打ち上げ花火.横から見るか?下から見るか? 2003.5.20 世紀末にこの様な映画を撮る事ができたのは,ちょっとした奇跡だったのかもしれない. 感傷に陥らずに,過剰にもならず,空虚を感じさせることもなく,少年少女の一夏の恋心を描けたのは,ある意味大変な力技だったのだと思う. 1学期最後の日,少年たちは花火は横から見ると丸いのか平べったいのかを論じ合う. 確かめるためその夜の花火大会で,少年たちは灯台に上ることを決める. 同じ日,少女は母親から離婚のための転校を言われる. その日がその町で過ごす最後の日だった. 灯台に行き着くまでの少年たちの,自由で,率直で,無邪気なやり取りがいい.滑るように少年たちを追い抜いていくカメラも軽やかだ. だが鬱屈し不幸への予感に打ちひしがれそうになる少女が,少年の温かな心(愛?)に救われ,立ち直り,黙って少年から去っていくまでの時間は,実に何気なくだがスリリングだった. 少女は家出を決意する. 大きなトランクには着替えが詰まっている. 少女は少年に言う. 「裏切られるのは,私の血筋なの.」 少年は少し考えてから答える. 「俺は裏切らないと思う.」 ここから少女は少年を試す. 本当に裏切らないのかと. だが本当に少女が知りたかったのは,自分が裏切られる血筋を本当に持っているのかどうかだった. 少女は自分の運命を試す. 少女は花火には行かず,突然バスに乗り込む.少年は驚くが後を追う.バスの中で少女はこれは駆け落ちなのだと少年に告げる. 少女は自分の運命を試す. 「二人で死ぬのか?」 「それは心中でしょ!」 少年は真剣で,少女は真面目だ. 駅に着いた少女は少年に言う. 「東京に行ったら,働くの.男だったら仕事はないけど,女ならあると思うの.」 「どんな仕事?」 「夜の仕事よ.化粧すれば16には見えるわ.」 「見えねぇよ.」 「東京ならこんな16もいるわよ.」 少年は黙ってしまう. 彼はその時,夜,夜の仕事に出て行く少女を見送る自分自身を想像したのだ.そんなことできるかな俺,俺の人生どうなるんだろ,でもしょうがないよな. そんなのしかかる重い未来を彼は引き受ける. 何だかよくわからないが,引き受けるしかないのだと諦める. なぜなら物事はそんな風にして決まっていくからだ.大げさな決意やドラマチックな出来事が起きるのではない.たとえ二人が小学生であっても,未来はそうやって訪れる.物事はそんな風にして決まっていく.大げさな決意やドラマチックな出来事が起きないままに,人は人を傷つけたり,殺したり,取り返しのつかないことをするのだ. そんな境界線を二人は歩いていく.二人を闇へと落とさないのは,二人のお互いへの愛だ. 少女は自分の運命を少年に託し,少年も少女に自分の運命を託した. 少女は電車の切符を買いにいく. 少年はトランクを持って改札口へ向かう. 少年は裏切らなかった. 少女は裏切られなかった. 少年は少女と東京へ行く事を疑わなかった. 少女は自分の呪われたと思っていた血筋から解放されたのだ. 二人はその足で学校のプールへ行く. 夜の学校の闇の中のアジサイがきれいだ. 少女は服のままプールに入る.恐る恐るつま先を入れる. ここで生まれ変わるのだ. 少女は決意する.古い自分を洗い流すのだ. ここでの奥菜恵は美しい. 悲しく柔らかく奥底にまで突き刺さる一瞬の開花の永遠の美しさがある. 一瞬なのだ. 悲しいことに一瞬なのだ. 「今度会えるのは2学期だね.楽しみだね.」 少女はもう会えないことを知っている. 転校するからではない. 少年を愛した自分も水の流れとともに流れていったのだ. 少女は旅立つ. 少年はやはりその別れが何なのかはわからないまま,それを受け入れる. 光と水の中に消えていく少女を少年はじっと見送る. 男は何だかわからないままにいつも女を旅立たせるのだ. そして花火だ. せめてその一瞬の美しさは少年にしっかりと見せて上げなければならない. こうした映画の予定調和を破ってくれたのは,奥菜恵の悲しげな大きな瞳や少年たちの子供らしい演技だけではなく,この時期にこうした映画をあえて撮ろうとした作者の意志だと思う. 今時横から花火を見たらどうなるかと真剣に言い合う子はいないし,わざわざ灯台にまで行って確かめようとする子もいない. 少女の突然の駆け落ちに真剣に付き合う子もいなければ,大声で自分の好きな子の名前を呼び合う子たちも,服を着たまま夜学校のプールで戯れる子たちもいない. それが現実だ. だがこの映画が感傷にも絵空事にもギリギリなっていないのは,再生に賭ける少女や突然の駆け落ちに戸惑いながらも引き受ける少年,灯台へとそれでも向かおうとする少年たちの健気な意志を,健気さのままで表現しようとした作者の強い意志があったからだと思うのだ. 圧死する純粋な少年少女たちの魂. 汚れた世の中への彼らの反抗と絶望. そんなありきたりのテーマへ傾斜することを禁じた,世紀末に一瞬打ちあがった花火のような映画なのだ. |