そんな大変な事はしなかったと思う。

その時へこんでいた彼らの傷をもとにコンコンと戻してやっていただけなのだろう。

それだけでも大変だったと思うが、責任を負いたくなかった負い目をそれを必死に行い、何とか帳消しにしていただけなのだ。

そしてそうすることによって自分自身を自分自身の0地点に戻していただけだったのだ。だからきちんとした未来を考えないままにここまで来てしまった。将来設計などなくもうすぐ50だ。

来年は仕事にも変化が生まれる。

それにどう対処すればいいのか。

何も学んでいない、何も望んでいない50歳だ。

始末に悪い。

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月18日。

7月14日。

 

12歳少年、子供殺し。

酒鬼薔薇聖斗、佐賀バスジャック、家族殺し、幾らでも少年犯罪は続いている、これからも続く。そして年齢は下がる。

当たり前だ。親の資格のない親にいかにも親ですという顔をされ束縛されながら何年も息苦しく生きているのだ。どの子も着実に着火点に近づいている。

尊敬すべき、真似をしたくなる大人のいないこの国では、子供は自分の闇を照らす事ができない。

 

この国では既に親になる覚悟も思いもなく、その為の教育も何もないままに親になった世代が2つ続いている。今の子供には両親も祖父母もいない。従うべき価値も、自分で考えたり感じたりする力もない。

そんなことは教えてもらってはいないのだ。

本能の壊れている人間が、生き方や考え方を教えられないまま生きている。

 

何も描かれていない地図を渡されたのだ。

渡す方は素晴らしい地図だと自信満々だ。

捨てるのも悪いので(優しいのだ)、見る振りをする。地図は真っ白だ。その地図を真剣に見、役に立ったと喜ぶ振りをする。

地図には何も描かれていないのだから先に進みようがない。周りを見る。みんなの行く方に行く。みんなも同じだ。地図を見る振りをしながらみんなの足元を互いに盗み見、それに従って歩く。

 

ある時みんな一斉に思う。何て馬鹿馬鹿しい事をしているのだ。だがそれを口にするまでには時間がかかる(彼らは優しいのだ。)。

それはそれで意味もなく未来もなく満足も喜びもないが、みんなもそうなのだから我慢もできる。

 

みんないっしょに滅んでいける。

そんな自分たちは愚かで、くだらなく、無価値だ。だがそれもみんながそうだ。ガマンできる。

だが悲しい事にそんな愚行に何年も耐える事はできない。大人は愚行を絶えられる。だが命が育ちつつある子供にはそれができない。

それが悲劇だ。

彼らはある日もうよそうよ、と思う。

この地図には何も書いていない。

何の意味も価値もない。

そしてそんな地図に従う振りをしてきた自分にも価値がない。

他のみんなだって同じだ。

ぼくたちは価値がなく、無力で、意味のない存在ということで共通点があるだけの、クズの集まりだ。

そして何よりもクズである理由は、だからといって地図を破り捨てる事もできず、周りの連中と連絡を取り合うこともせず、ただ立ちすくむ事しかできないという事だ。

 

だがやがて立ちすくむことに飽き、自分のクズに飽き、自分を処罰する衝動に駆られる。もう終わりにしよう。

だが彼らの肉体は悲しい事に生きることに没頭している。

命は成長しつつある。

血はますます音を立て体を流れる。骨もきしみながら伸びていく。

髭が生え始め、胸もふくらんでくる。

背は伸び、体重は増えていく。

命は理不尽に生きることを強制する。

 

だが意識は死を望んでいる。クズの自分を処分したく思っている。

だが自分を殺す事はできない。命はそれを拒否する。意味もなく拒否する。

だが彼らはもう立っていられない。自分のクズに耐えられない。

自分を処罰する。この世から消し去りたい。

そして彼らは純粋で美しく、心からギリギリ守ろうとしてきたものを殺すことで自分を処罰しようとする。

 

酒鬼薔薇も長崎の12歳少年も彼らが心から望んだ純なものを殺した。

そうする事で痛みを自分に課した。痛切な痛みを経験したかった。

それだけが自分だけの、確かなものになるはずだと感じた。

 

純粋さへの憧れと自分への嫌悪。憎悪。

自殺衝動と生きることへの無意識の欲求。

 

引き裂かれた少年はもうどうしようもなかったはずだ。

酒鬼薔薇はその引き裂かれた状況を言葉にする事ができた。自分なりの儀式も行えた。

だが今回の長崎12歳少年にはそれが感じられない。

もう言葉による内省は不可能になっている。

ただ胸の中を理解できない千の刃物の感情のうねりでズタズタに引き裂かれ、真っ暗な黒い感情の波間にただ一人、漂い続けるしかなかったのだろう。

 

少年法の問題の前にそうした悲惨きわまる彼の心を想像するべきだと思う。

そして彼らに時代の悲惨な代表者として、自分自身を表現させるべきだと思う。治療ではない。我々の知らない病にかかった者としてその状況を語ってもらうのだ。

行った事の重大な意味を牢獄の中でしっかりと見つめ、自覚し、言葉に置き換える努力を何年、何十年とかけてすべきだと思う。罰や抑止ということが目的ではなく、その為にこそ刑法は改正されるべきだと思う。

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月2日。

7月17日。

 

もう、やんなった。

これ以上のことはないだろ。

もういい。疲れた。

 

 

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

「ねじまき鳥クリニカル」

「神の子供たちみな踊る」

「海辺のカフカ」

を読んで、しっかりまとまったもの書こう。

何かに意識を移してないとやってられない。前の黒沢清と田口ランディだ。

 

白いスペクトルの魔法使いの年 磁気の月1月2日。

7月28日。

 

もういい。

何もかもどこまでも完全に、公正に、公平に、誠実に、正直にやる。

それは意地でやる。やけっぱちだ。

それだけだ。

それでとっとと消えて行ってやる。

 

村上春樹作品リスト

1979(30歳)風の歌を聴け               1970.8.8-26  (21歳)

1980     1973年のピンボール          1973.9-11    (24歳)

1981     夢で会いましょう

1982     羊をめぐる冒険                         (30歳)

1983     中国行きのスロウボート カンガルー日和 象工場のハッピーエンド

1984     蛍・納屋を焼く 村上朝日堂

1985    世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド 回転木馬のデッドヒート

1986     パン屋再襲撃 村上朝日堂の逆襲 ランゲルハンス島の午後   (35歳)

1987     ノルウェイの森 日出る国の工場                   (37歳)

1988     ダンス・ダンス・ダンス

1989(40歳)村上朝日堂 はいほ〜

1990     TVピープル 遠い太鼓 雨天炎天

1991

1992     国境の南、太陽の西                       (37歳)

1993

1994     ねじまき鳥クロニクル1.2 やがて悲しき外国語 使い道のない風景

1995     夜のくもざる ねじまき鳥クロニクル3   1984.6−    (30歳)

1996     レキシントンの幽霊 村上春樹、河合隼雄に会いに行く

1997     アンダーグラウンド 村上朝日堂はいかにして鍛えられたか

1998     辺境・逆境 ふわふわ 約束された場所で

1999(50歳)スプートニクの恋人 もしもぼくらの言葉がウイスキーであったなら

2000     神の子どもたちはみな踊る

2001     スメルジャコフ対織田信長家臣団 村上ラヂオ

2002     海辺のカフカ                           (15歳)